1. 概要

サミュエル・インコーム(Samuel Inkoom英語、1989年6月1日 - )は、ガーナ・セコンディ・タコラディ出身の元同国代表サッカー選手です。現役時代のポジションは主に右サイドバックで、そのキャリアを通じて9カ国のクラブでプレーしました。これにはスイス、ウクライナ、フランス、ギリシャ、アメリカ合衆国、ポルトガル、トルコ、ブルガリア、そしてジョージアのクラブが含まれます。
2. 幼少期とキャリア初期
サミュエル・インコームは、ガーナでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、その才能を早くから示しました。
2.1. 幼少期とユース時代
インコームは1989年6月1日、ガーナのセコンディ・タコラディで生まれました。彼はユース時代からガーナの世代別代表チームに選出され、その才能を磨きました。具体的には、ガーナU-17代表の「ブラック・スターレッツ」に選ばれ、2005 FIFA U-17ワールドカップの予備メンバーにも名を連ねています。
2.2. ガーナ国内クラブ時代
インコームは2006年に地元のクラブであるセコンディ・ハサーカスFCでプロデビューを果たしました。その後、2008年1月にアサンテ・コトコSCへ移籍しました。アサンテ・コトコSCに在籍中の2008年夏には、FCバルセロナからのオファーが報じられるなど、その将来性が注目されました。
3. クラブキャリア
インコームはガーナ国内での成功の後、ヨーロッパやアメリカの複数のクラブを渡り歩き、そのキャリアを築きました。
3.1. FCバーゼル (スイス)
2009年4月26日、インコームはアサンテ・コトコSCからFCバーゼルへ移籍することに合意しました。移籍金は非公開でしたが、一部報道では70.00 万 USDとされています。契約は3年間でした。
彼は2009年7月12日のFCザンクト・ガレン戦でバーゼルでの公式戦デビューを飾りました。2009-10 FCバーゼルシーズンではレギュラーに定着し、2009-10 スイス・スーパーリーグと2009-10 スイス・カップの二冠達成に貢献しました。
2010年9月15日のCFRクルージュ戦ではUEFAチャンピオンズリーグに初出場し、2010年10月19日のASローマ戦でチャンピオンズリーグ初ゴールを記録しました。リーグ戦での初ゴールは2010年9月25日のFCチューリッヒ戦で、この試合はバーゼルが4対1で勝利しました。バーゼルでの18ヶ月間で、インコームは合計74試合に出場し、2ゴールを挙げました。内訳は、スイス・スーパーリーグで42試合、スイス・カップで3試合、UEFA主催大会(チャンピオンズリーグおよびUEFAヨーロッパリーグ)で19試合、親善試合で9試合です。
3.2. FCドニプロ (ウクライナ)とレンタル移籍
2011年1月26日、インコームはウクライナ・プレミアリーグのFCドニプロへ完全移籍しました。ドニプロ在籍中の2011年10月30日、FCカルパティ・リヴィウとのリーグ戦では、交代のためにピッチを離れる際にユニフォームを脱いだことで2枚目のイエローカードを受け、退場処分となりました。この時、交代要員であるイェヴヘン・シャホフは投入できませんでしたが、チームは2対0で勝利を収めました。
2013年1月31日、彼はフランスのSCバスティアへ、2013-14シーズンの残りの期間を対象としたレンタル移籍で加入しました。さらに翌2014年1月には、ギリシャのプラタニアスFCへ6ヶ月間のレンタル移籍をしました。
3.3. メジャーリーグサッカー及びその後の欧州クラブ時代
2014年9月、インコームはフリー移籍でMLSのD.C. ユナイテッドと契約しました。具体的な契約条件は非公開でした。しかし、2014年12月8日には、ヒューストン・ダイナモへジョー・ウィリスと共にトレードされる形で移籍が発表されました。これはアンドリュー・ドライバーと2016 MLSスーパードラフトの4巡目指名権との交換でしたが、彼はヒューストンとは正式に契約しませんでした。
2015年6月11日、彼はポルトガル・プリメイラ・リーガのボアヴィスタFCと3年契約を結びました。続く2016年1月6日にはトルコのアンタルヤスポルに移籍しました。2017年2月24日にはブルガリアのヴェレヤに加入し、2017年2月26日のルドゴレツ・ラズグラド戦でデビューしました。しかし、契約満了に伴い同年6月にヴェレヤを退団しました。
3.4. 東欧・ガーナでの晩年
ヴェレヤ退団後、インコームはキャリアの晩年に東欧およびガーナのクラブでプレーしました。2019年には再びブルガリアのFCドゥナフ・ルセに所属しました。2020年にはジョージアのFCサムトレディアに加入し、2021年から2022年にかけては同じくジョージアのFCトルペド・クタイシでプレーしました。そして、2022年から2023年にかけてはガーナのアクラ・ハーツ・オブ・オークでプレーし、2022年のガーナFAカップ優勝に貢献しました。
4. 代表キャリア
サミュエル・インコームは、ガーナのユース代表チームからA代表チームまで、幅広い年代で国際舞台を経験しました。
4.1. ユース代表チーム
インコームはガーナU-20代表の「ブラック・サテライツ」の一員でした。彼は2009 アフリカユース選手権に出場し、この大会で優勝を果たしました。さらに、2009 FIFA U-20ワールドカップにも出場し、チームの優勝に大きく貢献しました。決勝のブラジル戦では、PK戦で2人目のキッカーとしてPKを成功させ、ガーナにU-20ワールドカップ史上初のタイトルをもたらしました。
4.2. A代表チーム
インコームは2008年11月20日にチュニジアとの親善試合でガーナA代表の「ブラック・スターズ」としてデビューしました。2009年3月28日のベナンとのFIFAワールドカップ予選では初の先発出場を果たし、ガーナは1対0で勝利しました。
彼は2010 FIFAワールドカップのガーナ代表に選出されました。グループリーグでは出場機会がありませんでしたが、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で先発に抜擢され、ガーナ史上初のベスト8進出に貢献しました。続くウルグアイ戦にも出場しましたが、後半29分に途中交代しました。この試合はPK戦の末にガーナが敗退しました。
2011年2月9日のトーゴとの親善試合で、代表初得点を記録しました。彼はまた、アフリカネイションズカップ2010とアフリカネイションズカップ2015でガーナ代表として銀メダルを獲得しました。2014 FIFAワールドカップでも代表に選出されています。
インコームは2008年から2015年にかけてガーナ代表として国際Aマッチ46試合に出場し、1得点を挙げました。
年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
2008 | 1 | 0 |
2009 | 7 | 0 |
2010 | 12 | 0 |
2011 | 7 | 1 |
2012 | 10 | 0 |
2013 | 5 | 0 |
2014 | 2 | 0 |
2015 | 2 | 0 |
通算 | 46 | 1 |
5. 私生活と論争
インコームの私生活に関しては公に多く語られていませんが、キャリアの中で注目すべき論争がありました。
5.1. 私生活
インコームの結婚や家族、趣味に関する詳細な情報は、公にはほとんど知られていません。
5.2. FIFAによる処分と不動産紛争
2015年4月、インコームがD.C. ユナイテッド在籍中に米国で借りていた不動産の家賃を支払わず、物件に損害を与えたとして家主から訴訟を起こされたことが明らかになりました。この不動産紛争の結果、2017年6月23日にFIFAはインコームに対し、6.53 万 USD相当の損害賠償を原因とする1年間のサッカー活動禁止処分を課しました。この処分は、彼のキャリアに大きな影響を与えました。
6. タイトル・栄誉
サミュエル・インコームは、クラブと代表の両方で数々のタイトルを獲得しています。
6.1. クラブでのタイトル
- アサンテ・コトコSC
- ガーナ・プレミアリーグ: 2007-08
- ガーナ・プレジデントズ・カップ: 2008
- SWAGカップ: 2008
- FCバーゼル
- スイス・スーパーリーグ: 2009-10
- スイス・カップ: 2009-10
- アクラ・ハーツ・オブ・オーク
- ガーナFAカップ: 2022
6.2. 代表でのタイトル
- ガーナ U-20代表
- アフリカユース選手権: 2009
- FIFA U-20ワールドカップ: 2009
- ガーナA代表
- アフリカネイションズカップ 準優勝: 2010, 2015
- FIFAワールドカップ ベスト8: 2010
7. 外部リンク
- [http://inkoom.pro 公式ウェブサイト]