1. Personal Background and Youth Career
柴村直弥は広島県広島市で生まれ育ち、幼少期からサッカーに打ち込んだ。身長は179 cm、体重は78 kgで、利き足は左足である。
広島皆実高校時代には、2年時に全国高校総体で同校初の優勝に貢献した。決勝戦では千葉県立八千代高等学校との試合を延長戦に持ち込む同点ゴールを決め、3-3の引き分けで史上初の両校優勝を飾った。また、森崎和幸、森崎浩司兄弟、駒野友一らと共に広島県選抜のメンバーとして、1999年熊本国体で全国3位、翌2000年とやま国体では全国5位に入賞した。同年には全国高等学校サッカー選手権大会にも出場したが、2回戦で東北高等学校に敗れている。
中央大学に進学後もサッカーを続け、2年時には2年先輩の中村憲剛らと共に関東大学2部リーグ優勝に貢献した。リベロのポジションでリーグ最少失点となる堅守を構築し、攻撃面でも最終戦で中村のフリーキックをヘディングで押し込んだ先制点を含む3得点を挙げ、同リーグのベストイレブンに選出された。
2. Professional Career
柴村直弥は大学卒業後、シンガポールでプロとしてのキャリアをスタートさせ、その後日本国内のクラブや欧州、中央アジアのリーグへと活躍の場を広げた。
2.1. Early Career (Singapore, Japan)
大学卒業後、柴村はシンガポールのアルビレックス新潟シンガポールに入団し、2005年から2006年までプレーした。初年度から両サイドバックとして主力選手として活躍した。
2007年にはアビスパ福岡へ移籍し、Jリーグデビューを飾った。当時のピエール・リトバルスキー監督のもと、同じポジションに元オーストラリア代表のアルビン・チェッコリがいたが、チェッコリ不在時には安定したプレーを見せた。
2008年には徳島ヴォルティスに移籍し、チーム史上初めて移籍1年目で主将に抜擢された。センターバックや左サイドバックを務め、守備の要としてチームを支えた。
2009年にはガイナーレ鳥取に移籍。ヴィタヤ・ラオハクル監督のもと、開幕2戦目でアシストを記録し、3戦目ではゴールを決めるなど、序盤戦で首位を独走するチームに大きく貢献した。しかし、シーズン中盤に負傷のため戦線離脱し、チームも調子を落とし、最終的に5位でシーズンを終え、昇格可能な4位以内を逃した。
2010年シーズンは、監督の交代により出場機会を失い、同年7月に藤枝MYFCへ期限付き移籍した。藤枝MYFCでは移籍以降すべての公式戦に先発出場したが、同年シーズン終了後に退団。保有権を持つガイナーレ鳥取も退団し、かねてからの夢であった欧州挑戦を表明した。
2.2. Overseas Career
2011年3月7日、柴村は練習参加していたラトビアのラトビアリーグのFKヴェンツピルスと契約を結んだ。同年、ラトビア・カップ決勝に出場し、チームの優勝に貢献。チームメイトの佐藤穣と共に日本人初のラトビアカップ優勝という快挙を達成した。
バルト三国の強豪クラブが集うバルティックリーグでは、準々決勝以降の5試合すべてにフル出場し、準々決勝のエストニアのFCフローラ・タリン戦、準決勝のリトアニアのFCシャウリャイ戦では4試合すべてを完封勝利に導いた。スコント・リガとの決勝戦では延長前半に先制されたものの、延長後半にコーナーキックからヘディングで同点ゴールを決め、その後のPK戦でもゴールを決めたが、惜しくも準優勝となった。
UEFAヨーロッパリーグ2011-12では、2回戦でベラルーシのFCシャフティオール・ソリゴルスクを破り、3回戦でセルビアのレッドスター・ベオグラードに敗れた。この4試合すべてにフル出場を果たした。2011年11月には、FKヴェンツピルスで日本人初のラトビア・ヴィルスリーガ優勝を経験し、ラトビアカップに続き2冠を達成した。シーズンを通して主力選手として活躍し、この2冠に大きく貢献した。
2012年2月、柴村はウズベキスタンのトップリーグに所属する名門クラブ、FCパフタコール・タシュケントに移籍した。これは同国初の日本人選手となった。キャンプからレギュラーポジションを獲得し、練習試合やトルコでの大会など全試合にフル出場していたが、開幕直前の最後の練習試合で負傷した。ACL初戦のアル・イテハド戦に強行出場しフル出場したものの怪我が悪化し、復帰できないまま前半戦を終えた。
同年7月、2004年にウズベキスタン最優秀監督賞を受賞した名将タチュムラド・アガムラドフ監督からの熱烈なオファーにより、同リーグのFKブハラへ移籍した。FKブハラ加入後は、契約の条項により出場できない古巣パフタコール戦を除くすべての公式戦に出場し、ホームでは6勝2分と無敗を維持した。前半戦で13位と降格圏内にいたチームを見事に救い、最終順位を7位にまで上昇させた。なお、柴村が在籍した2012シーズンには、パフタコールがリーグ最多となる9回目のリーグ優勝を果たしている。
2013シーズンには、ウズベキスタン1部リーグのPFLにおいて、FKブハラ内全選手の中で唯一全試合にスタメン出場し、ウズベキスタンカップを含め同シーズンのすべての公式戦にスタメン出場した。そのうち2試合を除いてすべてにフル出場し、前年度リーグ優勝クラブである古巣パフタコールとの対戦でもフル出場し、1-0で勝利を収めた。チームの最終順位も昨シーズンを上回る6位となり、チームの躍進に貢献した。同シーズンの出場時間数もチームで最も多かった。
2014年7月、柴村はポーランドのIリガに所属するストミール・オルシュティンへ移籍した。
2.3. Later Career in Japan
2015年12月、柴村はJリーグ合同トライアウトに無所属扱いで出場した。2016年1月にはヴァンフォーレ甲府へ移籍し、5年ぶりに日本サッカー界への復帰を果たした。しかし、契約満了により1年で退団した。
2017年には、選手兼コーチ兼エグゼクティブマネージャーとして東京都社会人サッカーリーグ1部のCriacao Shinjukuに加入した。2018年には南葛SCへの移籍が発表された。2020年2月10日には、東京都社会人サッカーリーグ2部のTOKYO CITY F.C.(2020年は「TOKYO CITY F.C.」)に加入した。その後、Ishikawa SCでもプレーしている。
3. Achievements and Honours
柴村直弥は、そのプロキャリアにおいて、国内外で複数のタイトル獲得に貢献した。
- ラトビア・カップ 優勝: 2011
- バルティックリーグ 準優勝: 2011
- ラトビア・ヴィルスリーガ 優勝: 2011
- ウズベキスタン・カップ 3位: 2012
4. Personal Qualities and Social Contributions
柴村直弥は、そのサッカー選手としての真摯な姿勢と努力家としてのイメージが強く、ファンや関係者から高く評価されている。アビスパ福岡在籍時には「苦労人から仕事人へ」、ガイナーレ鳥取では「努力とは何か? その答えはガイナーレの左サイドにある」と紹介されるなど、たゆまぬ努力で夢を掴んできた選手として知られている。
また、脹脛が異常に太いことでも知られ、福岡では同じく脹脛の太いチームメイトの布部陽功、金古聖司らと共に「ふくら会」を結成していたというエピソードがある。
ガイナーレ鳥取在籍時には、FM鳥取で自身がメインパーソナリティを務める番組「GAINARE TOTTORI WEEKLY INFORMATION」をスタートさせ、毎週金曜日18時から放送された。藤枝MYFCへ移籍後は、チームメイトで同年齢の美尾敦へと引き継がれた。
社会貢献活動にも積極的で、2010年にはフットサルブランド「SPAZIO」とコラボレーションし、自身がデザインを手掛けたオリジナルチャリティーTシャツを制作してアフリカにワクチンを送る活動を行った。また、2010年12月25日に行われた天皇杯準々決勝では、古巣アビスパ福岡の応援に駆けつけ、ハーフタイムにはゴール裏のサポーターに拡声器を使って感謝のメッセージを伝えるなど、ファンとの絆を大切にする姿勢を見せた。
アビスパ福岡から徳島ヴォルティス移籍時には、ブログに100件以上の応援コメントが寄せられるなど、常に謙虚な姿勢と一人一人に丁寧な対応をすることから、チームを去ってからも応援し続けるファンが多い。
ウズベキスタンでも大変な人気を誇り、FKブハラの試合では日本人の観客がVIP待遇を受けることもあった。パフタコールサポーターからも試合時には柴村コールで迎えられ、FCブニョドコルのサポーターからも対戦時に柴村コールをされるなど、ウズベキスタンでの日本人選手の代名詞となっている。
2012年末に行われたJPFAチャリティーマッチでは、長谷部誠、内田篤人、長友佑都らと共に海外組でJAPANスターズの一員としてプレーした。
2014年には広島平和記念国際ユース大会で、大会初となる代表チームの招致に尽力した。自身がプレーしたポーランド、ウズベキスタンのU-17代表チームを招致し、サッカーを通じて平和への架け橋を築いた。2015年8月には、Yahoo!ニュース個人史上初めて現役選手でYahoo!個人のページを持ち、コラムを執筆するなど、現役選手ながら類稀な文章力を持つことを示した。特に、2014年クリミア危機を実際に影響を受けたウクライナ人選手の声から伝えた記事は反響を呼んだ。
東日本大震災被災地の子供たちの自立支援プロジェクトSOKを支援し、ポーランドへ招待する活動も行った。また、オーガニックコットンを使用したアパレルブランド「viri-dari deserta」のアンバサダーを務めている。愛用スパイクはumbro、愛用飲料はVAAMである。
5. Coaching and Administrative Career
柴村直弥は選手引退後もサッカー界に貢献し続けている。2017年にはCriacao Shinjukuで選手兼コーチ兼エグゼクティブマネージャーを務め、指導者としてのキャリアをスタートさせた。
2019年には、ウズベキスタンと日本のスポーツ、教育、医療分野での交流を促進する「ウズベキスタン日本スポーツ・教育・医療交流協会」の会長に就任し、行政・指導者としての役割も果たしている。
6. Personal Statistics
柴村直弥のプロキャリアにおける個人成績は以下の通りである。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
アルビレックス新潟シンガポール | 2005 | Sリーグ | 20 | 0 | 3 | 0 | - | 23 | 0 | ||
2006 | Sリーグ | 6 | 0 | 0 | 0 | - | 6 | 0 | |||
アビスパ福岡 | 2007 | J2 | 6 | 0 | - | 0 | 0 | 6 | 0 | ||
徳島ヴォルティス | 2008 | J2 | 18 | 0 | - | 0 | 0 | 18 | 0 | ||
ガイナーレ鳥取 | 2009 | JFL | 13 | 1 | - | 0 | 0 | 13 | 1 | ||
ガイナーレ鳥取 | 2010 | JFL | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
藤枝MYFC (期限付き移籍) | 2010 | 東海1部 | 4 | 1 | - | - | 4 | 1 | |||
FKヴェンツピルス | 2011 | ヴィルスリーガ | 16 | 1 | 5 | 1 | 2 | 0 | 23 | 2 | |
FCパフタコール・タシュケント | 2012 | PFL | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
FKブハラ | 2012 | PFL | 12 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 15 | 0 | |
FKブハラ | 2013 | PFL | 26 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 | |
ストミール・オルシュティン | 2014-15 | Iリガ | 38 | 0 | 0 | 0 | - | 38 | 0 | ||
ストミール・オルシュティン | 2015-16 | Iリガ | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | ||
ヴァンフォーレ甲府 | 2016 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
Criacao Shinjuku | 2017 | 東京都1部 | - | - | |||||||
南葛SC | 2018 | 東京都1部 | - | - | |||||||
総通算 | 160 | 3 | 9 | 1 | 6 | 0 | 175 | 4 |
クラブ | シーズン | UEFA | 合計 | ||
---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
FKヴェンツピルス | 2011-12 | 4 | 0 | 4 | 0 |
総通算 | 4 | 0 | 4 | 0 |
クラブ | シーズン | AFC | 合計 | ||
---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
FCパフタコール・タシュケント | 2012 | 1 | 0 | 1 | 0 |
総通算 | 1 | 0 | 1 | 0 |
- Jリーグ初出場: 2007年6月13日 J2 第21節 対ベガルタ仙台戦(ユアテックスタジアム仙台)
- 公式戦初得点: 2009年3月29日 JFL 前期第3節 対三菱自動車水島FC戦(米子市営東山陸上競技場)