1. 幼少期と背景
グレンロイ・ギルバートは、1967年8月31日にトリニダード・トバゴのポートオブスペインで生まれた。1973年、ギルバートが6歳のときに、彼は母親と5人のきょうだいと共にカナダへ移住した。その後、ルイジアナ州立大学に進学し、同大学の陸上競技チームであるLSU TigersLSUタイガース英語の一員として活躍。1993年にはNCAAの4×100mリレーで優勝を果たした。
2. スポーツキャリア
グレンロイ・ギルバートは、陸上競技選手として数々の国際大会に出場し輝かしい成績を収めたほか、冬季スポーツであるボブスレーにおいてもオリンピックに出場するなど、多岐にわたるスポーツキャリアを築いた。
2.1. 陸上競技
ギルバートは、主に短距離走と走幅跳を専門とした。1988年ソウルオリンピックで走幅跳の選手として主要国際大会デビューを果たし、予選で7.61 mを記録した。1990年コモンウェルスゲームズでは走幅跳で8位に入賞した。
1992年のバルセロナオリンピックではカナダの4×100mリレーチームの一員として出場したが、準決勝で敗退した。しかし、翌1993年世界選手権では、カナダの4×100mリレーチームの一員として3位に入り、自身初の国際大会でのメダルを獲得した。同年、ユニバーシアードの100mで3位に入賞した。
1994年コモンウェルスゲームズでは4×100mリレーで金メダルを獲得し、100mでは5位に入った。1995年にはパンアメリカン競技大会の100mで優勝し、同年開催された1995年世界選手権では4×100mリレーで金メダルを獲得した。
ギルバートのキャリアの頂点は、1996年アトランタオリンピックであった。100mでは準々決勝まで進出したものの、男子4×100mリレー決勝では、ドノバン・ベイリー、ブルニー・スリン、ロバート・エスミーと共にカナダチームの一員として出場し、37秒69を記録して2位のアメリカに0秒36の大差をつけ、金メダルを獲得した。この勝利により、カナダチームは世界最高のリレーチームとしての地位を確立した。
さらに、1997年世界選手権でも4×100mリレーで金メダルを獲得し、オリンピックと世界選手権を通じて3連覇を達成した。1998年グッドウィルゲームズでも4×100mリレーで金メダルを獲得している。しかし、中心選手であったドノバン・ベイリーの故障もあり、1999年世界選手権では準決勝で失格となり、2000年シドニーオリンピックでも準決勝で敗退し、ギルバートはこの大会をもって陸上競技選手としてのキャリアを終えた。
ギルバートの個人ベスト記録は、100mが1994年にヴィクトリアで記録した10秒10、200mが1993年にニューオーリンズで記録した20秒37、走幅跳が1989年にボゴタで記録した8.04 mである。
2.1.1. 主な実績
グレンロイ・ギルバートの主要大会における成績は以下の通り。
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1988 | オリンピック | ソウル(韓国) | 走幅跳 | 22位(予選) | 7.61 m |
1990 | コモンウェルスゲームズ | オークランド(ニュージーランド) | 走幅跳 | 8位 | - |
1992 | オリンピック | バルセロナ(スペイン) | 4×100mリレー | 準決勝敗退 | - |
1993 | 世界陸上選手権 | シュトゥットガルト(ドイツ) | 4×100mリレー | 3位 | 37秒83 |
1993 | ユニバーシアード | バッファロー(アメリカ合衆国) | 100m | 3位 | 10秒14 |
1994 | コモンウェルスゲームズ | ヴィクトリア(カナダ) | 4×100mリレー | 1位 | - |
1994 | コモンウェルスゲームズ | ヴィクトリア(カナダ) | 100m | 5位 | - |
1995 | パンアメリカン競技大会 | マル・デル・プラタ(アルゼンチン) | 100m | 1位 | 10秒21 |
1995 | 世界陸上選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 4×100mリレー | 1位 | 38秒31 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 4×100mリレー | 1位 | 37秒69 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 100m | 準々決勝敗退 | - |
1997 | 世界陸上選手権 | アテネ(ギリシャ) | 4×100mリレー | 1位 | 37秒86 |
1998 | グッドウィルゲームズ | ニューヨーク(アメリカ合衆国) | 4×100mリレー | 1位 | - |
1999 | 世界陸上選手権 | セビリア(スペイン) | 4×100mリレー | 準決勝失格 | - |
2000 | オリンピック | シドニー(オーストラリア) | 4×100mリレー | 準決勝敗退 | 38秒92 |
2.2. ボブスレー
ギルバートは、陸上競技のキャリアと並行して、冬季スポーツのボブスレーにも挑戦した。1994年リレハンメルオリンピックではボブスレー競技に出場し、2人乗りではChris Loriクリス・ロリ英語とのペアで15位(3分33秒49)の成績を残した。また、4人乗りではChris Loriクリス・ロリ英語、Chris Fairsteadクリス・フェアーステッド英語、Sheridon Baptisteシェリドン・バプティスト英語と共に11位(3分29秒56)という結果であった。これにより、彼は夏季と冬季の両方のオリンピックに出場した数少ない選手の一人となった。
3. 引退後のキャリア
2000年のシドニーオリンピックで陸上競技選手としてのキャリアを終えた後、ギルバートは新たな道を歩み始めた。引退直後はオタワのCBCラジオで短期間働いた。その後、オタワ・ライオンズ陸上競技クラブのコーチとなり、主に短距離走とリレー種目の指導を担当した。
2006年からはカナダ陸上競技連盟に所属し、男子および女子リレーチームのコーチとして活動した。そして2017年7月には、カナダ陸上競技連盟の常任ヘッドコーチに任命された。これは、同年8月に開催された世界陸上競技選手権大会のヘッドコーチに選任された後に正式決定されたものであり、彼の指導者としての貢献が認められた形となった。
4. 受賞と栄誉
グレンロイ・ギルバートは、その輝かしい競技生活とスポーツ界への貢献が認められ、数々の栄誉を受けている。2008年には、1996年アトランタオリンピックの4×100mリレーチームの一員として、カナダスポーツ殿堂入りを果たした。