1. 生い立ちと教育
前田治は、1965年9月5日に福岡県福岡市で生まれた。幼少期は調布市立若葉小学校、福岡市立梅林中学校に通学した。
1.1. 少年時代と学歴
少年時代からサッカーに打ち込み、高校サッカーの強豪である帝京高校へ進学した。高校在学中の1983年度、高校選手権の決勝で清水東高校と対戦。この試合で決勝点となるボレーシュートを決め、帝京高校を4度目の選手権制覇へと導く原動力となった。
1.2. 初期キャリアとアマチュア活動
高校卒業後の1984年に東海大学に進学した。当時、東海大学は関東大学リーグ2部に在籍していたが、前田は中心選手として活躍し、2年間でチームを1部昇格に導いた。さらに、昇格初年度の1986年には関東大学リーグ1部での優勝に貢献した。この大学時代には、2部時代を含めて4年連続で得点王を獲得するという目覚ましい記録を達成した。
これらの目覚ましい活躍が評価され、大学在学中の1987年には早くも日本代表に選出された。また、ユニバーシアード日本代表やユース日本代表としても国際舞台を経験した。
2. 選手キャリア
前田治の選手キャリアは、国内クラブでの輝かしい活躍と、日本代表としての国際舞台での貢献に分けられる。
2.1. クラブキャリア
2.1.1. 横浜フリューゲルス
1988年、日本サッカーリーグ1部に所属する全日空クラブ(後に横浜フリューゲルスに改称)に入団した。ルーキーシーズンとなった1988-89シーズンには、クラブはリーグ戦で2位の好成績を収め、前田自身も「リーグ新人王」を受賞する活躍を見せた。
その後、怪我に悩まされて一時的にパフォーマンスが停滞する時期もあったが、Jリーグ創設に伴いチーム名が横浜フリューゲルスに変更されると、再びその才能を開花させた。1993年シーズンのサントリーシリーズ(1stステージ)では、清水エスパルスとの開幕戦から4試合連続ゴールを挙げるなど、チームの攻撃を牽引した。この活躍により、Jリーグオールスターサッカーにも選出された。怪我による離脱もあったものの、このシーズンはリーグ戦だけで10得点を記録する活躍を見せた。
同年開催された第73回天皇杯では、1回戦から準決勝のサンフレッチェ広島戦まで4試合連続で得点を記録した。特に準決勝では先制点を挙げ、チームを勢いづけた。決勝の鹿島アントラーズ戦では自らゴールを奪うことはできなかったものの、先制点となるPKを獲得し、チームの天皇杯優勝に大きく貢献した。
国際舞台でもクラブは成功を収め、1994-95 AFCカップウィナーズカップと1995 アジアスーパーカップで優勝を果たした。しかし、1996年シーズンはベンチ入りすらできない試合が増え、出場機会が激減したため、この年を最後に現役を引退した。
2.2. 日本代表キャリア
前田の日本代表での国際Aマッチデビューは、1988年1月27日にアラブ首長国連邦のドバイで行われたアラブ首長国連邦との親善試合であった。彼はすぐにレギュラーとして定着し、1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会アジア1次予選にも出場した。
国際Aマッチでの初得点は、1988年2月2日にオマーンのマスカットで行われたオマーンとの親善試合で記録した。この得点は、日本代表にとって昭和時代における最後の得点という歴史的な意味合いも持っていた。さらに、1989年1月20日にイランのテヘランで行われたイランとの親善試合では2得点を挙げ、そのうちの1得点が日本代表にとって平成時代における初の得点となった。
国際Aマッチでは通算14試合に出場し、6得点を記録した。彼の代表活動は1989年まで続いた。
3. 引退後の活動
現役引退後、前田治は指導者として後進の育成に尽力する傍ら、サッカー解説者としても活動している。
3.1. 指導者キャリア
選手としてのキャリアを終えた後、前田は指導者としての道を歩み始めた。1998年には古巣である横浜フリューゲルスのジュニアユースチームのコーチを務め、1999年から2000年にかけては横浜F・マリノスジュニアユース菅田の監督を歴任した。
2003年にはNPOFスポーツアカデミーを立ち上げ、現在は「前田治Fサッカースクール」を主宰し、子どもたちの指導に情熱を注いでいる。彼の活動は、次世代のサッカー選手の育成に貢献し、地域社会のスポーツ振興にも寄与している。
3.2. その他の活動
指導者としての活動の傍ら、その他の対外的な活動にも積極的に参加している。自身が小学校時代を過ごした東京都調布市をホームタウンとするJリーグクラブ、FC東京のホーム試合中継では、TOKYO MX制作のレギュラー解説者を務めている。また、東京中日スポーツではFC東京の試合を分析するコラムを連載しており、幅広い層にサッカーの魅力を伝えている。
4. 記録
ここでは、前田治のクラブおよび日本代表としての主な成績と特筆すべき記録をまとめる。
4.1. クラブ成績
シーズン | クラブ | リーグ | リーグ戦 (出場) | リーグ戦 (得点) | 天皇杯 (出場) | 天皇杯 (得点) | リーグカップ (出場) | リーグカップ (得点) | 通算 (出場) | 通算 (得点) |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日本 | ||||||||||
1988-89 | 全日空 | JSL1部 | 22 | 10 | 0 | 0 | 2 | 0 | 24 | 10 |
1989-90 | 16 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 19 | 4 | ||
1990-91 | 16 | 3 | 0 | 0 | 4 | 1 | 20 | 4 | ||
1991-92 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | ||
1992 | 横浜フリューゲルス | J | - | - | 0 | 0 | 9 | 3 | 9 | 3 |
1993 | 32 | 10 | 5 | 4 | 6 | 1 | 43 | 15 | ||
1994 | 39 | 11 | 2 | 0 | 2 | 0 | 43 | 11 | ||
1995 | 29 | 8 | 2 | 0 | - | - | 31 | 8 | ||
1996 | 3 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 | ||
総通算 | 164 | 45 | 9 | 4 | 29 | 6 | 202 | 55 |
その他の公式戦:
- コニカカップ (1990年): 6試合出場、3得点
4.2. 日本代表成績
年 | 国際Aマッチ (出場) | 国際Aマッチ (得点) | その他代表戦 (出場) | その他代表戦 (得点) | 合計 (出場) | 合計 (得点) |
---|---|---|---|---|---|---|
1987 | 0 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 |
1988 | 5 | 1 | 14 | 4 | 19 | 5 |
1989 | 9 | 5 | 9 | 2 | 18 | 7 |
総通算 | 14 | 6 | 26 | 6 | 40 | 12 |
4.2.1. 日本代表Aマッチ出場記録
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1988年01月27日 | ドバイ | アラブ首長国連邦 | △1-1 | 横山謙三 | 国際親善試合 | ||
2. | 1988年01月30日 | アブダビ | アラブ首長国連邦 | ●0-2 | 国際親善試合 | |||
3. | 1988年02月02日 | マスカット | オマーン | △1-1 | 国際親善試合 | |||
4. | 1988年06月02日 | 愛知県 | 名古屋市瑞穂公園陸上競技場 | 中華人民共和国 | ●0-3 | キリンカップ | ||
5. | 1988年10月26日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | ||
6. | 1989年01月20日 | テヘラン | イラン | △2-2 | 国際親善試合 | |||
7. | 1989年05月05日 | ソウル | 韓国 | ●0-1 | 日韓定期戦 | |||
8. | 1989年05月10日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | 中華人民共和国 | △2-2 | 国際親善試合 | ||
9. | 1989年05月13日 | 岡山県 | 岡山県総合グラウンド陸上競技場 | 中華人民共和国 | ○2-0 | 国際親善試合 | ||
10. | 1989年05月22日 | 香港 | 香港 | △0-0 | ワールドカップ予選 | |||
11. | 1989年05月28日 | インドネシア | インドネシア | △0-0 | ワールドカップ予選 | |||
12. | 1989年06月04日 | 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 朝鮮民主主義人民共和国 | ○2-1 | ワールドカップ予選 | ||
13. | 1989年06月11日 | 東京都 | 国立西が丘サッカー場 | インドネシア | ○5-0 | ワールドカップ予選 | ||
14. | 1989年06月18日 | 愛知県 | 神戸総合運動公園ユニバー記念競技場 | 香港 | △0-0 | ワールドカップ予選 |
4.2.2. 日本代表Aマッチ得点記録
4.3. 特筆すべき記録
- Jリーグ初出場・初得点:1993年5月16日 対清水エスパルス戦(三ツ沢公園球技場)
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1988年1月27日 対アラブ首長国連邦戦(ドバイ)
- 日本代表初出場(その他代表戦):1987年1月8日 対上海市(中国)戦(上海)
- 日本代表初得点(国際Aマッチ):1988年2月2日 対オマーン戦(マスカット) (日本代表にとって昭和最後の得点)
- 日本代表初得点(平成):1989年1月20日 対イラン戦(テヘラン)
- リーグ新人王(1988-89年シーズン)
- 関東大学リーグ4年連続得点王(2部リーグ時代を含む)
- 関東大学リーグ1部優勝(1986年、東海大学)