1. 生涯
金書俊は、射撃選手としてのキャリアを築く上で重要な時期を過ごした。
1.1. 出生と改名
金書俊は1990年10月28日に全羅南道順天市で金俊弘として生まれた。後に金書俊に改名している。
1.2. 学歴
ソウル高等学校を卒業後、韓国体育大学校に進学し、幼少期から射撃選手として活動していた。この時期に射撃の基礎と技術を磨き、将来の国家代表としての土台を築いた。
1.3. 初期キャリアとナショナルチーム入り
2011年に初めて国家代表に選抜され、オーストラリアシドニーで開催されたISSFワールドカップに参加し、25m速射拳銃で30位に入った。その後、2012年9月には2013年夏季ユニバーシアードの開催地であるロシアカザンで行われた第4回世界大学生射撃選手権大会に韓国代表として出場し、男子速射拳銃個人戦で金メダルを獲得した。この初期の成功が、彼の国際的なキャリアの始まりとなった。
2. キャリアと主な功績
金書俊は、そのプロフェッショナルなキャリアを通じて、数々の重要な功績を達成している。
2.1. 軍服務期間とユニバーシアード参加
2012年12月、大韓民国国軍所属の体育部隊である尚武に入隊し、軍務に服した。軍服務中の2013年7月には、ロシアのカザンで開催された夏季ユニバーシアードに韓国国家代表として参加した。この大会では、崔龍厚、金大雄と共に25m速射拳銃団体戦に出場し、ロシアに次いで銀メダルを獲得した。また、同じメンバーで出場した男子25mスタンダード拳銃団体戦でも、中国とロシアに次ぐ3位となり、銅メダルを獲得した。
2.2. プロ入りと国際大会での活躍
除隊後の2014年9月、KB国民銀行射撃団に入団し、プロ選手としての道を歩み始めた。同年9月19日にはスペイングラナダで開催された2014年世界射撃選手権大会に韓国国家代表として参加。25m速射拳銃種目でドイツのオリバー・ガイスと中国の李越宏を破り、金メダルを獲得した。
その後、同年9月に韓国仁川で開催された2014年アジア競技大会に出場し、張大奎、宋鍾皓と共に25m速射拳銃団体戦で総点1747点を記録し、中国とベトナムを抑えてアジア新記録を樹立し、金メダルを獲得した。個人戦でも総31点を記録し、中国の張健と胡浩哲を破って金メダルを獲得し、アジア競技大会で2冠を達成した。さらに、スタンダード拳銃にも参加し、個人戦で中国の丁峰に次いで銀メダルを獲得。張大奎、姜民秀と共にスタンダード拳銃団体戦でも中国に次いで銀メダルを獲得した。
また、2014年7月に中国北京で開催された射撃ワールドカップでは、速射拳銃で世界記録と同点に並んだものの、最終順位ではイタリアのリカルド・マッツェッティ、中国の張健、チェコのマルティン・ストルナトに及ばず4位に終わった。
2.3. オリンピック出場と世界記録樹立
2016年夏季リオデジャネイロオリンピックに韓国代表として出場し、世界の舞台で競技を行った。
2018年ISSFワールドカップでは、男子25m速射拳銃種目で世界記録を樹立するという偉業を成し遂げた。この記録は、彼の卓越した技術と精神力の証であり、国際射撃界における彼の地位を確固たるものにした。
3. 受賞歴
金書俊は、その輝かしい競技実績に対して、国家から数々の栄誉を受けている。
3.1. 主要な体育勲章および表彰

2024年11月12日、韓国政府より体育勲章青龍章(1等級)を授与された。これは、彼の長年にわたる射撃競技への貢献と、国家代表としての顕著な功績が認められたものである。
4. 影響と評価
金書俊は、韓国射撃競技界において多大な影響を与えてきた選手である。彼の国際大会での成功、特に世界記録樹立やアジア競技大会での複数回の金メダル獲得は、韓国の射撃競技の地位向上に大きく貢献した。
彼のキャリアは、単なるアスリートとしての功績に留まらず、国家代表として国民に夢と希望を与え、スポーツを通じた国家の威信向上に寄与したと評価されている。若手選手にとっては、彼の献身的な姿勢と卓越した技術が模範となり、韓国射撃界の未来を担う人材育成にも間接的に貢献している。彼の存在は、韓国のスポーツ文化において、努力と成果が正当に評価される象徴として、広く認識されている。