1. 概要
エジプト出身の大砂嵐 金崇郎(おおすなあらし きんたろう、本名:عبد الرحمن شعلانアブデラフマン・シャーランアラビア語)は、アフリカ大陸出身者として初のプロ大相撲力士である。また、初のムスリム(イスラム教徒)の力士としても注目を集めた。その四股名は「偉大な砂嵐」を意味し、本名の一部に由来する。
大砂嵐は大嶽部屋に所属し、前相撲から幕内まで異例の速さで昇進し、横綱からの金星獲得など華々しい活躍を見せた。しかし、度重なる怪我に苦しみ、さらに無免許運転による交通事故という不祥事を起こしたことで、日本相撲協会から引退勧告を受け、2018年に現役を引退した。引退後は総合格闘技(MMA)に転身し、RIZINでデビュー戦を行ったが、その後も不祥事が発覚し契約を解除された。現在はアメリカ合衆国に拠点を移し、「コンバット相撲」の選手として活動を続けている。
2. 生い立ちと背景
大砂嵐は、プロ相撲力士となる以前から、その身体能力と格闘技への情熱を示していた。
2.1. 入門前のアクティビティと相撲との出会
1992年2月10日、エジプトのダカリーヤ県で生まれ、首都カイロ近郊のギザ郊外で育った。幼少期から活発で、7歳で空手を始めた。しかし、12歳の時に県の空手選手権で相手選手を侮辱され、殴って骨折させてしまい、道場を辞めさせられた。この時、父親から「格闘技は人を傷つけるためのものではない」と諭されたという。
11歳の頃にはボディビルを始め、14歳の時に初めて相撲を知る。当時、自身は体重120 kgの筋骨隆々とした体格であったが、通っていたボディビルジムで出会った体重65 kgの細身の青年と相撲を取り、7番全てに敗れるという衝撃的な経験をした。この時の決まり手(下手投げ、上手投げ、寄り切り3回、立ち合いの変化2回)を鮮明に覚えているほど、大きなショックを受け、「頭、パニックね」と感じたという。この経験がきっかけで、見よう見まねで相撲を始めた。
アマチュア相撲では目覚ましい活躍を見せた。2008年にはエジプト国内の無差別級王者となり、同年エストニアで開催された世界ジュニア選手権では無差別級で銅メダルを獲得した。翌2009年にはブルガリアのアマチュア選手権で金メダルを獲得し、2010年の世界ジュニア選手権(エストニア)でも銅メダル、2011年の世界ジュニア選手権では重量級で銅メダルを獲得するなど、国際舞台でも実績を残した。
カイロ大学で会計学や経営学を学んでいたが、相撲への情熱を捨てきれずにいた。プロ相撲の試合をYouTubeで視聴したことがきっかけで、相撲界への関心を深めた。自身以前にアフリカ大陸やイスラム圏から力士が出ていないことから、「歴史をつくりたい」という幼少期からの渇望と相撲への道が一致し、エジプト革命の最中であった2011年8月に、日本に関する知識がほとんどないまま休学して来日することを決意した。
3. 来歴
大砂嵐のプロ大相撲力士としてのキャリアは、異例の速さでの昇進と、度重なる苦難、そして不祥事による引退という波乱に満ちたものだった。
3.1. 日本への渡航と入門
来日後、複数の相撲部屋で体験入門を試みたが、6部屋全てで正式入門を断られた。しかし、大砂嵐がエジプトから複数の部屋へ送った入門希望の手紙の中で、唯一返事が来たのが大嶽部屋だった(当初は断りの返事だった)。7部屋目で大嶽部屋への入門が決定した際、大嶽親方は「宗教や外国人であるかは関係ない。一人の青年として、最近の若者に見られない熱いものがあった」と語り、彼の情熱を評価した。
2011年11月場所から見習いとして大嶽部屋に同行。宿舎でのトイレ掃除などの「テスト」を課され、兄弟子たちからも「ちゃんとやっている。話も通じる」と評価されたことで、同行から2ヶ月後に入門を許可された。2012年1月場所前に新弟子検査を受け、興行ビザを取得した後、日本相撲協会の規定により、同年3月場所で初土俵を踏んだ。
彼の四股名「大砂嵐」は、本名の一部である「シャーラン」に「砂」(シャ)と「嵐」(ラン)を当て字にしたもので、「偉大な砂嵐」を意味する。また、師匠である大嶽親方(元十両・大竜)の四股名から「大」の字をもらった。下の名前の「金太郎」は、大嶽親方が外国出身力士に非常に日本的な響きの名前を持たせるべきだと考えたことと、日本の民話に登場する金太郎がクマと相撲を取って勝つほどの怪力であったことにあやかる願いが込められている。
3.2. 番付の昇進と主な実績
2012年1月場所で前相撲に出場し、同年5月場所には序ノ口西5枚目でプロデビュー。この場所で7戦全勝を飾り、序ノ口優勝を果たした。続く7月場所では蜂窩織炎のため初日から休場したが、3番相撲から出場し、残りの取組を全て勝利して5勝1敗1休の成績を収めた。同年9月場所以降は順調に番付を上げ、どの場所でも2敗を超える負け越しを経験することなく勝ち越しを続けた。
2013年1月場所で幕下に昇進し、同時に部屋頭となった。同年1月19日に元横綱・大鵬が急逝した際には、大鵬の孫弟子にあたる当時幕下の大砂嵐が「オレの目の届くうちに関取になってほしい」という大鵬の願いを叶えられず涙した様子が報じられた。同年5月場所では東幕下7枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝を果たし、翌7月場所での十両昇進が決定した。これにより、大嶽部屋からは親方となって以来初の関取が誕生し、さらにアフリカ大陸出身者としても史上初の関取となった。
新十両場所では、イスラム教のラマダーン期間中であったにもかかわらず、10勝5敗と勝ち越しを記録した。同年8月には2013年エジプトクーデターの混乱の中、一時エジプトに帰国したが、帰国後には「力士は政治や宗教に関する意見は言わない方がいい」とコメントを控えた。しかし、ラジオ番組に出演した際には、母国の平和的解決は非常に難しいと述べた。続く9月場所は、直前に大腸炎に見舞われたが、東十両4枚目で10勝5敗と再び勝ち越し、十両をわずか2場所で通過した。
同年11月場所で西前頭15枚目として新入幕を果たした。エジプト出身力士としては史上初、初土俵から10場所所要での新入幕は、1958年以降の初土俵力士(幕下付け出しを除く)では史上単独2位の速さ(外国出身力士としては単独1位)であった。しかし、この場所では立ち合いの威力が思うように通用せず、7勝8敗と初土俵以来初の負け越しを経験した。
2014年1月場所では9勝6敗と初の幕内勝ち越しを決め、翌3月場所では初日から7連勝と好調な滑り出しを見せ、前半では優勝も期待された。しかし、8日目の遠藤戦で敗れた際に右脚付け根を負傷し、日本相撲協会に診断書を提出して10日目から休場した。12日目から再出場したが、以降3連敗を喫し、千秋楽の豊響戦でようやく勝ち越しを果たした(8勝6敗1休)。この場所の14日目、北太樹戦では3回の「待った」を記録し、両者は取組後審判部に呼ばれ注意を受けた。5月場所では10勝5敗と二桁勝利を挙げた。

続く7月場所では自己最高位となる西前頭3枚目まで番付を上げた。この場所はラマダーン期間中であったため、日中の飲食ができないことを考慮し、異例の夕方からの番付発表会見が行われた。断食明けには大量の食事を摂る姿が報じられた。この場所では、5日目に自身初の横綱戦で鶴竜を掬い投げに破り、横綱初挑戦で初金星を獲得した。これは初土俵から15場所目での金星獲得であり、小錦に次ぐ史上2位の速さであった。さらに翌6日目には日馬富士も引き落としで破り、史上初となる初金星からの2日連続金星という快挙を達成した。この活躍が評価され、勝ち越せば自身初の三賞となる殊勲賞の受賞が決定していたが、千秋楽の妙義龍戦で敗れて負け越したため、受賞はならなかった。
2015年は一年を通じて怪我に苦しんだ。皆勤できた場所では全て勝ち越したが、怪我による休場や大敗で番付を大きく落とすという動きを繰り返した。同年11月場所では自己最高位となる西前頭筆頭まで番付を上げたが、2日目に日馬富士から3個目の金星を獲得したものの、左膝内側半月板を損傷し、14日目から途中休場(5勝9敗1休)となった。満身創痍の状態で土俵に上がり続けるよりも、一度しっかりと治療することを決断し、同年12月に内視鏡手術を受けたため、2016年1月場所は自身初の全休となった。
十両に陥落して迎えた2016年3月場所で復帰すると、まだ万全ではない中で13勝2敗の好成績を挙げ、十両優勝を果たし、翌場所での幕内復帰を確実にした。しかし、西前頭7枚目で迎えた5月場所は9勝6敗と勝ち越したものの、続く7月場所では古傷の左膝の状態が悪化し、全休(初日は不戦敗)となった。このため、9月場所では再び十両へ陥落した。9月場所では左内転筋挫傷のため6日目から途中休場したが、8日目から再出場し、6勝8敗1休で終えた。11月場所では右膝関節捻挫・半月板損傷の疑いのため13日目から途中休場したが、9勝4敗2休と勝ち越し、幕内へ復帰した。

2017年1月場所は西前頭16枚目で幕内に復帰。初日から3連勝と好調なスタートを切ったが、3日目の千代大龍戦で勝利した際に自身も土俵下に落ち、足を気にする素振りを見せた。すると4日目以降、突如として足の踏ん張りが効かなくなり、ここから11連敗を喫した。千秋楽は勝利して連敗を止めたが、4勝11敗と大きく負け越し、十両再降格が決定的となった。東十両7枚目まで番付を下げた3月場所は、開幕から好調で一時9勝2敗と優勝争いの単独トップに立ったが、そこから痛恨の3連敗。千秋楽は勝利し、10勝5敗で6人が並んだ優勝決定巴戦に進出したが、豊響に本割に続いて敗れ、優勝は果たせなかった。5月場所は西十両筆頭に番付を上げたが、2勝13敗と精彩を欠いた。新十両昇進以来の低地位となる東十両11枚目で迎えた7月場所は、星取によっては幕下陥落の危機に瀕したが、14日目に勝ち越しを確定させ、最終的に8勝7敗で終えた。9月場所は東十両10枚目で迎えたが、9日目終了時点で2勝7敗と再び幕下陥落が見える星だったものの、そこから持ち直して6勝9敗に収めた。11月場所は東十両13枚目で迎え、序盤は黒星が先行したが、7日目から6連勝で勝ち越しを決めた。11日目の剣翔戦では、立ち合いのかち上げがクリーンヒットする形となり、剣翔が脳震盪を起こすアクシデントもあった。最終的に9勝6敗と勝ち越した。
2018年1月場所は序盤から星が上がらない上に、後述の無免許運転による交通事故の件で途中休場し、1勝8敗6休という成績に終わった。これにより、28場所守ってきた関取の座を失うこととなった。
3.3. 相撲の取り口
大砂嵐は、日本相撲協会のプロフィールでは得意技を「突き/押し」と記しており、キャリアで最も多かった決まり手は「寄り切り」と「突き出し」だった。特に右腕のパワーには定評があり、立ち合いのかち上げや相手の胸をめがけての突っ張りを得意とした。とっさの叩き込みも見られた。非常に腕力と足腰が強く、がっぷり四つに組んだ際の力は横綱・大関を苦戦させるほどであったが、概して力任せな場面がうかがえた。
入門当初、師匠の大嶽親方は「腕力はあるが体が硬く腰が高い。上突っ張りなので下から突けるようになればいい」と、その荒削りさを指摘していた。新入幕会見では「オレの相撲は80・90%がパワー。幕内の相撲とは全然違う」と自身の相撲スタイルに対する認識を口にしていた。
かち上げについては、特に2014年7月場所で積極的に使用したことや、顔面をめがけて横殴りに見舞うその変則的な形から物議を醸したことがある。以降、立ち合いのかち上げは基本的に控えていたが、2017年11月場所11日目の剣翔戦でもかち上げを行い、剣翔を脳震盪を起こさせた。元横綱の武蔵川には「自分の形になった方がいいんだけど、相手の形になってから無理をしている。だから怪我しちゃうんだよね。自分の形になるまで時間が掛かってしまうという、この欠点が直れば、きっと三役まで行けるよ」と評されていた。
3.4. 怪我と苦難
大砂嵐は、その荒々しい相撲スタイルが仇となり、特に2015年以降は度重なる怪我に苦しんだ。2012年7月場所の蜂窩織炎に始まり、2014年3月場所の右脚付け根の負傷、2015年5月場所の左肩甲骨骨折、同年11月場所の左膝内側半月板損傷(手術)、2016年7月場所の左膝半月板損傷、同年9月場所の左内転筋挫傷、同年11月場所の右膝関節捻挫・半月板損傷の疑いなど、多くの怪我を経験した。
2015年1月場所から2016年11月場所まで、皆勤した場所では全て勝ち越したが、怪我をした場所では大敗や全休によって大きく番付を落とすという動きを繰り返した。好角家として知られるはなわは、大砂嵐の相撲について「腕力だけでいっているからね。基礎からやったとしても、癖が抜けそうもないし。そもそもの持っている癖が原因かもしれないし」と述べ、怪我がその取り口に起因している可能性を指摘していた。
4. イスラム教徒としての活動
大砂嵐はイスラム教徒であり、その信仰が大相撲力士としての生活に様々な影響を与えた。ムスリムが大相撲力士になる場合、主に以下の4点が課題となる。
- 豚肉やその副産物、アルコールを含む食品を食べられない(ハラール)
- 1日5回の礼拝(サラート)
- 腰から膝までを他人にみせてはいけない。
- ラマダーン(ヒジュラ暦9月)における日中時間帯の断食
これらの課題に対し、大砂嵐と大嶽部屋は工夫を凝らして両立を図った。食事に関しては、必要に応じて豚肉やアルコール類抜きのちゃんこ鍋を別に用意するなどして対応した。大砂嵐自身も「こうした課題もトレーニングの一部」と捉え、日中の断食中も稽古や場所中の生活に励んだ。
特にラマダーン期間中の本場所は大きな試練となった。2012年7月場所では、場所中にラマダーンを迎えたが、日没後に食事を摂るなどの工夫で乗り切り、勝ち越した。2013年7月場所では、4日目から12日間がラマダーンと重なる中で、12日目に勝ち越しを決め、最終的に10勝5敗の成績を挙げた。本人は「成績は良くない。15日全部勝つつもりだった。ラマダンは大丈夫でした」と語ったが、この年はラマダーン中に体重が7 kgも減少した。
本場所以外の巡業においても、ラマダーンの影響でスタミナ切れに苦しむことがあった。ヒジュラ暦はグレゴリウス暦より約10日間短いため、ラマダーンの時期は毎年約11日ずつ前倒しされるため、大砂嵐は本場所のない時期でもラマダーンの苦労を避けられない運命にあった。ラマダーンの時期には、日中水分補給ができない代わりに、大嶽親方が様子を見ながらホースで水をかけて後頭部や脇の下などリンパ節を冷やすことも試みられたが、体が冷えて稽古にならないため、この方法は中止された。
5. 不祥事と引退
大砂嵐の相撲キャリアは、複数の不祥事によって突如として終わりを告げた。
2018年1月3日、長野県下高井郡山ノ内町で交通事故を起こした。当初、NHKが「本人と妻を警察が取り調べた」と報じたが、大砂嵐本人は「運転はしていなかった」と否定し、日本相撲協会や大嶽親方にも報告しなかった非を認め、初場所を9日目の1月22日から休場した。
しかし、その後の長野県警中野署の捜査により、監視カメラ映像などの証拠から、運転していたのが大砂嵐本人であったことが判明した。当初の主張に反して、大砂嵐は警察に「自分が運転した」と認めた。所持していた国際運転免許証は失効しており、道路交通法の無免許運転などの容疑で捜査が進められた。この事故に際し、一部メディアでは重婚未遂疑惑や不倫相手とされる女性の存在も報じられた。
2月1日、日本相撲協会は検察の処分決定を待つ間、大砂嵐を「自宅謹慎」とした。2月7日、長野県警は大砂嵐を道路交通法違反(無免許運転)の疑いで書類送検。2月16日には長野区検が大砂嵐を略式起訴し、長野簡裁は同日、罰金50.00 万 JPYの略式命令を出し、即日納付された。
相撲協会は、大砂嵐が虚偽の説明をしていたことも重く見て、解雇を含む厳罰を協議した。そして、2018年3月9日、相撲協会より引退勧告の処分が下され、大砂嵐はこれを受け入れ、即日引退を表明して角界を去った。虚偽の説明があったため、退職金は30%カットされる重罰が科された。また、大砂嵐の引退後、大嶽親方は断髪式を行わないことを明かした。
6. 引退後の活動
大相撲を引退した後、大砂嵐は様々な分野で活動の場を広げた。
6.1. 総合格闘家への転向
2018年3月31日深夜(4月1日放送)のTBS『オールスター後夜祭』にガチ相撲トーナメント出場者のサプライズ出演者として登場した。これが引退後初のメディア出演であり、既に断髪し、スキンヘッドに髭を蓄えた姿を披露した。入場曲にはDarudeの『Sandstorm』が使用された。
2018年5月2日、ガチ相撲トーナメント決勝で対戦したジョシュ・バーネットの指導を受け、総合格闘技への転身とRIZINへの参戦を公表した。同年7月29日に開催されたRIZIN.11のリング上で、9月30日にさいたまスーパーアリーナで行われるRIZIN.13でデビューすることを発表した。
2018年9月30日、RIZIN.13で総合格闘技デビュー戦を行い、ボブ・サップと対戦した。1ラウンドは打撃で優位に立ったものの、2、3ラウンドは劣勢となり、消極的な試合運びからイエローカードを出された結果、3ラウンド判定(0-3)で敗れた。この試合の入場曲には『吹けよ風、呼べよ嵐』が使用された。
しかし、2018年10月26日、RIZINは同年4月にも大砂嵐が無免許運転を行っていた疑いが発覚したことを受け、代理人を通じて本人に確認したところ事実関係を認めたため、大砂嵐との契約を解除したことを発表した。
6.2. その他の活動と近況
2022年には、ワールドゲームズ2022の相撲競技でエジプト代表チームのコーチを務めた。しかし、男子軽量級で優勝したアブデラフマン・エル=セフィー選手が過度な勝利のパフォーマンスを見せ、大砂嵐が審判に激しく抗議したことで、「スポーツマンシップに反する行為」としてエジプト相撲チームは残りの相撲イベントへの出場を禁止された。
その後、大砂嵐はアメリカ合衆国に渡り、当初はカリフォルニア州に居住していたが、2021年からはニュージャージー州クリフトンに在住している。現在は現地で「コンバット相撲」の選手として活動しており、自身のSNSでチケットが完売するほどの人気を博し、ランキング1位であることを明らかにしている。
7. 人物
大砂嵐は、その相撲キャリアだけでなく、プライベートな側面や人間性においても注目を集めた。
少年期は自身を「とにかく冒険好きで攻撃的だった」と振り返っており、15歳の時には25人を相手にたった1人で挑んだという武勇伝も持つ。この時の経験を「エジプト地図を体中に描いたみたいに傷だらけになっちゃった」と形容している。幼少期から「歴史をつくりたい」という強い渇望を抱き続けており、アフリカ大陸やイスラム圏から初の力士となることが、その願望と合致したと語っている。
風呂好きとしても知られており、2013年11月場所で幕内初白星を挙げた際には、花道を引き揚げるなり両国国技館内の浴場へ直行し、そのまま20分近く入浴を続けたというエピソードがある。
旅行会社が企画したトークショーでは、「エジプト人は仕事を後回しにしがちで、私は中でも特に怠け者だと思う」という趣旨の発言をしたり、来日時に受け取った日本語教材を「怠け者のエジプト人なので、1回も開いていないです」と自認するなど、日本語の勉強に熱心ではないことを公言していた。2014年5月5日の朝日新聞に掲載された大嶽親方のインタビューでは、「Skypeでエジプトの友人とばかり話しているから日本語が上達しない」と苦言を呈されたこともある。
2016年6月にエジプト人女性と結婚し、3人の息子をもうけている。FacebookとTwitterを利用しており、特に千代丸とは仲が良く、自身のTwitterに千代丸とじゃれ合う写真が投稿されたこともある。
2015年1月1日から12月31日までの間、「金太郎生誕の地」を謳う小山町の観光親善大使を務めた。また、2016年6月には、政治的混乱にもかかわらず日本人にエジプト訪問を促すため、母国の観光大使に就任した。エジプトの史跡やモニュメントに関するドキュメンタリーを撮影し、15 M人もの視聴者を獲得したが、制作には多くの障害に直面したという。2016年7月場所中には、エジプトの神ホルスが描かれた染め抜きで場所入りするなど、母国の文化を日本に紹介する活動も行っていた。
8. 評価と影響
大砂嵐は、アフリカ大陸初のプロ大相撲力士として、その存在自体が歴史的意義を持つ。彼の活躍は日本だけでなく、母国エジプトや世界中のメディアから注目を集め、相撲の国際化に貢献した。
8.1. 批判と論争
一方で、彼のキャリアや私生活における行動は、いくつかの批判と論争を招いた。最も大きなものは、2018年1月に発覚した無免許運転による交通事故である。事故後、当初は運転を否定し、妻が運転していたと虚偽の説明をしたことが、日本相撲協会からの厳しい処分(引退勧告、退職金30%カット、断髪式の不実施)につながった。この事件に際しては、重婚未遂疑惑や不倫相手を巡る報道もなされた。
また、総合格闘技転向後も、2018年4月にも無免許運転を行っていたことが発覚し、RIZINとの契約を解除された。これらの無免許運転は、社会規範や契約に対する軽視として批判された。
相撲の取り口においても、立ち合いのかち上げが相手の顔面を狙うような形であったため、2014年7月場所頃には物議を醸したことがある。2017年11月場所には、再びかち上げで相手力士を脳震盪させるアクシデントも起こしている。
2022年のワールドゲームズ2022では、エジプト相撲チームのコーチとして参加したが、選手が過度な勝利パフォーマンスを行い、大砂嵐自身も審判に激しく抗議した結果、「スポーツマンシップに反する行為」としてチームが残りの競技への出場を禁止される事態を招き、批判の対象となった。
9. 主な成績
9.1. 大相撲
- 通算成績:238勝178敗53休 勝率.572
- 幕内成績:112勝100敗43休 勝率.528
- 十両成績:84勝72敗9休 勝率.538
- 現役在位:36場所
- 幕内在位:17場所
- 十両在位:11場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(2016年3月場所)
- 幕下優勝:1回(2013年5月場所)
- 序ノ口優勝:1回(2012年5月場所)
- 金星:3個(鶴竜1個、日馬富士2個)
| 年 | 1月場所 | 3月場所 | 5月場所 | 7月場所 | 9月場所 | 11月場所 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2012年 | 前相撲 | 東序ノ口5枚目 7勝0敗 優勝 | 東序二段8枚目 5勝1敗1休 | 東三段目75枚目 6勝1敗 | 東三段目20枚目 6勝1敗 | |
| 2013年 | 東幕下38枚目 5勝2敗 | 東幕下23枚目 6勝1敗 | 東幕下7枚目 7勝0敗 優勝 | 西十両9枚目 10勝5敗 | 東十両4枚目 10勝5敗 | 西前頭15枚目 7勝8敗 |
| 2014年 | 東前頭16枚目 9勝6敗 | 東前頭11枚目 8勝6敗1休 | 東前頭10枚目 10勝5敗 | 西前頭3枚目 7勝8敗 金星2個 | 西前頭4枚目 7勝8敗 | 西前頭5枚目 4勝6敗5休 |
| 2015年 | 東前頭13枚目 8勝7敗 | 東前頭11枚目 11勝4敗 | 東前頭3枚目 4勝4敗7休 | 東前頭8枚目 11勝4敗 | 東前頭2枚目 8勝7敗 | 西前頭筆頭 5勝9敗1休 金星1個 |
| 2016年 | 東前頭5枚目 全休 | 東十両筆頭 13勝2敗 優勝 | 西前頭7枚目 9勝6敗 | 東前頭3枚目 0勝1敗14休 | 西十両筆頭 6勝8敗1休 | 東十両6枚目 9勝4敗2休 |
| 2017年 | 東前頭16枚目 4勝11敗 | 東十両7枚目 10勝5敗 | 西十両筆頭 2勝13敗 | 東十両11枚目 8勝7敗 | 東十両10枚目 6勝9敗 | 東十両13枚目 9勝6敗 |
| 2018年 | 西十両8枚目 1勝8敗6休 | 東幕下6枚目 引退 |
9.2. 幕内対戦成績
| 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 碧山 | 3 | 3 | 安美錦 | 3 | 2 | 阿夢露 | 0 | 1 | 荒鷲 | 1 | 1 | |
| 勢 | 0 | 5 | 石浦 | 0 | 1 | 逸ノ城 | 0 | 3(1) | 遠藤 | 4 | 4 | |
| 隠岐の海 | 2 | 3(1) | 魁聖 | 0 | 4(1) | 臥牙丸 | 3 | 4 | 輝 | 0 | 1 | |
| 鏡桜 | 2 | 0 | 鶴竜 | 1 | 2 | 稀勢の里 | 0 | 5 | 北太樹 | 4 | 1 | |
| 旭秀鵬 | 3 | 0 | 旭天鵬 | 1 | 1 | 豪栄道 | 1 | 3 | 琴奨菊 | 0 | 4 | |
| 琴勇輝 | 2 | 0 | 佐田の海 | 3 | 2 | 佐田の富士 | 2 | 3 | 里山 | 1 | 0 | |
| 常幸龍 | 4 | 0 | 翔天狼 | 0 | 1 | 松鳳山 | 3 | 1 | 蒼国来 | 3 | 1 | |
| 大栄翔 | 1 | 0 | 大翔丸 | 0 | 2 | 貴景勝 | 0 | 1 | 貴ノ岩 | 4 | 0 | |
| 髙安 | 0 | 3 | 宝富士 | 3 | 0 | 豪風 | 4 | 2 | 玉飛鳥 | 0 | 1 | |
| 玉鷲 | 4 | 2 | 千代鳳 | 3 | 4(1) | 千代大龍 | 1 | 1 | 千代皇 | 1 | 0 | |
| 千代丸 | 3 | 0 | 照ノ富士 | 0 | 5 | 時天空 | 3 | 0 | 德勝龍 | 5 | 1 | |
| 栃煌山 | 2 | 1 | 栃ノ心 | 1 | 2 | 栃乃若 | 1 | 1 | 豊ノ島 | 3 | 1 | |
| 豊響 | 2 | 3 | 錦木 | 1 | 1 | 白鵬 | 0 | 4(1) | 日馬富士 | 3(1) | 1 | |
| 富士東 | 1 | 0 | 豊真将 | 0 | 1 | 誉富士 | 3 | 0 | 舛ノ山 | 2 | 0 | |
| 御嶽海 | 0 | 1 | 妙義龍 | 5 | 2 | 嘉風 | 8 | 1 |
:※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。
9.3. 総合格闘技
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | 大会名 | 開催年月日 | ラウンド | 時間 | 場所 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 敗 | ボブ・サップ | 3分3R終了 判定0-3 | RIZIN.13 | 2018年9月30日 | 3 | 9:00 | 埼玉 | スペシャルルール |
10. 改名歴
- 大砂嵐 金太郎(おおすなあらし きんたろう)2012年3月場所 - 2014年9月場所
- 大砂嵐 金崇郎(おおすなあらし きんたろう)2014年11月場所 - 2017年7月場所
- 大砂嵐 金太郎(おおすなあらし きんたろう)2017年9月場所 - 2018年3月場所