1. 概要

原沢 久喜はらさわ ひさよし日本語(1992年7月3日 - )は、日本の柔道家。山口県下関市出身で、階級は100kg超級。五段。身長は191 cm、体重は122 kg。右組みで、得意技は内股や大内刈。
原沢は、日本の柔道界において2010年代を通じてヘビー級の主力選手として活躍した。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは男子100kg超級で銀メダルを獲得し、柔道の国際舞台でその実力を示した。しかし、この決勝でのテディ・リネール選手との試合における審判の判定は、その後の柔道界に大きな議論を巻き起こし、公正な試合運営の重要性を改めて浮き彫りにした。彼は安定した成績を残し、全日本選手権で2度の優勝を果たすなど国内タイトルも多数獲得しているが、一方でキャリアを通じていくつかの判定を巡る論争に巻き込まれてきた。
また、東京オリンピックでは混合団体戦で銀メダルを獲得した。安定した企業所属からフリーランスとなり、さらに新天地での挑戦を続けるなど、競技への並々ならぬ情熱と環境適応力は特筆される。その柔道人生は、単なる勝利だけでなく、競技の公平性や選手を取り巻く環境のあり方にも一石を投じるものとなっている。
2. 経歴
原沢久喜は、柔道家としての道を歩む中で、数々の変遷と挑戦を経験してきた。そのキャリアは、高校時代からの着実な成長、大学での飛躍、実業団での頂点、そしてフリーランスとしての新たな挑戦、さらに複数の企業所属を経ての再起といった多岐にわたるフェーズで構成されている。
2.1. 生い立ちと教育
原沢久喜は1992年7月3日に山口県下関市で生まれた。6歳の時に大西道場で柔道を始めた。日新中学から早鞆高校に進学した当初は66kg級の選手で、身長も177 cmほどだった。その後、著しい成長を遂げ、高校3年の時には身長が190 cmを超え、階級も100kg超級まで上がった。体重は自然に90 kgまで増えたが、そこから先はウェイトトレーニングやプロテインを大量に摂取して増やしていったという。
高校3年生の時、インターハイの100kg超級に出場し、準決勝で東海大相模高校3年の王子谷剛志に上四方固で敗れたものの3位となった。続く全日本ジュニアでは決勝まで進むも、再び王子谷に開始早々の大外落で敗れて2位に終わった。当初は高校卒業と同時に柔道を辞めるつもりだったが、成績を残し始めたことで柔道の楽しさを感じるようになり、競技を続けることを決意した。
2.2. 大学時代
2011年、原沢は日本大学に進学し、柔道部で活動した。大学2年の時、学生優勝大会の決勝で東海大学と対戦し、先鋒として一本勝ちを収めるなどチームはリードしたが、その後追いつかれ、代表戦で再び王子谷に内股返で有効を取られて敗れ、チームは2位にとどまった。
同年9月の学生体重別では、決勝で東海大学の豊田竜太を合技で破り優勝を飾った。11月の講道館杯では、決勝で旭化成の百瀬優を2-1の微妙な判定ながら破り、シニア全国大会で初優勝を果たした。2013年3月の全日本選手権東京予選でも優勝した。
大学3年時には、4月の全日本選手権の準々決勝で警視庁の棟田康幸を指導3で破り、準決勝では90kg級の選手である旭化成の垣田恭兵に内股すかしで技ありを先取されるも、内股で逆転勝ちを収めた。決勝では天理大学職員の穴井隆将に指導2を取られて敗れ、惜しくも初出場初優勝はならなかった。5月の体重別初戦では、王子谷の大外刈を防ごうとした際に右肘の関節を脱臼し、棄権負けとなった。6月の学生優勝大会でも2年連続で2位に終わった。11月の講道館杯では準々決勝で新日鐵住金の高橋和彦に横四方固で敗れたが、3位決定戦では王子谷を指導1で破り、3位となった。グランドスラム・東京では準々決勝で世界2位のブラジル選手ラファエル・シルバに指導2で敗れたが、3位決定戦で九州電力の七戸龍を反則勝ちで破って3位に入賞した。
大学4年時には、4月の全日本選手権準々決勝で王子谷に大外刈で敗れて5位にとどまった。11月の講道館杯では初戦で敗退しグランドスラム・東京には出場できなかったが、グランプリ・青島ではオール一本勝ちでIJFワールド柔道ツアー初優勝を飾った。2015年2月のヨーロッパオープン・ローマでも優勝を果たし、3月の東京都選手権では決勝で高橋を内股で破り、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
2.3. JRA所属時代
2015年4月から原沢はJRAの労務厚生課所属となった。体重別では準決勝で王子谷に大外刈の有効で敗れて3位にとどまった。しかし、続く全日本選手権では準々決勝で高橋を内股、準決勝で王子谷を指導3で破り、決勝では七戸を小外刈の有効で破って、この大会で初優勝を飾った。この優勝にもかかわらず、井上康生全日本代表チーム監督の方針により、体重別と全日本選手権の両方を制さないと代表にはなれないと事前に伝えられていたため、世界選手権代表および世界団体メンバーには選出されなかった。
同年6月には、世界チャンピオンであるフランスのテディ・リネールが来日した際に乱取りを行い、組み手争いでは苦戦したものの、「全く太刀打ちできない相手ではない」という感触を得た。7月のユニバーシアードでは、オリンピックの予行演習の一環として出場し、優勝を飾った。続くグランドスラム・チュメニでも優勝。10月のグランドスラム・パリでは準々決勝で王子谷を指導2で破るなどして決勝まで進み、ブラジルのダビド・モウラを内股で破って優勝した。12月のグランドスラム・東京では準決勝で京葉ガスの上川大樹を指導3で下し、決勝では世界選手権2大会連続銀メダリストの七戸と対戦。ゴールデンスコア方式の末に指導を奪い反則勝ちを収め、年間3度目のグランドスラム大会優勝を成し遂げ、国際大会6連勝を記録した。この勝利により、原沢はオリンピック代表争いの土俵に上がったと語り、金野潤日大柔道部監督も「勇気を持って近い間合いに飛び込んだ原沢に対し、その距離を嫌がる七戸が下がったことが、最後の「指導」に結びついた」と分析した。
2016年2月のグランドスラム・パリでは決勝でライバルの七戸を破って勝ち上がってきたイスラエルのオル・サッソンを指導3で下し、この大会2連覇、国際大会7連勝を達成した。4月の選抜体重別では準決勝で上川を隅落で破り、決勝ではオリンピック代表争いのライバル七戸を内股の有効で破ってこの大会で初優勝を飾った。これにより、2016年リオデジャネイロオリンピック代表に選出されることが有力となった。続く全日本選手権では準決勝で上川に0-3の判定で敗れて3位にとどまり、2連覇はならなかった。また、昨年の大会から続いていた公式戦での連勝記録も37でストップした。しかし、国際大会での7連勝やライバルの七戸に4戦全勝していたことなどが評価され、リオデジャネイロオリンピック代表に正式に選出された。この際、井上監督は最大のライバルとなるリネールを攻略するためには「普通のことをやっていては勝てない。どうやって異常なことをやっていくか」と語った。5月にはウェイトトレーニング中に持病であるぎっくり腰が再発し、一週間ほど安静を強いられた。その後、世界ランク上位選手が集まるワールドマスターズに出場するも、準々決勝でルーマニアのダニエル・ナテアに一本負けを喫するなどして3位に終わった。これにより、国際大会での連続優勝記録(7)および対外国選手の連勝記録(31)が途切れた。6月には実業団体に出場し、2勝1分でチームの優勝に貢献した。団体で日本一になったのはこれが初めての経験となった。7月には日大主催の壮行会において、「日本柔道の再建を託されている。必ず金メダルを取って帰ってきたいと思います」とオリンピックへの決意を述べた。
8月のリオデジャネイロオリンピックでは、初戦でジョージアのアダム・オクルアシビリを指導2、2回戦でアゼルバイジャンのウシャンギ・コカウリに大内刈で一本勝ち、3回戦でキューバのアレックス・ガルシア・メンドーサを反則勝ちで破った。準決勝ではウズベキスタンのアブドゥロ・タングリエフから大内刈で有効を取った後も攻め続け反則勝ちを収めた。決勝ではオリンピック2連覇を狙っていたリネールと初対戦となったが、開始わずか9秒で掛け潰れによる指導を受け、さらに1分過ぎには極端な防御姿勢を取ったとして指導2を与えられた。その後、原沢は組みに行こうとするも、リネールにまともに組ませてもらえず時間が経過した。終盤になって消極的なリネールに指導が与えられたが、その直後に原沢にも不可解な指導3が与えられ、これはすぐに取り消されたものの、スコアで追いつくことができずに試合終了となり銀メダルに終わった。指導でリードして以降、守りを固め積極的に攻めてこず、組み手争いに徹するリネールに対し、観客からはブーイングが吹き荒れたが、原沢は最後までリネールを切り崩すことができなかった。原沢は決勝を振り返り、「後半で勝負をしようと思っていたが、組み手も厳しかった。奇襲や組み際の技を狙っていたが、うまくさばかれた」と語った。この試合については、審判のコントロールミスであったとの見解が示されている。12月にはグランドスラム・東京に出場予定だったが、左腓腹筋内側頭筋損傷により出場を取りやめた。
オリンピック以来半年振りの試合となった2017年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは準決勝まですべて一本勝ちしたが、決勝では東海大学3年の影浦心に開始早々に大内刈を返されて技ありを取られ、その後スコアを取り返せず2位に終わった。4月の体重別では準決勝で影浦に技ありを2つ取られて3位に終わった。全日本選手権では3回戦で百瀬に開始30秒過ぎの送襟絞で敗れた。大会後、「試合で落とされた(意識を失った)のは初めて。(五輪後、負けが続いて)落ちるところまで落ちたので、来年、必ず強くなって帰ってきたい」とコメントした。過去の実績により、今大会で優勝した王子谷とともに世界選手権代表に選出された。5月29日付けの世界ランキングでは、この階級の日本選手として初めての1位になった。6月の実業団体では決勝で旭化成と対戦し、代表戦で王子谷を大外返で破ってチームの優勝に貢献した。9月の世界選手権では初戦で伏兵のオーストリアのステファン・ヘギィにゴールデンスコア方式で指導2を取られて敗れた。世界団体では初戦のみの出場だったが勝利し、その後チームも優勝を飾った。11月の世界選手権(無差別)に出場予定だったが、心身が慢性疲労となる「オーバートレーニング症候群」に陥った可能性があることから、出場を辞退した。12月のグランドスラム・東京も同様の理由で出場を回避したが、大会後の国際合宿である東京キャンプには参加した。
2018年2月のグランドスラム・デュッセルドルフでは、3回戦の技あり優勢勝ち以外は全て一本勝ちして決勝まで進んだが、王子谷との対戦では組み手争いが続く消極的な試合展開でお互いに指導3が与えられ、両者反則負けを喫して2位にとどまった。これは2018年から新規導入されたIJFルールによる両者反則負けの適用第1号となった。IJFはこの試合に関して、「両柔道家は闘う意図がなかった。最近、改定したルールにより、今回のような形で両者を処分できる」とコメントした。3月には全日本選手権の東京予選に出場し、準々決勝でそれまで2連敗していた影浦を反則勝ちで破るなど、7試合オール一本勝ちでこの大会3年ぶり3度目の優勝を飾った。4月の体重別では準決勝で影浦に反則勝ちしたが、決勝では明治大学4年の小川雄勢にゴールデンスコア方式で反則負けを喫して2位に終わった。続く全日本選手権では準々決勝で七戸に反則勝ち、準決勝では千葉県警の加藤博剛をゴールデンスコア方式で内股で破り、決勝では王子谷をゴールデンスコア方式を含め9分16秒もの戦いの末に反則勝ちを収め、5試合オール一本勝ちでこの大会3年ぶり2度目の優勝を飾った。5試合のうち3試合が反則勝ちであったものの、この大会をオール一本勝ちで制したのは1979年に優勝した山下泰裕以来39年ぶりの快挙であった。これにより、世界選手権代表に選出された。
2.4. フリーの柔道家として
JRAでは通常業務も行っていたが、2018年4月末でJRAを退社し、5月からはフリーの立場で競技に専念し、2020年東京オリンピックを目指すことになった。退社する際、JRAの人事部からは「世界一の柔道家を命ずる」という辞令が手渡されたという。
普段の練習は出身の日本大学で行っていたが、2018年秋からは、天理大学にも通って修行を重ねた。9月の世界選手権では2回戦でラファエル・シルバに反則勝ちするなどして勝ち進んだが、準々決勝でモンゴルのウルジバヤル・ドゥレンバヤルに一本背負投で敗れた。その後の3位決定戦でウズベキスタンのベクムロド・オルティボエフを大外刈で破って3位になった。試合後には、「優勝を狙っていたので悔しいが、切り替えてメダルを獲れたのは次につながる」とコメントした。続く世界団体では準決勝の韓国と北朝鮮の南北合同チーム戦で、個人戦で破っているキム・ミンジョンに反則勝ちすると、決勝のフランス戦ではリオデジャネイロオリンピック100kg級銅メダリストのシリル・マレを技ありで破ってチームの優勝に貢献した。11月のグランドスラム・大阪では2回戦で敗れた。
2019年2月のグランドスラム・パリでは準々決勝でコカウリを内股、準決勝でオランダのヘンク・フロルを横四方固で破るも、決勝で韓国の金成民に隅落で敗れて2位にとどまった。この際に、「決勝は自分の形になり切れていないところで、技をかけ急いでしまった。(過去に)2回優勝している大会でいい結果を望んでいたが、そううまくはいかない」とコメントした。続くグランドスラム・デュッセルドルフでは準々決勝で昨年の世界選手権で敗れたウルジバヤルを内股、準決勝でフロルを大内刈でそれぞれ破ると、決勝ではロシアのイナル・タソエフを内股で破り、3年ぶりとなる国際大会優勝を飾った。試合後には、「何としてもこの大会は優勝したかった。良かった」とコメントした。普段の練習は出身の日大で行っていたが、同郷で1学年上の大野将平の手助けもあって、年明けから大野の拠点でもある天理大学で出稽古を積み、元世界チャンピオンの穴井に大外刈を指導されるなど天理大学特有の正統派柔道を学んだ成果がこの大会で現れたという。
2.5. 百五銀行所属時代
JRAを退職後はフリーの身であったが、2019年4月からは三重県津市に本店を置く百五銀行の所属となった。3年間の嘱託契約で、競技に専念できる条件とされる。2021年に三重県で開催される国体要員を求めていた銀行側からのアプローチを受けた形となった。なお、所属先を決めるにあたっては、株式会社スポーツビズのキャリア支援事業部門であるGAHER事業部のキャリアサポート業務を活用した。
4月の体重別では初戦で七戸を技ありで破ると、準決勝で王子谷に反則勝ちし、決勝でも大学の3年後輩である日本製鉄の佐藤和哉に10分21秒もの戦いの末に反則勝ちを収め、この大会3年ぶり2度目の優勝を飾った。続く全日本選手権では準々決勝で東海大学4年の太田彪雅にゴールデンスコア方式で袖釣込腰の技ありで敗れて5位にとどまった。しかし、国際大会などの実績により世界選手権代表に選出された。
7月のグランプリ・モントリオールでは準決勝でモウラを内股で破るなどオール一本勝ちで決勝まで進み、リオデジャネイロオリンピック以来3年ぶりにリネールと対戦した。互いに指導2が与えられた後、ゴールデンスコア方式に入ってから大外刈で技ありを取られて2位にとどまった。続くグランプリ・ザグレブでは準決勝までオール一本勝ちしたが、決勝では世界ジュニアチャンピオンであるジョージアのゲラ・ザアリシビリにゴールデンスコア方式で小内刈の技ありで一旦は破ったかに思えたが、ビデオ判定で取り消された直後に、両手で後帯を持った帯取返(IJFは引込返だとしている)で一本負けを喫して2位にとどまった。しかし、2020IJFレフェリング・セミナーにおいてIJF審判委員会は、この裁定はミスジャッジで正しくはワンサイドグリップまたは相手の肩越しに背中・後帯を掴むクロスグリップにより、ザアリシビリへの指導とされた。この見解通りのジャッジが下されていれば、指導3で原沢の反則勝ちであり、優勝となっていた。
8月に東京で開催された世界選手権では初戦となる2回戦で一昨年の世界選手権で敗れたヘギィを合技で下し、3回戦でモンゴルのナイダン・ツブシンバヤルを小内刈で破り、準々決勝はシルバに反則勝ちし、準決勝では昨年の世界チャンピオンであるジョージアのグラム・ツシシビリを浮腰で破った。決勝ではリオデジャネイロオリンピック100kg級金メダリストであるチェコのルカシュ・クルパレクとの対戦となり、ゴールデンスコア方式に入ってから内股を裏投げで返された際に頭を強打するアクシデントに見舞われながら、8分近い戦いの末に反則負けを喫して2位にとどまった。この際に、「ヤマ場だと思っていた準決勝を乗り越えて、勢いでいこうと思ったが、組んでからの具体的なプランがなかった」と語った。全柔連会長の山下泰裕も「攻めることはリスクはあるが、リスクをとって勝負に出ないと勝利はつかめない」と指摘した。11月のグランドスラム・大阪は、左半膜様筋肉離れのため出場を回避することになった。12月のワールドマスターズでは準々決勝でフロルを内股、準決勝でタソエフを小内刈で破るなどオール一本勝ちで決勝に進み、決勝ではクルパレクと再戦となる予定であったが、相手が棄権して不戦勝となり優勝した。
2020年2月にはグランドスラム・デュッセルドルフに出場予定だったが、左太ももの肉離れにより取り止めた。その後に開かれた強化委員会で、1名の強化委員が白票を投じたのを除いて賛成票が得られたため、東京オリンピック代表が内定した。2番手とのこれまでの成績差が歴然だと強化委員の3分の2以上によって判断された場合は東京オリンピック代表が内定することになっていた。オリンピック代表争いのライバルである影浦はグランドスラム・パリで10年近く不敗だったリネールを破ったことを高評価されるも、直近1年間の国際大会で優勝がないことや、他の有力外国人選手との勝率などにより、原沢有利と判断された。代表内定となった原沢は、「自国開催の五輪で戦えることを誇り、喜びに感じ、力に変えたい」と決意を述べた。3月にはコロナウイルスの影響により東京オリンピックの開催が1年ほど延期されることになった事態に対して、「昨日までと変わらず、自分のやるべきことを徹底していくのみです。いつの開催になろうとも最高のパフォーマンスを発揮できるように万全の準備をしていきます」とコメントした。5月に全柔連は常務理事会と強化委員会を開いて、1年延期になった東京オリンピックでは2月に決まっていた代表内定選手の権利を維持する方針を確認した。内定選手は激越な代表選考をすでに経ているとしたうえで、国際大会の再開が今だ不透明で再選考が容易でないことを最大の理由に挙げている。一方で強化委員長の金野は、「現場の監督、コーチが現内定選手で闘う自信をしっかり持っていることが一番の決め手」だと説明した。その後、全柔連の全理事と監事の承認を得て、代表内定選手の維持が正式に決まった。この際に、「どんな環境でも、来年の五輪に向けて再スタートが切れるように、今できることを頑張ります」とコメントした。7月には1年延期された東京オリンピックについて、「金メダルの目標を成し遂げることで、いろんな人の思いや期待に応えたい」とコメントした。
2021年1月のワールドマスターズでは2回戦でウクライナのヤキフ・ハンモに小外掛からの横四方固で敗れた。この際に右肩を負傷したと思われたが、右肋軟骨だった。4月のグランドスラム・アンタルヤでは準決勝でコカウリに反則勝ちするも、決勝ではロシアのタメルラン・バシャエフに内股すかしで敗れて2位にとどまった。その直後のアジア・オセアニア選手権では決勝でキムを技ありで破って優勝した。7月に日本武道館で開催された東京オリンピックでは初戦となる2回戦でキムを技ありで破ると、準々決勝ではハンモを内股で破ったが、準決勝ではクルパレクにゴールデンスコア方式で技ありで敗れた。3位決定戦ではリネールと3度目の対戦を迎えるも、終始劣勢なまま反則負けして5位に終わった。なおこの際、第一線からの引退を示唆した。東京オリンピック混合団体では銀メダルを獲得したが、試合には一度も出場しなかった。
2.6. 長府工産所属時代
2022年3月にはパリオリンピックを目指して、下関に本拠を置く長府工産と3年間のスポンサー契約を結ぶことになった。4月の体重別では準決勝で小川に反則負けを喫した。続く全日本選手権に3年ぶりに出場すると、準々決勝で王子谷を縦四方固で破るも、準決勝で国士館大学3年の斉藤立に反則負けを喫して3位に終わった。10月の講道館杯では決勝まで進むも、国士館大学3年の髙橋翼に縦四方固で敗れて2位にとどまった。12月のグランドスラム・東京では準決勝で影浦に送襟絞で敗れるも、その後の3位決定戦で髙橋に反則勝ちして3位になった。
2023年4月の体重別はケガにより出場を回避した。全日本選手権では準々決勝で90kg級の選手であるパーク24の田嶋剛希に反則負けを喫して5位に終わった。講道館杯では準々決勝で旭化成の中野寛太に内股で敗れるなどして5位にとどまった。
2024年4月の体重別では初戦で太田に技ありで敗れた。続く、10度目の出場となった全日本選手権では3回戦で小川を3-0、準々決勝で影浦を2-1の旗判定で破ると、準決勝ではパーク24のグリーンカラニ海斗を合技で破った。しかし、決勝では中野に1-2の旗判定で敗れて2位にとどまり6年ぶりの優勝はならなかった。
3. 主な成績
原沢久喜は、柔道家として国内外の主要大会で数々の実績を残している。特に、オリンピックでの銀メダル獲得は、彼のキャリアにおける重要なハイライトである。
3.1. 大会結果
原沢久喜が国内外の主要柔道大会で記録した戦績とメダル獲得記録は以下の通りである。
- 2010年 - インターハイ 3位
- 2010年 - 全日本ジュニア 2位
- 2011年 - 体重別団体 5位
- 2012年 - 優勝大会 2位
- 2012年 - 学生体重別 優勝
- 2012年 - 体重別団体 5位
- 2012年 - 講道館杯 優勝
- 2013年 - ベルギー国際 優勝
- 2013年 - 全日本選手権 2位
- 2013年 - 優勝大会 2位
- 2013年 - 体重別団体 5位
- 2013年 - 講道館杯 3位
- 2013年 - グランドスラム・東京 3位
- 2014年 - グランプリ・デュッセルドルフ 5位
- 2014年 - 体重別 3位
- 2014年 - 全日本選手権 5位
- 2014年 - 優勝大会 2位
- 2014年 - グランドスラム・チュメニ 3位
- 2014年 - 体重別団体 2位
- 2014年 - グランプリ・青島 優勝
- 2015年 - ヨーロッパオープン・ローマ 優勝
- 2015年 - 体重別 3位
- 2015年 - 全日本選手権 優勝
- 2015年 - ユニバーシアード 優勝
- 2015年 - グランドスラム・チュメニ 優勝
- 2015年 - グランドスラム・パリ 優勝
- 2015年 - グランドスラム・東京 優勝
- 2016年 - グランドスラム・パリ 優勝
- 2016年 - 体重別 優勝
- 2016年 - 全日本選手権 3位
- 2016年 - ワールドマスターズ 3位
- 2016年 - 実業団体 優勝
- 2016年 - リオデジャネイロオリンピック 2位
- 2017年 - グランプリ・デュッセルドルフ 2位
- 2017年 - 体重別 3位
- 2017年 - 実業団体 優勝
- 2017年 - 世界団体 優勝
- 2018年 - グランドスラム・デュッセルドルフ 2位
- 2018年 - 体重別 2位
- 2018年 - 全日本選手権 優勝
- 2018年 - 世界選手権 3位
- 2018年 - 世界団体 優勝
- 2019年 - グランドスラム・パリ 2位
- 2019年 - グランドスラム・デュッセルドルフ 優勝
- 2019年 - 体重別 優勝
- 2019年 - 全日本選手権 5位
- 2019年 - グランプリ・モントリオール 2位
- 2019年 - グランプリ・ザグレブ 2位
- 2019年 - 世界選手権 2位
- 2019年 - ワールドマスターズ 優勝
- 2021年 - グランドスラム・アンタルヤ 2位
- 2021年 - アジア・オセアニア選手権 優勝
- 2021年 - 東京オリンピック 5位
- 2021年 - 東京オリンピック混合団体 2位
- 2022年 - 体重別 3位
- 2022年 - 全日本選手権 3位
- 2022年 - 講道館杯 2位
- 2022年 - グランドスラム・東京 3位
- 2023年 - 全日本選手権 5位
- 2023年 - 講道館杯 5位
- 2024年 - 全日本選手権 2位
3.2. 世界ランキングの変遷
国際柔道連盟(IJF)における原沢久喜の世界ランキングは、彼の競技キャリアを通じて変動を見せた。2017年5月にはこの階級の日本選手として初めて世界ランキング1位となるなど、特に2015年から2019年にかけては常に上位に位置し、世界トップクラスの選手として認識されていた。
2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | 2018年 | 2019年 | 2020年 | 2021年 | 2022年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 50 | 21 | 4 | 2 | 28 | 19 | 2 | 2 | 7 | 35 |
ランキングの変動は、国際大会での成績が大きく影響する。例えば、2016年のリオデジャネイロオリンピックでの銀メダルや、2019年の世界選手権での銀メダル獲得は、彼のランキングを高い水準に維持する要因となった。しかし、2017年にはオーバートレーニング症候群による大会辞退があり、一時的にランキングが下降した。また、負傷による欠場や主要大会での敗戦もランキングに影響を与えているが、復帰後には再び上位に返り咲くなど、その競技力の高さと粘り強さを示してきた。
3.3. 主要選手との対戦成績
原沢久喜は、キャリアを通じて多くのトップ柔道家と対戦し、熱戦を繰り広げてきた。特に、同階級のライバルである日本人選手や、国際的な強豪との対戦成績は、彼の競技スタイルと柔道界における立ち位置を明確に示している。
国籍 | 選手名 | 内容 |
---|---|---|
日本 | 七戸龍 | 6勝 |
日本 | 王子谷剛志 | 8勝7敗2分 |
日本 | 上川大樹 | 2勝2敗 |
ウズベキスタン | アブドゥロ・タングリエフ | 1勝 |
フランス | テディ・リネール | 3敗 |
ブラジル | ラファエル・シルバ | 3勝3敗 |
ブラジル | ダビド・モウラ | 3勝 |
ジョージア | グラム・ツシシビリ | 1勝 |
チェコ | ルカシュ・クルパレク | 1勝2敗 |
モンゴル | ウルジバヤル・ドゥレンバヤル | 3勝1敗 |
イスラエル | オル・サッソン | 1勝 |
オランダ | ロイ・メイヤー | 3勝 |
ロシア | イナル・タソエフ | 2勝 |
ロシア | タメルラン・バシャエフ | 1勝1敗 |
ジョージア | ゲラ・ザアリシビリ | 1敗 |
特に、リオデジャネイロオリンピック決勝や東京オリンピックでの3位決定戦で対戦したテディ・リネール選手に対しては、3戦全敗と苦戦を強いられている。これは、リネール選手の卓越した組み手と試合運びのうまさが、原沢のスタイルを封じた結果と言える。しかし、国内のライバルである七戸龍選手や王子谷剛志選手に対しては、安定した勝率を維持しており、国内での強さを示している。ラファエル・シルバ選手とは互角の戦績であり、国際的な強豪に対しても一進一退の攻防を繰り広げてきた。これらの対戦成績は、原沢が常に世界のトップレベルで競い合ってきた証拠であり、個々の試合が彼の柔道キャリアを形成する上で重要な役割を果たしてきた。
4. 個人生活
原沢久喜は柔道家としての顔を持つ一方で、私生活については公にされている情報が限られている。彼はA型である。組み手は右組み。
家族関係では、弟に俳優の原沢侑高がいることが知られている。侑高は身長が188 cmと長身であり、リオデジャネイロオリンピックでの兄の活躍を受け、俳優としての活動を本格的に開始した。柔道で培われた精神力や集中力が、彼のプライベートな部分や趣味にどのように影響しているかは不明だが、競技への強い集中が彼の日常生活の基盤をなしていることは想像に難くない。
5. 評価と論争
原沢久喜の柔道家としてのキャリアは、輝かしい成績だけでなく、いくつかの注目すべき論争や出来事によっても特徴づけられる。特に、大舞台での判定を巡る議論は、彼のキャリアにおける重要な側面であり、柔道の審判とルールの運用に対する問いを投げかけた。
5.1. リオデジャネイロオリンピック決勝の判定に関する論争
2016年リオデジャネイロオリンピックの男子100kg超級決勝で、原沢はフランスのテディ・リネールと対戦した。この試合は、柔道の精神と審判の役割について大きな議論を呼んだ。
試合は開始わずか9秒で、原沢が掛け潰れによる指導を受けるという異例の展開で始まった。さらに、1分過ぎには極端な防御姿勢を取ったとして、リネールに組み合わず時間稼ぎに徹していると見られる中で、原沢に指導2が与えられた。その後も原沢は組みに行こうと試みたが、リネールにまともに組ませてもらえず時間が刻々と過ぎていった。終盤になり、消極的と見られたリネールに指導が与えられたが、その直後に原沢にも不可解な指導3が与えられ、これはすぐに取り消されたものの、スコアで追いつくことはできなかった。最終的に、原沢は指導の差で敗れ、銀メダルに終わった。
この試合中、リネールの消極的な試合運びに観客からは激しいブーイングが吹き荒れた。原沢自身も、リネールの巧みな組み手争いに苦しめられ、自身の得意技を出す機会をほとんど得られなかったと後に語っている。
この決勝の判定について、大会後には大迫明伸元審判員が「審判によるコントロールミスであった」という見解を示している。大迫によれば、事前の審判ミーティングでは「オリンピックという特別な大会であるため、選手に柔道をやる時間を今まで以上に与えるように」という指示があり、全体的には指導を遅く取る傾向にあったという。しかし、この決勝に限っては、原沢に指導を与えるのが早すぎたため、リネールが柔道で勝負しなくても良い状況を審判が作ってしまったと指摘された。また、ジュリー(ビデオ判定などの最終判断を下す審判団)も指導を取り消す権限があったにもかかわらず、敢えてそれを行使しなかったことにも疑問が呈された。
この論争は、柔道における「指導」の解釈、試合の積極性、そして審判の判断が試合結果に与える影響の大きさを浮き彫りにした。柔道の国際大会における審判の質と公平性に対する関心が高まるきっかけとなった出来事である。
5.2. その他の注目すべき出来事
原沢久喜のキャリアにおいては、リオデジャネイロオリンピック決勝以外にも、判定や試合展開を巡って注目された出来事がいくつか存在する。
- 2018年グランドスラム・デュッセルドルフでの両者反則負け**:
2018年2月のこの大会の決勝で、原沢は長年のライバルである王子谷剛志と対戦した。しかし、両選手ともに組み手争いに終始し、積極的な攻めが見られない消極的な試合展開となった。結果、両者に対して指導が与え続けられ、最終的にお互いに指導3が与えられたことにより、「両者反則負け」という異例の裁定が下された。これは2018年から新規導入されたIJFルールによる両者反則負けの適用第1号となり、柔道界内外で大きな話題を呼んだ。IJFは「両柔道家は闘う意図がなかった」とコメントし、新ルールの適用理由を説明した。この試合は、柔道の試合における「積極性」の基準と、それを評価する審判の役割について改めて考える機会となった。
- 2019年グランプリ・ザグレブでの誤審認定**:
2019年7月のこの大会の決勝で、原沢は世界ジュニアチャンピオンであるジョージアのゲラ・ザアリシビリと対戦した。ゴールデンスコア方式に入ってから、原沢は小内刈の技ありで一旦は勝利を確信したかに見えたが、ビデオ判定によってこの技が取り消された。その直後、ザアリシビリが両手で後帯を持った帯取返(IJFは引込返だとしている)で一本負けを喫し、原沢は2位に終わった。
しかし、この試合の裁定は2020年に開催されたIJFレフェリング・セミナーにおいて再検討された。IJF審判委員会は、ザアリシビリの技は正しくはワンサイドグリップ(片手での組み手)または相手の肩越しに背中・後帯を掴むクロスグリップ(変則的な組み手)に該当し、ザアリシビリに指導が与えられるべきであったと公式にミスジャッジを認めた。この見解通りのジャッジが下されていれば、指導3で原沢の反則勝ちとなり、彼が優勝を飾っていたはずであった。この出来事は、国際大会における審判の判断の難しさと、その判断が選手のキャリアに与える重大な影響を浮き彫りにするものであった。