1. 幼少期と背景
1.1. 生い立ち、家族、幼少期
トーマス・モルゲンシュテルンは1986年10月30日にオーストリアのシュピッタール・アン・デア・ドラウで生まれました。身長は1.84 mで、SV Villachに所属し、フィッシャー製のスキーを使用していました。彼には「モルギー」という愛称がありました。彼の家族には、アルペンスキー選手であった叔父のアロイス・モルゲンシュテルンがおり、アロイスは1976年のインスブルックオリンピックの回転で7位に入賞しています。
1.2. ジュニアおよびプロ初期のキャリア
モルゲンシュテルンはジュニア時代からその才能を発揮し、2003年のノルディックスキージュニア世界選手権(スウェーデンのソレフティア)では、個人と団体の両方で金メダルを獲得する2冠を達成しました。
プロのキャリアとしては、スキージャンプ・コンチネンタルカップで4回出場し、そのうち3回で優勝しています。ワールドカップへのデビューは2002-03シーズンのスキージャンプ週間でした。この大会では、オーベルストドルフで9位、ガルミッシュ=パルテンキルヒェンで25位、インスブルックで9位、ビショフスホーフェンで6位という成績を収め、総合10位となりました。ジャンプ週間が終了してからわずか5日後の2003年1月11日、チェコのリベレツで開催されたワールドカップ大会で、自身初となる優勝を飾りました。また、その夏にはスキージャンプ・サマーグランプリでも初めて総合優勝を達成しています。
2003-04シーズンの開幕戦では、フィンランドのクーサモで強風に煽られ、空中での激しい転倒事故に見舞われましたが、幸いにも軽傷で済み、すぐに回復して競技に復帰しました。このシーズンのスキージャンプ週間ではシグール・ペテルセンに次ぐ2位を一時的に記録するなど活躍し、最終的に総合4位となりました。また、2004年のスキーフライング世界選手権(プラニツァ)では団体で3位に入り、自身初となるチームメダルを獲得しました。
2. キャリアの主要な実績
2.1. 初期の成功とオリンピック金メダル
2005年のノルディックスキー世界選手権(オーベルストドルフ)では、団体ノーマルヒルと団体ラージヒルの両方で金メダルを獲得しました。
2006年のトリノオリンピックでは、個人ラージヒルと団体ラージヒルで金メダルを獲得し、2冠を達成しました。同じく2006年のスキーフライング世界選手権(バート・ミッテルンドルフ)では個人で銅メダルを獲得しました。2006-07シーズンにはワールドカップで総合5位となり、当時の自己最高位を記録しました。
2007年のノルディックスキー世界選手権(札幌)では、団体ラージヒルで金メダルを獲得し、さらに個人ノーマルヒルでは銅メダルを獲得して、世界選手権で自身初となる個人メダルを手に入れました。この年、彼は再びスキージャンプ・サマーグランプリで総合優勝を飾りました。
2.2. 支配的な活躍と初のワールドカップ総合優勝
2007-08シーズンは、モルゲンシュテルンにとってキャリアの頂点とも言える時期でした。ワールドカップの開幕から史上最多となる6連勝を達成し、これはヤンネ・アホネン、マッティ・ハウタマキ、グレゴア・シュリーレンツァウアーが保持していた連勝記録に並ぶものでした。
2008年2月上旬に札幌で開催された2連戦でも連勝を飾り、その圧倒的な強さを見せつけました。2008年のスキーフライング世界選手権(オーベルストドルフ)では団体で金メダルを獲得しています。
このシーズンの終盤、ドイツのヴィリンゲンでの大会で、アンドレアス・ゴルトベルガー以来12年ぶりとなるオーストリア人選手によるワールドカップ総合優勝を決定しました。最終的にグレゴア・シュリーレンツァウアーに233ポイント差をつけ、自身初のワールドカップ総合優勝を果たしました。
2.3. 世界舞台での継続的な成功
2008-09シーズンは個人優勝こそなかったものの、2009年のノルディックスキー世界選手権(リベレツ)では団体ラージヒルで金メダルを獲得しました。このシーズンのワールドカップ総合では7位となり、個人戦ではノーマルヒル8位、ラージヒル10位という成績でした。
2009-10シーズンにはワールドカップで2勝を挙げました。具体的には、2010年1月6日にオーストリアのビショフスホーフェン、そして1月16日に日本の札幌にある大倉山ジャンプ競技場で勝利を収めました。このシーズンには、2010年のスキーフライング世界選手権(プラニツァ)と2010年バンクーバーオリンピックの団体戦でそれぞれ金メダルを獲得しました。ワールドカップ総合順位は3位でした。
2010-11シーズンは再び非常に好調なスタートを切り、最初の6戦中4戦で優勝しました。このシーズン、彼は初めてスキージャンプ週間で総合優勝を果たしました。2011年1月にはチェコのハラコフで自身初となるスキーフライングイベントでの優勝を記録しました。そして、2月13日にノルウェーのヴィケルスンで開催されたスキーフライング競技で5位に入ったことにより、自身2度目となるワールドカップ総合優勝を確定させました。
2011年ノルディックスキー世界選手権(オスロ)では、個人ノーマルヒルで金メダルを獲得し、これが世界選手権での自身初の個人金メダルとなりました。さらに、団体ノーマルヒルと団体ラージヒルでもアンドレアス・コフラー、マルティン・コッホ、グレゴア・シュリーレンツァウアーとともに金メダルを獲得しました。個人ラージヒルでは、2本目の着地で減点を受け、チームメイトのシュリーレンツァウアーにわずか0.3ポイント及ばず銀メダルとなりました。


2011-12シーズンはワールドカップで1勝を挙げ、総合では7位という成績で終えました。


2.4. 負傷、最終シーズン、そして引退
2013-14シーズン中、モルゲンシュテルンは深刻な負傷に見舞われました。2014年1月10日、オーストリアのバート・ミッテルンドルフで行われたスキーフライング大会の練習中に頭部に重傷を負う事故が発生しました。
しかし、彼は驚異的な回復力を見せ、怪我から間もなく開催された2014年ソチオリンピックに間に合わせ、出場を果たしました。ソチでは個人ノーマルヒルで14位、個人ラージヒルで40位という結果でしたが、ロシアのルススキエ・ゴルキ・ジャンピングセンターで開催された団体ラージヒル競技では、オーストリアチームの一員として銀メダルを獲得しました。この団体戦でのジャンプが、彼の競技人生における最後のジャンプとなりました。


2014年9月26日、トーマス・モルゲンシュテルンはプロのスキージャンプ選手としての現役引退を正式に発表しました。彼はこの引退が、度重なる怪我とそれからの回復の過程での困難に起因するものであることを示唆しました。
3. 競技記録と統計
3.1. ワールドカップ順位
シーズン | 個人総合 | スキージャンプ週間 | スキーフライング | ノルディックトーナメント |
---|---|---|---|---|
2002/03 | 20 | 10 | 該当なし | 9 |
2003/04 | 6 | 4 | 該当なし | 9 |
2004/05 | 7 | - | 該当なし | 8 |
2005/06 | 5 | 20 | 該当なし | - |
2006/07 | 6 | 4 | 該当なし | 17 |
2007/08 | 1位 | 2位 | 該当なし | 6 |
2008/09 | 7 | 8 | 18 | 8 |
2009/10 | 3位 | 6 | 18 | - |
2010/11 | 1位 | 1位 | 3位 | 該当なし |
2011/12 | 7 | 2位 | 7 | 該当なし |
2012/13 | 25 | 16 | - | 該当なし |
2013/14 | 15 | 2位 | - | 該当なし |
3.2. ワールドカップ個人優勝
トーマス・モルゲンシュテルンが獲得したワールドカップ個人優勝の各大会について、日付、開催地、開催国、ヒルサイズなどの詳細情報を表形式で掲載します。
No. | シーズン | 日付 | 開催地 | ヒル | サイズ |
---|---|---|---|---|---|
1 | 2002/03 | 2003年1月11日 | リベレツ(チェコ) | イェシュテッドA K120 (夜間) | ラージヒル |
2 | 2005/06 | 2006年3月10日 | リレハンメル(ノルウェー) | リースゴールズバッケン HS134 (夜間) | ラージヒル |
3 | 2007/08 | 2007年12月1日 | クーサモ(フィンランド) | ルカトゥントゥリ HS142 (夜間) | ラージヒル |
4 | 2007年12月8日 | トロンハイム(ノルウェー) | グラナーセン HS131 (夜間) | ラージヒル | |
5 | 2007年12月9日 | トロンハイム(ノルウェー) | グラナーセン HS131 | ラージヒル | |
6 | 2007年12月13日 | フィラッハ(オーストリア) | フィラッハー・アルペンアリーナ HS98 | ノーマルヒル | |
7 | 2007年12月14日 | フィラッハ(オーストリア) | フィラッハー・アルペンアリーナ HS98 (夜間) | ノーマルヒル | |
8 | 2007年12月22日 | エンゲルベルク(スイス) | グロース・ティトリス・シャンツェ HS137 | ラージヒル | |
9 | 2007年12月30日 | オーベルストドルフ(ドイツ) | シャッテンベルクシャンツェ HS137 (夜間) | ラージヒル | |
10 | 2008年2月2日 | 札幌(日本) | 大倉山 HS134 (夜間) | ラージヒル | |
11 | 2008年2月3日 | 札幌(日本) | 大倉山 HS134 | ラージヒル | |
12 | 2008年2月8日 | リベレツ(チェコ) | イェシュテッドA HS134 (夜間) | ラージヒル | |
13 | 2009/10 | 2010年1月6日 | ビショフスホーフェン(オーストリア) | パウル・アウスザーライトナー・シャンツェ HS140 (夜間) | ラージヒル |
14 | 2010年1月16日 | 札幌(日本) | 大倉山 HS134 (夜間) | ラージヒル | |
15 | 2010/11 | 2010年12月4日 | リレハンメル(ノルウェー) | リースゴールズバッケン HS138 (夜間) | ラージヒル |
16 | 2010年12月5日 | リレハンメル(ノルウェー) | リースゴールズバッケン HS138 | ラージヒル | |
17 | 2010年12月17日 | エンゲルベルク(スイス) | グロース・ティトリス・シャンツェ HS137 | ラージヒル | |
18 | 2010年12月18日 | エンゲルベルク(スイス) | グロース・ティトリス・シャンツェ HS137 | ラージヒル | |
19 | 2010年12月30日 | オーベルストドルフ(ドイツ) | シャッテンベルクシャンツェ HS137 (夜間) | ラージヒル | |
20 | 2011年1月4日 | インスブルック(オーストリア) | ベルクイーゼルシャンツェ HS130 | ラージヒル | |
21 | 2011年1月9日 | ハラコフ(チェコ) | チェルチャーク HS205 | フライングヒル | |
22 | 2011/12 | 2012年1月6日 | ビショフスホーフェン(オーストリア) | パウル・アウスザーライトナー・シャンツェ HS140 (夜間) | ラージヒル |
23 | 2013/14 | 2013年12月14日 | ティティゼー=ノイシュタット(ドイツ) | ホッホフィアストシャンツェ HS142 | ラージヒル |
3.3. その他の主要大会優勝
大会 | 日付 | 開催地 | 開催国 |
---|---|---|---|
ノルディックスキー世界選手権 | |||
団体ノーマルヒル | 2005年2月19日 | オーベルストドルフ | ドイツ |
団体ラージヒル | 2005年2月20日 | オーベルストドルフ | ドイツ |
団体ラージヒル | 2007年2月24日 | 札幌 | 日本 |
団体ラージヒル | 2009年2月28日 | リベレツ | チェコ |
個人ノーマルヒル | 2011年2月26日 | オスロ | ノルウェー |
団体ノーマルヒル | 2011年2月27日 | オスロ | ノルウェー |
団体ラージヒル | 2011年3月5日 | オスロ | ノルウェー |
団体ラージヒル | 2013年3月2日 | ヴァル・ディ・フィエンメ | イタリア |
スキーフライング世界選手権 | |||
団体 | 2008年2月24日 | オーベルストドルフ | ドイツ |
団体 | 2010年3月20日 | プラニツァ | スロベニア |
団体 | 2012年2月26日 | ヴィケルスン | ノルウェー |
スキージャンプ・サマーグランプリ | |||
個人 | 2003年8月10日 | ヒンターツァルテン | ドイツ |
個人 | 2005年8月14日 | クールシュヴェル | フランス |
個人 | 2007年8月12日 | ヒンターツァルテン | ドイツ |
個人 | 2007年8月18日 | アインジーデルン | スイス |
個人 | 2007年8月24日 | ザコパネ | ポーランド |
個人 | 2011年7月17日 | ヴィスワ | ポーランド |
個人 | 2011年7月20日 | シュチェルク | ポーランド |
個人 | 2011年7月23日 | ザコパネ | ポーランド |
個人 | 2011年8月7日 | ヒンターツァルテン | ドイツ |
個人 | 2011年8月13日 | クールシュヴェル | フランス |
ノルディックスキージュニア世界選手権 | |||
個人 | 2003年2月8日 | ソレフティア | スウェーデン |
団体 | 2003年2月8日 | ソレフティア | スウェーデン |
スキージャンプ・コンチネンタルカップ | |||
個人 | 2002年12月15日 | ラハティ | フィンランド |
個人 | 2002年12月21日 | リベレツ | チェコ |
個人 | 2002年12月22日 | リベレツ | チェコ |
4. 受賞と栄誉
トーマス・モルゲンシュテルンは、その輝かしいキャリアを通じて数々の賞や栄誉を受けています。
- 2004年: オーストリア共和国功績勲章金メリットバッジ
- 2006年: オーストリア共和国功績勲章グランドデコレーション
- 2008年、2011年: オーストリアスポーツパーソナリティ・オブ・ザ・イヤー
- 2005年、2008年、2009年、2011年: オーストリアスキージャンプチームの一員としてオーストリアスポーツチーム・オブ・ザ・イヤー
- 2008年、2010年を含む4回: ケルンテン州スポーツパーソナリティ・オブ・ザ・イヤー
5. 私生活
トーマス・モルゲンシュテルンは、2013年に10年間交際していたガールフレンドと別れ、新しい理学療法士のガールフレンドとハワイへ旅行しました。元婚約者との間には2012年12月26日に娘リリーが生まれています。また、現在のパートナーであるサブリナとの間には、2021年に双子の娘サラとティナが誕生しています。
6. 遺産と影響
トーマス・モルゲンシュテルンは、スキージャンプ競技の歴史において「最も成功した選手の一人」としてその名を刻んでいます。彼は2007-08シーズンにワールドカップ開幕6連勝という史上最多タイ記録を樹立し、また2度のワールドカップ総合優勝を果たすなど、その支配的な活躍は多くのファンに記憶されています。オリンピックでの3つの金メダル、ノルディックスキー世界選手権での8つの金メダル、スキーフライング世界選手権での3つの金メダルという輝かしい功績は、彼の卓越した技術と精神力を物語っています。
特に、2014年のソチオリンピック直前に負った頭部の重傷から奇跡的に回復し、競技に復帰して銀メダルを獲得したことは、彼の不屈の精神と、限界を超える挑戦の象徴として、多くの人々に感動とインスピレーションを与えました。彼の競技への情熱と、困難に立ち向かう姿勢は、後進の選手たちにとって大きな手本となり、スキージャンプ競技の発展と人気向上に貢献したと言えるでしょう。モルゲンシュテルンのキャリアは、単なるスポーツの記録に留まらず、人間的な強さと回復力の物語として、長く語り継がれる遺産となっています。