1. 概要

鶴竜力三郎(かくりゅう りきさぶろう、Мангалжалавын Анандマンガルジャラビーン・アナンドモンゴル語、1985年8月10日 - )は、モンゴル国スフバートル市出身の元大相撲力士であり、第71代横綱を務めた。現役時代は井筒部屋に所属し、後に陸奥部屋へ移籍。引退後は年寄「音羽山」を襲名し、自身の音羽山部屋を創設して師匠を務めている。
2001年11月に初土俵を踏み、2006年11月には最高位の幕内に昇進。2009年7月には関脇に、2012年3月場所後には大関に昇進した。大関時代は一度も角番を経験することなく、2014年1月場所での準優勝と同年3月場所での幕内最高優勝という連続した好成績が評価され、同年3月26日に第71代横綱に昇進した。モンゴル出身力士としては4人目、外国出身力士としては6人目の横綱である。横綱在位中は6回の幕内最高優勝を記録したが、度重なる怪我に悩まされ、2020年11月には横綱審議委員会から異例の「注意」決議を受けた。2020年12月には日本国籍を取得し、2021年3月24日に現役引退を発表した。
引退後は年寄として後進の指導にあたり、2023年6月3日には両国国技館で引退相撲が行われた。同年12月27日には年寄「音羽山」を襲名し、自身の相撲部屋である音羽山部屋を創設した。
2. 生い立ちと相撲の背景
鶴竜の幼少期から相撲界への入門に至るまでの経緯は、彼の後のキャリアに大きな影響を与えた。
2.1. モンゴルでの幼少期と教育
鶴竜力三郎は、1985年8月10日にモンゴル国スフバートル市で、本名マンガルジャラビーン・アナンド(Мангалжалавын Анандモンゴル語)として生まれた。父親は大学教授であり、比較的裕福な家庭に育った。幼少期にはテニスやバスケットボールといったスポーツに親しみ、レスリングにも励んだ。学業にも熱心な優等生であった彼は、自宅でNHKの大相撲中継を視聴することができた。当時モンゴル国内で高まっていた相撲ブームに触れ、同郷の旭鷲山や旭天鵬らの活躍に憧れ、力士を志すようになった。
当初、花籠部屋の選考会に参加したが、一度は不合格となった。しかし、彼は諦めきれず、雑誌「グラフNHK」で日本相撲振興会の存在を知る。父親が勤務する大学の同僚で日本語を教えていた人物に頼み、自身の入門への決意を記した手紙を和訳してもらい、同振興会の会長である時田一弘宛に送った。この手紙を受け取った時田会長は、井筒部屋の15代井筒親方(元関脇・逆鉾)に相談し、鶴竜の井筒部屋への入門が実現した。
2.2. 相撲入門の経緯
2001年9月に来日し、井筒部屋に入門した鶴竜は、同年11月場所で初土俵を踏んだ。入門当初の体重はわずか65 kgしかなく、師匠の15代井筒親方からは「床山にでもするか」と冗談交じりに言われるほどであった。しかし、彼は3ヶ月で体重を82 kgまで増やし、新弟子検査に合格。その笑顔を見た井筒親方は「こいつを育てなきゃ可哀想だ」と感じたという。
鶴竜は物覚えが非常に良く、廻しの切り方は一度で習得し、来日1年で日本語を堪能に話せるようになった。また、納豆も平気で食べるなど、日本の食生活にもすぐに適応した。同期生によると、相撲教習所時代には準備運動のランニングで常に先頭を走るなど、当初から高い向上心を見せていたという。当時の隆の山(元幕内)は、引退会見で「毎朝2人で先頭を走り、『寒いから早く走って中で暖まろうぜ』と片言の日本語で話していました」と回顧している。角界のモンゴル人力士グループにおいては、当時頂点に立っていた朝青龍の使い走りのような扱いを受けることもあったが、稽古場で朝青龍から徹底的にしごかれても、じっと耐え続けて力を蓄えていった。2002年頃には、現役末期の兄弟子である寺尾の付け人を務め、多くのことを学んだ。
3. 相撲経歴
鶴竜の相撲人生は、初期の苦難から始まり、着実に番付を上げ、最終的に横綱の地位に上り詰めた。
3.1. デビューと初期のキャリア
2001年11月の初土俵以来、鶴竜は着実に番付を上げていったが、魚が嫌いでなかなか体重が増えず、三段目の下位で苦労した時期もあった。しかし、魚嫌いを克服してからは徐々に体重も増え、三段目の上位でも勝ち越せるようになり、2004年7月場所では7戦全勝で三段目優勝を果たした。翌9月場所には一気に幕下14枚目まで番付を上げたが、この場所は1勝6敗と大きく負け越した。しかし、千秋楽の夜に悔し涙を流していた鶴竜に、部屋付き行司の9代式守與之吉が「明日も四股を踏むくらいだったら怒られないよ」と耳打ちした。その言葉通り、場所後の一週間の稽古休み中も毎日稽古場で四股を踏み続け、精進を図った。この努力が実を結び、同年11月場所から2005年9月場所まで6場所連続で勝ち越しを記録。2005年9月場所では幕下東5枚目で5勝2敗の成績ながら、翌11月場所には十両に昇進し、関取の地位を獲得した。
3.2. 関取・幕内への昇進
しかし、十両では軽量が災いしたか成績が伸び悩み、1場所で幕下へ陥落した。2006年1月場所では東幕下3枚目で5勝2敗と勝ち越し、再び十両に戻った同年3月場所では、3勝6敗から6連勝して9勝6敗と、関取として初の勝ち越しを果たした。その後も勝ち越しを続け、2006年9月場所では西十両筆頭で9勝を挙げ、翌11月場所には新入幕を果たした。これにより、鶴竜は旭鷲山、旭天鵬、朝青龍、朝赤龍、白鵬、日馬富士、時天空に続く8人目のモンゴル出身幕内力士となった。また、現在の井筒親方が部屋を継承した1994年以降、井筒部屋から初の幕内力士誕生でもあった。新入幕の2006年11月場所では、前頭8枚目という異例の高い番付でデビューし、8勝7敗と勝ち越した。
3.3. 三役・大関時代
2008年1月場所では11勝4敗の好成績を挙げ、初の技能賞を獲得し、前頭筆頭に昇進した。同年11月場所では膝を痛め途中休場し、自身初の休場となった。2009年3月場所では前頭筆頭の地位で2勝5敗と苦しい立ち上がりだったが、中日から8連勝し、3大関を破る活躍を見せて10勝5敗と二桁勝利を挙げ、2度目の技能賞を受賞した。同年5月場所には新三役の小結に昇進。この場所も2勝5敗から7連勝し9勝6敗と勝ち越し、2場所連続で3度目の技能賞を獲得した。
2009年7月場所には新関脇に昇進したが、5勝10敗と負け越し、1場所で平幕に陥落した。しかし、同年9月場所では11勝4敗と好成績を挙げ、4度目の技能賞を受賞した。同年11月場所には西関脇に復帰したが、7勝8敗と負け越した。その後も不調が続いたが、2010年7月場所では初日から8連勝し、大関琴欧洲を破るなど活躍を見せ、11勝4敗で5度目の技能賞を獲得した。
2011年5月の技量審査場所では西小結で、優勝した白鵬に次ぐ12勝3敗の自己最高成績を挙げ、6度目の技能賞を受賞した。


同年7月場所では関脇の地位で3大関を破り10勝5敗と、三役で2場所連続の二桁勝利を記録した。翌9月場所は初の大関昇進がかかったが、序盤で4敗を喫し、最終的に9勝6敗に終わり昇進は見送られた。
2012年1月場所10日目には、それまで20連敗を喫していた横綱白鵬に寄り切りで初勝利を挙げ、初の殊勲賞を獲得した。この場所も10勝5敗と三役で2場所連続の二桁勝利を挙げ、翌3月場所で再び大関昇進がかかることになった。
2012年3月場所では、初日から7連勝し、中日で稀勢の里に敗れて初黒星を喫したものの、翌9日目には白鵬に快勝し勝ち越しを決めた。14日目まで13勝1敗で単独トップに立ち、千秋楽の本割で勝利すれば幕内初優勝という状況であったが、平幕の豪栄道に敗れて2敗に後退。さらに、13勝2敗同士の優勝決定戦では、白鵬に上手投げで敗れ、優勝を逃した。しかし、この場所で殊勲賞と技能賞をダブル受賞。また、14日目の琴欧洲戦での白星により、直前3場所の勝ち星が大関昇進の目安となる33勝(10勝-10勝-13勝)に達したため、翌5月場所の新大関が確定的となった。2012年3月28日、日本相撲協会は満場一致で鶴竜の大関昇進を正式に決定した。この昇進により、大相撲史上初めて「6大関」が誕生した。昇進伝達式での口上は「これからも稽古に精進し、お客さまに喜んでもらえるような相撲が取れるよう努力します」であった。
新大関として迎えた2012年5月場所は8勝7敗に終わったが、7月場所は9勝6敗、9月場所は11勝4敗と、大関昇進後初の二桁勝利を挙げた。2013年は、1月場所8勝7敗、3月場所8勝7敗と一桁勝利が続いたが、5月場所は初日から8連勝で中日勝ち越しを決め、10勝5敗。7月場所も10勝5敗と、大関昇進後初の連続二桁勝利を記録した。9月場所と11月場所はともに9勝6敗に終わった。
3.4. 横綱昇進と活動

2014年1月場所では、初日に隠岐の海に敗れたものの、その後白星を重ねて13勝1敗で千秋楽に臨んだ。14戦全勝の白鵬との直接対決では本割で白鵬を寄り倒しで破ったが、優勝決定戦で再び白鵬に敗れ、初優勝はならなかった。しかし、北の湖理事長は「決定戦までいったし、優勝に準じる」と評価し、3月場所を綱取り場所とする見解を示唆した。
2014年3月場所では、3日目に隠岐の海に敗れて1敗となるが、その後は連勝を重ねた。12日目には横綱日馬富士を送り出しで破り、14日目には1敗で並んでいた横綱白鵬を破って単独トップに立った。千秋楽で琴奨菊を寄り切りで破り、14勝1敗で自身初の幕内最高優勝を飾った。この優勝は、大相撲個人優勝制度が制定された1909年以降、通算100人目の幕内最高優勝力士という記念すべきものであった。
3月場所後、北の湖理事長は鶴竜の横綱昇進を横綱審議委員会へ諮問することを決定し、同月24日の委員会で満場一致で推薦された。そして、同月26日の夏場所番付編成会議と臨時理事会において、正式に第71代横綱への昇進が決定した。これにより、鶴竜は日馬富士以来2年ぶり、モンゴル出身力士としては4人目、外国出身力士としては6人目の横綱となった。また、時津風一門からの横綱昇進は、柏戸剛以来52年6ヶ月ぶりの快挙であった。2場所連続優勝なしでの横綱昇進は、大乃国以来27年ぶり、平成に入ってからは初となる。横綱伝達式では「謹んでお受けします。これから、より一層稽古に精進し、横綱の名を汚さぬよう、一生懸命努力します」と口上を述べた。
横綱土俵入りは雲龍型を選択し、指導は貴乃花(第65代横綱)が行った。通常は同部屋か同一門の師匠が指導するが、時津風一門には長らく横綱が不在だったため、貴乃花が指導役を務めることになった。この伝承は、鶴竜を通じて他の一門に伝えられていた土俵入りがルーツである時津風一門に戻るという歴史的意義を持つものとなった。しかし、鶴竜の土俵入りは、せり上がりが低く構えすぎる、四股が弱々しいなど、決して上手いとは言えなかった。
新横綱として迎えた2014年5月場所は、12日目の豪栄道戦で行司軍配が豪栄道に上がったものの、物言いの結果、豪栄道が髷をつかんだとして鶴竜の反則勝ちとなった。横綱が反則で勝利したのは史上初の出来事である。この場所は結局9勝6敗に終わり、横綱審議委員会の内山斉委員長からは「横綱として初めての場所で緊張は分かるが、6敗は多すぎる。いただけない」と苦言を呈された。同年7月場所は11勝4敗とまずまずの成績を収めたが、5日目の大砂嵐戦では立合い変化による自滅を喫し、大砂嵐に初土俵から15場所目という史上2位のスピード記録で金星を献上してしまった。同年9月場所も11勝4敗で終えたが、13日目には新入幕の逸ノ城に敗れ、金星を配給した。同年11月場所は12勝3敗と好成績を残したが、白鵬に優勝を許したため、場所後には自身を「これで横綱と言えるのかな」と嘆いた。
2015年1月場所は10勝5敗に終わった。同年3月場所は左肩の怪化が悪化し、初日の当日朝に休場を発表。横綱が初日不戦敗となるのは1954年5月場所の吉葉山以来61年ぶりであった。この休場により、2011年1月場所から続いていた24場所連続勝ち越し記録もストップした。同年5月場所も左肩痛が回復せず、2場所連続休場となった。これは横綱が2場所連続で休場するのは朝青龍以来7年ぶりであった。同年7月場所は12勝3敗で優勝争いに加わったが、千秋楽で白鵬に敗れた。同年9月場所は、日馬富士と白鵬が相次いで休場したため事実上の一人横綱となった。最終日には照ノ富士に本割で敗れたものの、優勝決定戦で照ノ富士を上手出し投げで破り、9場所ぶり2回目、横綱としては初めての幕内最高優勝を果たした。しかし、この場所では稀勢の里戦で2度にわたる立合い変化を見せるなど、一部で批判も浴びた。同年11月場所は9勝6敗に終わった。
2016年1月場所と3月場所はともに10勝5敗、5月場所は11勝4敗であった。同年7月場所は腰と左足首の怪我で途中休場。腰の怪我は後に全治2ヶ月、骨が変形していることが判明した。同年9月場所は10勝5敗に終わったが、同年11月場所では初日から10連勝を記録し、14勝1敗で自身3度目となる幕内最高優勝を飾った。腰痛を乗り越えての優勝であり、鶴竜は「うれしい。苦しい時期を過ごしたけど、最後にいい形で良かった」と喜びを語った。

2017年1月場所は、序盤に御嶽海、荒鷲、勢に3個の金星を献上するなど不調で、11日目から頸椎斜角筋損傷と左肩鎖関節脱臼のため途中休場した。同年3月場所は10勝5敗。同年5月場所は左足関節離断性骨軟骨炎のため5日目から途中休場。同年7月場所も右足関節外側靱帯損傷のため4日目から途中休場し、師匠の15代井筒親方からは「次に土俵に上がっても勝てなければ、潔く(引退を)決断しなければならない」と進退を懸けることを明言された。同年9月場所と11月場所も怪我のため全休し、4場所連続休場となった。同年12月20日には、前年10月に発生した日馬富士による暴行事件の現場に居合わせながら止められなかった責任を問われ、2018年1月場所の給与不支給処分を受けた。
2018年1月場所で復帰。白鵬と稀勢の里が休場したため一人横綱となったが、初日から8連勝と好調を維持した。しかし、11日目から4連敗を喫し、最終的に11勝4敗で場所を終えた。場所後、左足首付近の内視鏡手術を受けた。同年3月場所も一人横綱として出場し、自己最高の初日から11連勝を記録。14日目に豪栄道を破り、13勝2敗で8場所ぶり4回目の幕内最高優勝を成し遂げた。同年5月場所は14勝1敗で、自身初となる2場所連続優勝(通算5回目)を飾った。しかし、同年7月場所は右肘関節炎のため6日目から途中休場。この場所は稀勢の里と白鵬も休場したため、1999年3月場所以来19年ぶりに3横綱全員が休場する事態となった。同年9月場所は初日から10連勝と好調だったが、終盤に横綱・大関戦で全敗し、10勝5敗に終わった。同年11月場所も右足首の怪我のため全休した。
2019年1月場所は右足首の怪我のため6日目から途中休場。同年3月場所は10勝5敗、5月場所は11勝4敗であった。同年7月場所は場所前に腰を痛め不安が残る中で初日を迎えたが、頭から低く当たって前に出る相撲を多く見せ、自身最高となる初日からの12連勝を記録。13日目に友風に敗れ、友風に史上1位タイの記録となる初土俵から14場所目での金星を献上した。しかし、千秋楽に1敗で追う白鵬をもろ差しからの寄り切りで下し、7場所ぶり6回目の幕内最高優勝を決めた。同年9月場所は初日から4連勝したが、5日目から朝乃山、大栄翔、友風に3日連続で金星を献上。中日から左膝内側側副靱帯損傷のため途中休場した。休場の翌日には師匠の15代井筒親方が死去したため、同年9月27日付で陸奥部屋に転属した。同年11月場所は腰痛のため全休した。
2020年1月場所は、左足首の負傷と風邪のため5日目から途中休場。この場所前には、白血球の数値が通常の3300~9000から1万2000に跳ね上がり、「入院レベル」と医師に言われるほど体調を崩していたことを明かした。同年3月場所は、大関が貴景勝1人となったため、番付上は西横綱の鶴竜が大関を兼ねる「横綱大関」として記載された。これは1982年1月場所の北の湖以来38年ぶりのことであった。この場所は12勝3敗で準優勝。同年7月場所は、初日の遠藤戦で腰砕けによって敗れ、横綱が腰砕けで敗れるのは1955年に決まり手が制定されて以来初の出来事であった。翌日の2日目から右肘靭帯損傷のため途中休場し、この相撲が現役最後の一番となった。同年9月場所と11月場所も怪我のため全休し、6場所中5場所を休場する事態となった。同年11月23日、横綱審議委員会は両国国技館での定例会合で、鶴竜と白鵬に対し、休場の多さを理由に「注意」決議を行った。これは横審史上初のことであり、委員長は「休みがあまりにも多い。深く強い責任を持って今後に対処してほしい」と述べた。
2020年12月10日付の官報において、日本国への帰化申請が認められたことが告示され、日本名「マンガラジャラブ・アナンダ」となった。鶴竜は「一つ悩みの種が消えたので、すっきりとまた相撲に集中できると思う」と喜びを語った。帰化の理由としては「相撲協会への恩返し」を挙げている。
3.5. 主な受賞歴
鶴竜力三郎の主な受賞歴は以下の通りである。
- 幕内最高優勝:6回
- 2014年3月場所
- 2015年9月場所
- 2016年11月場所
- 2018年3月場所
- 2018年5月場所
- 2019年7月場所
- 三段目優勝:1回(2004年7月場所)
- 三賞:9回
- 殊勲賞:2回(2012年1月場所、2012年3月場所)
- 技能賞:7回(2008年1月場所、2009年3月場所、2009年5月場所、2009年9月場所、2010年7月場所、2011年5月技量審査場所、2012年3月場所)
- 金星:なし(平幕時代に横綱に勝利したことがないため)
4. 引退および引退後の活動
鶴竜の引退は、度重なる怪我と横綱としての責任感の間での苦悩の末の決断であり、引退後も相撲界に貢献している。
4.1. 引退の背景と決断
2021年1月場所も腰痛のため全休し、4場所連続休場となった。この休場に対し、北の富士(元横綱)は「あきれて物も言えない」「実によく休むものだ。おそらく休場は横綱の特権と考え違いしているのだろうか」と酷評した。また、横綱審議委員会の元委員長である守屋秀繁は「もう横綱として土俵を務めるのは厳しいのではないか。辞めてもらうしかないと思いますよ。場所後には厳しい決議をするべきだと思います」と、引退勧告の可能性を示唆した。
同年3月場所前には左足首の怪我が悪化し、進退を懸けるはずだった3月場所も結局全休となり、5場所連続休場となった。休場に際し、鶴竜は横綱審議委員会からの「引退勧告」の決議も覚悟しつつ、現役続投に意欲を見せていた。しかし、同年3月24日、場所11日目となるこの日に現役引退の意向を示し、日本相撲協会は「横綱5年」の年寄「鶴竜」を承認した。鶴竜は引退会見で、入門時の師匠である15代井筒親方への感謝を述べ、「16歳で書いた手紙を受け取ってくれて拾ってくれて感謝しかない」と語った。思い出の取組としては、2005年9月場所の幕下5枚目で関取昇進を確定させた琉鵬戦を挙げた。また、「人に教えるのは難しいと感じた。ただ、押しつけになってはいけない。将来、協会の看板を背負っていく力士を育てたい」と、指導者としての今後の抱負を語った。引退後の心境については、「重荷が下りたような、解放されたような気持ち」と語り、安堵の表情を見せた。
4.2. 引退相撲と年寄としての活動
引退後、鶴竜は年寄「鶴竜」として陸奥部屋で後進の指導に尽力した。また、大相撲中継の解説者としてもNHKやABEMAに出演し、的確かつユーモアを交えた解説で人気を博した。新人親方として場内警備の仕事をする傍ら、協会公式グッズの売店で店員として手伝う姿も見られた。
2023年6月3日、両国国技館で鶴竜の断髪式を兼ねた引退相撲が盛大に行われた。最後の横綱土俵入りでは、太刀持ちに新大関の霧島(元霧馬山)、露払いに一門の小結・正代を従え、雲龍型を披露した。最後の取組では長男と対戦し、長男の力いっぱいの当たりを真正面から受け止め、土俵際で長男に押し出しで敗れるという演出で会場を沸かせた。断髪式には、元朝青龍、元白鵬の宮城野親方、元3代目若乃花の花田虎上、元日馬富士、そして現役横綱の照ノ富士と、鶴竜を含め6人の横綱経験者が鋏を入れるという豪華な顔ぶれが揃った。元朝青龍は、真面目な鶴竜の人間性を称賛し、「よく頑張って、横綱までね。素晴らしい活躍をしたと思いますよ」と絶賛した。
4.3. 音羽山部屋の創設
2023年12月15日、鶴竜は所属する陸奥部屋から将来的に独立する意向を明らかにした。そして同年12月27日、年寄「音羽山」を襲名し、同時に陸奥部屋から力士2人(鋼、千代の国)と床山1人(床鶴)を連れて、自身の相撲部屋である音羽山部屋を創設した。このうち、鋼と床鶴は、鶴竜と同じく2019年まで井筒部屋に所属していた力士と床山である。音羽山部屋は東京都墨田区に位置する3階建ての建物を改築して使用している。
2024年3月には、同年5月場所から勝負審判を務めることが発表された。同年4月には、師匠の陸奥親方(元大関・霧島)の停年に伴う陸奥部屋の閉鎖により、陸奥部屋の大関・霧島が音羽山部屋へ移籍した。
5. 相撲スタイル
鶴竜は、もろ差しと下手投げを主体とした相撲を得意とし、右四つになっても強い。単なる四つ相撲一辺倒ではなく、突っ張りや引き技も持ち合わせているため、基本的に組んで良し、離れて良しのオールラウンダーであった。特に巻き替えからのもろ差しは、大師匠の鶴ヶ嶺から師匠の15代井筒親方、そして鶴竜自身へと伝えられた伝統ある技術である。突っ張りに関しては、現役最末期の寺尾の付け人を務める中で、寺尾の突っ張りを見て学んだという。横綱時代でも調子の良い時には、立合いなどに重みが見られた。
しかし、引き癖は横綱らしからぬ取り口としてしばしば批判の対象となった。千代鳳や妙義龍など、引き技に落ちない足腰を持つ力士に対しては、この癖が墓穴を掘る原因となることも多かった。これに関して、15代井筒親方は「フロイド・メイウェザー・ジュニアのような、他の力士にないスピードだ」と評価し、鶴竜の機動力を称賛していた。2014年3月場所前の座談会では、尾崎勇気(元関脇・隆乃若)が「土俵を丸く使うのが抜群にうまい力士で、うまく回り込まれて叩かれたりしました」と現役時代の対戦経験を語り、大至伸行(元幕内)も「身体はそれほど大きくはないですが底力を感じます。突っ張りも荒々しいですね」と評している。2016年11月場所前の座談会では、15代鳴戸(元大関・琴欧洲)が「実際に取ってみた経験から、左右の足の動きは速いですね」と鶴竜の機動力を評価している。
精神面に関しては、横綱時代にも「自信無さ気」「大人しすぎる」というニュアンスの指摘がしばしばあった。調子の悪い時には「取り口が守りに入ったものとなっている」「持ち味の突っ張りが見られない」と指摘されることもあった。また、横綱としては非常に休場が多く、2020年7月場所を途中休場した際には北の富士から「あきれて物も言えない」「実によく休むものだ。おそらく休場は横綱の特権と考え違いしているのだろうか」と酷評された。
引退の際には、18代藤島(元大関・武双山)のコラムで「体はさほど恵まれなかったものの相撲はうまかった。亡くなった師匠(元関脇・逆鉾)譲りのもろ差しや突っ張り、引き技と多彩で器用だった。横綱にしてはこれという型がなかった。それだけいろんな相撲が取れたということで、前に出る圧力もあった」と評された。
6. 個人生活
鶴竜はテレビ番組とカラオケを通じて日本語を習得した。また、英語とロシア語も話せるマルチリンガルである。
性格は控えめで感情を表に出すことが少なく、穏やかで礼儀正しいことで知られている。付け人を務めた力士たちは口々に「あんなに優しい横綱はいない」と話し、付け人が十両に昇進した際には袴を贈るなど、後輩思いの一面を見せた。付け人を務めた力士のうち4人が関取に昇進したが、鶴竜は「本人たちの努力ですから...」と謙虚に答えている。出稽古先の時津風部屋に師匠の15代井筒親方が鶴竜の乗ってきた車に乗って帰ってしまった際も、「しょうがないよ」と苦笑いしながら稽古まわしのまま部屋に歩いて帰ったというエピソードがある。豊山や正代らはその姿を見て「いやあ、あの横綱だから良かったけど」「怒らないもんなあ。立派だよなあ」と口々に感心していた。
横綱ともなれば移動にタクシーや自動車を使うことが一般的である中、鶴竜は徒歩や自転車での移動を好み、自宅から部屋や両国国技館まで歩いて通うこともあった。負けず嫌いかつ生真面目な性格で、自分の取り組みをVTRで見ては反省点をノートに書き出し、課題を決めて稽古に取り組む努力家である。
2012年3月場所の千秋楽、勝てばその時点で優勝となる豪栄道戦で敗れた際には、直後の支度部屋の風呂場で悔しさのあまり珍しくうめき声を上げた。心が整わないまま臨んだ白鵬との優勝決定戦でも敗れたことで、平常心の大切さを痛感したという。2014年1月場所の優勝決定戦で白鵬に敗れた際にも「これで悔しくなければ辞めた方がいい」と語気を強めて語ったことがある。2014年9月場所13日目、新入幕の逸ノ城に金星を配給した際には、唇を震わせるほど怒りに満ちた表情で取組後の取材を拒否するほど悔しがっていた。
好角家として知られるアイドルの山根千佳は鶴竜を「普段は七福神のような優しさに包まれていますが、相撲では意外と挑発的なところもあり、そのギャップが魅力的です」と評している。小部屋の出身であるため、関取に昇進してからも、しばらくはちゃんこ番や家事などを行っていた。協会内では歌が上手いことでも知られており、日本相撲協会の公式YouTubeチャンネルではマイ・ウェイを披露している。
2015年1月、モンゴル出身のダシニャム・ムンフザヤと婚約したことを発表。同年5月には長女、2017年5月には長男、2020年4月には次女が誕生している。2017年10月には結婚披露宴が行われ、白鵬ら多くの角界関係者が祝福に駆け付けた。
2020年12月には、年寄として相撲協会に残るために必要な日本国籍を取得し、「マンガラジャラブ・アナンダ」に改名した。
7. 評価および影響
鶴竜力三郎のキャリアは、その真面目な人柄と相撲界への貢献、そして度重なる怪我との闘いという点で多角的に評価されている。
7.1. キャリアに対する評価
鶴竜は、平成以降に昇進した8人の横綱が全て2場所連続優勝を果たしたのに対し、綱取り場所となった2014年3月場所が自身初の幕内最高優勝であった。また、昇進3場所前に該当する2013年11月場所は9勝6敗であり、年6場所制定着以降において、直前3場所前が一桁白星であったにもかかわらず連覇無しで綱取りを果たした唯一の力士である。
それでも、2014年3月場所後の横綱審議委員会では、わずか10分余りのスピード推薦で横綱昇進が決定した。決め手となったのは、鶴竜の真面目な人柄とひたむきな姿勢であった。横審では一つも注文が出されず、各委員からは鶴竜の人間性を絶賛する声が続出した。宮田亮平委員は鶴竜を「頭が良い。言葉、礼儀作法がしっかりしている」と褒め、高村正彦委員は「日本人以上に日本人らしい力士だ」と高く評価した。大島寅夫委員は「行儀も良いし、よく考えた相撲を取る。品格のある横綱になると思う」と期待を寄せた。
鶴竜は3月場所を得意としており、幕内では11場所中8回勝ち越している。また、ダブル受賞を含めて三賞を2回、幕内最高優勝を2回記録している。
7.2. 相撲界への影響
鶴竜の横綱昇進は、時津風一門から実に52年6ヶ月ぶりの横綱誕生という歴史的意義を持っていた。また、彼の横綱土俵入りは雲龍型であり、貴乃花が指導したことで、他の一門に伝えられていた雲龍型がルーツである時津風一門に戻るという伝承が生まれた。
横綱として、2014年5月場所の豪栄道戦で反則勝ちを収めたことは史上初の出来事であり、記録に残る一戦となった。一方で、2020年7月場所の遠藤戦で腰砕けによって敗れたことも、横綱としては史上初の記録である。
鶴竜は力士会会長として、安全上の理由で廃止されていた赤ちゃんを抱っこしての土俵入りやちびっこ相撲の復活を求める改革案を巡業部に提出するなど、相撲界の未来を考えた提言も行っていた。
7.3. 批判と論争
鶴竜のキャリアには、その真面目な性格とは裏腹に、いくつかの批判や論争点も存在した。
- 土俵入りと取り口への批判: 横綱土俵入りは、せり上がりが低く構えすぎる、四股が弱々しいなど、決して上手いとは言えず、一部で批判の対象となった。また、引き癖は横綱らしからぬ取り口としてしばしば指摘され、千代鳳や妙義龍などの引き技に落ちない足腰を持つ力士に対して、この癖が墓穴を掘る原因となることもあった。
- 頻繁な休場: 横綱としては非常に休場が多く、特にキャリア晩年には怪我による休場が相次いだ。2020年7月場所を途中休場した際には北の富士から「あきれて物も言えない」「実によく休むものだ。おそらく休場は横綱の特権と考え違いしているのだろうか」と酷評された。
- 横綱審議委員会からの「注意」決議: 2020年11月23日、横綱審議委員会は鶴竜と白鵬に対し、休場の多さを理由に「注意」決議を行った。これは横審史上初のことであり、委員長は「休みがあまりにも多い。深く強い責任を持って今後に対処してほしい」と述べ、横綱としての責任を強く問うものであった。
- 日馬富士による暴行事件への関与: 2017年10月に発生した日馬富士による暴行事件の現場に居合わせながら止められなかった責任を問われ、2018年1月場所の給与不支給処分を受けた。
- 変化への批判: 2015年9月場所の稀勢の里戦では、2度にわたる立合い変化を見せ、一部で批判を浴びた。横綱が変化を用いること自体が、相撲の品格を問われる行為と見なされることがあるためである。
- 日本国籍取得を巡る議論: 2020年12月に日本国籍を取得した際には、年寄として相撲協会に残るために日本国籍が必要という制度自体について、いかがなものかという議論が再燃した。
8. 主な記録
鶴竜のキャリアにおける主要な記録を以下にまとめる。
8.1. 通算成績と各段在位
鶴竜の通算成績は785勝497敗231休(115場所)で勝率.612である。幕内成績は645勝394敗231休(85場所)で勝率.621を記録した。横綱在位は41場所(歴代10位)、横綱成績は266勝117敗227休で勝率.695。横綱大関在位は1場所(歴代6位タイ)で12勝3敗(勝率.800、歴代3位タイ)。大関在位は12場所で119勝61敗(勝率.661)を記録し、大関時代は全て勝ち越し、休場もなかったため角番は一度も経験していない。三役在位は13場所(関脇8場所、小結5場所)、平幕在位は19場所であった。通算(幕内)連続勝ち越し記録は24場所(2011年1月場所 - 2015年1月場所)である。幕内連続2桁勝利記録は4場所(2014年7月場所 - 2015年1月場所)を数える。金星配給は33個(歴代8位タイ)。横綱としての休場日数は227日(歴代2位)に及ぶ。
8.2. 幕内連勝記録
鶴竜の幕内における最多連勝記録は16連勝である。
自身の順位 | 連勝数 | 期間 | 止めた力士 | 止めた力士の番付 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 16 | 2014年1月場所2日目 - 2014年3月場所2日目 | 隠岐の海 | 東前頭2枚目 | |
2 | 14 | 2018年5月場所5日目 - 2018年7月場所3日目 | 勢 | 東前頭2枚目 | |
3 | 13 | 2019年5月場所千秋楽 - 2019年7月場所12日目 | 友風 | 西前頭7枚目 | |
4 | 12 | 2018年1月場所千秋楽 - 2018年3月場所11日目 | 栃ノ心 | 西関脇 | |
5 | 10 | 2016年11月場所初日 - 2016年11月場所10日目 | 稀勢の里 | 西大関 | |
2018年1月場所初日 - 2018年1月場所10日目 | 玉鷲 | 西関脇 |
8.3. 幕内対戦成績
鶴竜の幕内における主な対戦成績は以下の通りである。
力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
碧山 | 20 | 1 | 朝青龍 | 0 | 7 | 朝赤龍 | 5 | 5 | 朝乃山 | 2 | 2(1) | |||||
安壮富士 | 0 | 1 | 阿炎 | 5 | 1 | 安美錦 | 17 | 15 | 荒鷲 | 2 | 1 | |||||
阿覧 | 12 | 1 | 勢 | 10 | 4 | 逸ノ城 | 13 | 3(1) | 岩木山 | 5(1) | 2 | |||||
潮丸 | 0 | 1 | 遠藤 | 13 | 4 | 炎鵬 | 1 | 0 | 皇司 | 1 | 0 | |||||
大砂嵐 | 2 | 1 | 隠岐の海 | 16 | 6(1) | 魁皇 | 10 | 6 | 魁聖 | 15 | 0 | |||||
海鵬 | 1 | 0 | 臥牙丸 | 5 | 0 | 垣添 | 5 | 3 | 春日王 | 1 | 4 | |||||
春日錦 | 1 | 1 | 片山 | 1 | 0 | 稀勢の里 | 18 | 32 | 北太樹 | 4 | 0 | |||||
旭天鵬 | 15 | 3 | 豪栄道 | 28(1) | 14 | 黒海 | 6 | 2 | 琴欧洲 | 18 | 12 | |||||
琴奨菊 | 30 | 22(1) | 琴光喜 | 4 | 10(1) | 琴勇輝 | 2 | 1 | 佐田の海 | 2 | 0 | |||||
佐田の富士 | 1 | 0 | 里山 | 1 | 0 | 霜鳳 | 1 | 1 | 十文字 | 1 | 0 | |||||
常幸龍 | 1 | 0 | 正代 | 13 | 0 | 翔天狼 | 1 | 0 | 松鳳山 | 13 | 2 | |||||
蒼国来 | 1 | 0 | 大栄翔 | 5 | 2(1) | 貴景勝 | 4 | 1 | 高見盛 | 2 | 5 | |||||
髙安 | 13 | 10(1) | 宝富士 | 13 | 1 | 豪風 | 20 | 0 | 玉春日 | 3 | 1 | |||||
玉乃島 | 2 | 3 | 玉鷲 | 10 | 6(1) | 千代鳳 | 0 | 1 | 千代大海 | 3 | 6 | |||||
千代大龍 | 12 | 0 | 千代の国 | 0 | 2(1) | 千代白鵬 | 0 | 2 | 千代丸 | 1 | 0 | |||||
出島 | 4 | 2 | 照ノ富士 | 7* | 4 | 時津海 | 2 | 1 | 時天空 | 9 | 4 | |||||
德勝龍 | 0 | 1 | 德瀬川 | 0 | 1 | 土佐ノ海 | 4 | 0 | 土佐豊 | 3 | 1 | |||||
栃煌山 | 24 | 21 | 栃ノ心 | 23 | 4 | 栃乃洋 | 5 | 2 | 栃乃花 | 2 | 1 | |||||
栃乃若 | 3 | 0 | 友風 | 0 | 2 | 豊桜 | 0 | 1 | 豊ノ島 | 16 | 9 | |||||
豊響 | 6 | 2 | 錦木 | 1 | 1 | 白馬 | 1 | 0 | 白鵬 | 8 | 42** | |||||
白露山 | 1 | 1 | 把瑠都 | 12 | 13 | 日馬富士 | 17 | 27 | 武州山 | 2 | 0 | |||||
普天王 | 4 | 1 | 豊真将 | 12(1) | 8 | 北勝力 | 4 | 0 | 北勝富士 | 5 | 4(1) | |||||
将司 | 3 | 0 | 御嶽海 | 8 | 6(1) | 雅山 | 6 | 2 | 妙義龍 | 11 | 10 | |||||
明生 | 1 | 0 | 猛虎浪 | 1 | 0 | 豊山 | 3 | 0 | 嘉風 | 11 | 7(1) | |||||
竜電 | 3 | 0 | 露鵬 | 1 | 1 | 若麒麟 | 1 | 0 | 若荒雄 | 2 | 1 | |||||
若の里 | 6 | 4 | 若ノ鵬 | 0 | 2 | |||||||||||
- 他に優勝決定戦で、照ノ富士に1勝、白鵬に2敗がある。
(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。)
9. エピソード
鶴竜の相撲人生や人柄にまつわる様々なエピソードを紹介する。
9.1. 土俵上
平成以降に昇進した横綱8人が全て2場所連続優勝を果たしたのに対し、鶴竜の場合は結果的に綱取り場所となった2014年3月場所が初優勝だった。また、昇進3場所前に該当する2013年11月場所は9勝6敗であり、2019年7月場所終了現在において年6場所制定着以降において直前3場所前が1ケタ白星であったにもかかわらず連覇無しで綱取りを果たした唯一の力士となっている。それでも2014年3月場所後の横綱審議委員会は無風で、10分余りのスピード推薦。決め手となったのは鶴竜の真面目な人柄とひた向きな姿勢であった。横審では一つも注文が出されず、各委員からは鶴竜の人間性を絶賛する声が続出した。宮田亮平委員は鶴竜を「頭が良い。言葉、礼儀作法がしっかりしている」と褒め、高村正彦委員は「日本人以上に日本人らしい力士だ」と高く評価。大島寅夫委員は「行儀も良いし、よく考えた相撲を取る。品格のある横綱になると思う」と期待していた。
3月場所は験が良く、幕内では11場所中8回勝ち越しており、ダブル受賞を含めて三賞2回、幕内優勝2回も記録している。7月場所は2015年まで幕内負け越しは1回だけであったが、2016年から3年連続で途中休場を喫している。
9.2. 懸賞金・タニマチ関連
2014年9月場所からはDHCから1日5本ずつの指定懸賞が設定されている。
日本相撲協会の規定では一つの取組にかけられる懸賞は上限50本だったが、2015年1月場所は白鵬が最多記録となる33度目の幕内最高優勝を決めた場所ということで中日までに千秋楽の結びの一番に懸賞を希望する企業などが殺到し、特例で千秋楽の白鵬戦に60本の懸賞金が受け入れられた。
東京井筒部屋後援会からはアヤメ科の植物が描かれた化粧廻しを贈呈された。
9.3. 行事関連
2014年5月9日に東京都墨田区の野見宿禰神社で奉納土俵入りを披露した際に最後の塵手水を忘れる失態を犯してしまった。奉納土俵入りでの失敗は近年では稀なことであり、これには師匠の15代井筒も「なんだかんだいって緊張してるんだろうね。心配になっちゃう。本場所ではやめてほしいよ」と苦笑いだった。
2016年10月4日、両国国技館で開かれた大相撲の国際文化交流イベント「大相撲beyond2020場所」で、日馬富士と並んで上段(気迫)中段(攻撃)下段(防御)の3つの型をつくる「三段構え」を、貴乃花と曙が1996年4月の伊勢神宮奉納相撲で行って以来、20年ぶりに披露した。鶴竜は「名誉あること。横綱全員がやったことではない。この時代にできたことがうれしい」と感激していた。
9.4. 稽古場・巡業関連
生真面目な性格ゆえに、大関昇進直後にまだ十両が稽古している午前9時前に稽古場に登場し、大関以上の申し合いまで1時間以上も待った。「自分のタイミングで(申し合いに)入っていけない。今まで通りにやっていきたいけど...。待つ時間が長い。準備運動をして待っている間に体が冷えて気持ちも落ち着いてしまう。(準備運動を)遅めにするとかしないといけない」と語っている。
巡業の土俵では厳しい態度で胸を出していた。白鵬や日馬富士が土俵に上がらない時には自分にお鉢が回るため、その傾向に拍車がかかった。2017年4月11日の春巡業三島場所では一門の後輩である正代に胸を出したが、力の弱い押しに火が付いた。「立ておら、力出せ」と怒声を浴びせ、何度も土俵に転がし、砂まみれに。無理やり腰を落とさせ、何周も土俵を回らせ、約20分に渡って猛稽古を行わせた。鶴竜は「長く胸を出すつもりなんかなかった。早く終わるつもりだったけど、力を出さないから。正代が悪い。腰が高い。白関(横綱・白鵬)がいないから言っていこうと思って」と、今後も"鬼指導"を予告した。
2017年4月12日の春巡業横須賀場所で稽古を終えた鶴竜は「全般的に言えることだが、しんどくなったら力を抜く力士が多い。しんどくても我慢することが大事。そこからが本当の稽古なんだから。それは自分が下のころ、師匠や兄弟子から教わったことです」と最近の若手の傾向など思いを語った。同時に「そろそろ上の力士を脅かす若手が出てこないとおかしい。奮起してもらいたいですね」とも注文を付けた。
2019年5月1日、2018年から安全上の理由で廃止された関取が赤ちゃんを抱っこしての土俵入りやちびっこ相撲の復活を求める改革案を、力士会会長として巡業部に提出する意向を示した。鶴竜本人は「やっぱり巡業での要望が1番多い。お客さんと触れ合うことや相撲界の未来を考えたらね」と話した。
2019年5月7日に行われた時津風一門の連合稽古は相撲教習所の稽古土俵という異例の場所で行われ、珍しい場所での実施に、鶴竜は「一門で(教習所で)やるのは初めて。新鮮。次もこういう形でやりたい」と充実した表情で語った。
9.5. その他相撲関連
師匠の現役時代のしこ名「逆鉾」を襲名するという話もあったが、「鶴竜」が定着したこともあり立ち消えとなった。また、横綱昇進を機に部屋ゆかりの出世名「西ノ海嘉治郎」を襲名する機会が生まれたが、その際師匠の井筒は「親父が(元関脇)鶴ケ嶺ですし、変える気はまったくないです」と見解を示していた。
横綱審議委員会の委員長である内山斉は鶴竜を評価しており、事あるごとに「かなり長く綱を張るのではないか?」と発言している。
横綱になると、付け人が7~8人が必要となるが、横綱昇進決定直後の時点では井筒部屋の所属力士が鶴竜を含めて5人しかいなかったため、時津風一門の錣山部屋、一門の枠を超えて高砂部屋、春日山部屋からも付き人を借り入れ、合計4部屋で付き人を供給した。
廻しに付いているさがりには興味がなく、本数も知らないという。
入門前に八角部屋のセレクションを受けたが不合格になっている。鶴竜がセレクションを受けた事実を八角が知ったのは鶴竜の関取昇進後であった。
鶴竜の大相撲入門の橋渡し役となった日本相撲振興会長の時田一弘は、鶴竜が入門して2、3 年後に「辞めたくなったことがある?」と軽く話しかけ、「何を言っているんですか! 自分は好きで入ったんですから」と血相を変えた鶴竜に詰め寄られた。2004年9月場所では幕下で1勝しかあげられず悔し泣きをして場所後1週間のオフにトレーニングを欠かさなかったと話し、「あの小柄な少年が横綱に。異国の地で大したものです」と引退する鶴竜をねぎらっていた。
鶴竜本人は引退後に、もし相撲で大成しなければアメリカ留学していたかもしれないと語っている。
2021年11月場所中のNHK大相撲中継では、玉鷲の相撲ぶりについて年齢をごまかしているのではないかと冗談を言っていた。また、最近(同場所時点)の力士は体が大きすぎるとも指摘していた。
2022年1月場所9日目のNHK大相撲中継の解説で、千代鳳と千代丸の姿を少し前まで逆だと勘違いしていたと告白。その理由を「顔の違い。兄貴の方が若く見えるよね」と説明。
2024年1月場所中に両国国技館内の相撲博物館で行われた「親方トークイベント」では、わんぱく相撲・中学相撲における、増量やタイトルへの拘泥などの過度の勝利至上主義について言及している。司会役を務めた荒汐親方(元幕内・蒼国来)も、スカウト活動として小中学生の相撲の大会を視察した経験からこの持論に同調し「本格的には高校やプロに入ってからでもまだ間に合う。タイトル獲ってなくても伸びしろある人はたくさんいる」と強調。
9.6. 人間関係
魁聖とはPlayStation 3のオンラインゲームをして過ごした仲であったが、鶴竜の方は大関昇進後になると忙しくなってできなくなったという。
2016年11月場所で幕内最高優勝をした際、支度部屋から表彰式へ向かう花道の途中で、駆け寄ってきた妻にキスをする姿がNHKで放送された。さらに優勝インタビューで、アナウンサーからキスの感想を聞かれ、恥ずかしそうに照れながら「最高です」と答えた。
長年付け人を務めて井筒部屋閉鎖後も移籍に同行した弟弟子・鶴大輝大吉(1990年10月8日生まれ、熊本県宇城市、本名・橋本大輝、最高位・西三段目30枚目)は井筒部屋に入門した時、鶴竜がすでに関取になっていたが、頭ごなしに怒られたことは一度もない。「次は気をつけろよ、と言ってちゃんと教えてくれる。本当に優しい人です」と鶴竜の引退に際して語っていた。
兄弟子・鋼一幸は兄貴分として長きに渡って鶴竜をサポートし、付け人のリーダー格、ちゃんこ長としても貢献した。井筒部屋消滅後は陸奥部屋に同行しており、音羽山部屋創設の際も同行している。
寺尾は兄弟子にあたり、鶴竜が入門してから寺尾が引退するまでの5場所は現役の兄弟弟子同士であり、寺尾の同部屋最後の後輩であった。寺尾の葬儀の際に鶴竜が語った話によると、電話やメールでよく励ましてくれたといい、「兄貴分でもあったし、自分の中ではもう一人の師匠と思っていた」という。
9.7. 趣味・スポーツ観戦
角界屈指のサッカー通であり、自身が立てた2014 FIFAワールドカップ日本代表メンバーの予想はほぼ的中したという。
2018年3月場所後の休みを利用して3日間ゴルフを楽しんだが、3日間でのベストは18ホールを95。
2018年9月場所中日の支度部屋で、ゲンナジー・ゴロフキン 対 サウル・アルバレス戦でゲンナジー・ゴロフキンがプロ初黒星を喫したことに関して「えっ負けたの? 判定か...。(勝ったアルバレスとの)再戦あるんじゃないですか?」と記者に食いついた。
9.8. 身体能力・健康面
扁桃腺が大きく、熱が出やすい体質である。2016年11月場所後なども風邪をひいている様子が報じられた。
前述のとおりモンゴルではバスケットボールもしていた。その縁で2019年8月24日に開催されたバスケットボール日本代表強化試合の試合前セレモニーに白鵬と共に登場。白鵬がフリースローに挑戦したのに対し、鶴竜はより難易度の高いスリーポイントシュートに挑戦し、成功させた。浴衣、草履姿でシュートを成功させた美しいシュートフォームが話題となり、国際バスケットボール連盟も動画をアップして「相撲のスーパースターだが、素晴らしいフォームを持っている」と称賛した。
2020年末に日本相撲協会公式YouTubeチャンネルが公開した動画の企画で握力測定をしたところ、右手で87㎏を記録した。
9.9. 若手時代
入門から半年間は師匠から外出禁止を言い渡されていた。これは、外でモンゴル力士とつるんでモンゴル語で話をしていると日本語をいつまで経っても覚えず、延いては相撲部屋に馴染めず大成しないまま角界を去ることになる、との考えからであった。一方、ホームシックにならないように家族への連絡を許され、通常のところ部屋の決まりで三段目以上にならないと所持を許されない携帯電話を連絡が気軽に取れるように新弟子の頃から特例で持たせてもらえた。また、同世代の他の多くのモンゴル人力士は関取になるまで帰国が許されなかったが、鶴竜は年1度の里帰りを認められた。
若手時代に「ボンボン」「金持ち」と呼ばれることには腹が立っていたそうで、後に朝日新聞の記事で「向こうで大学の先生といっても、給料はよくない。バスケをやっていたのに、バッシュを買えなかった」と反論しており、実家のマンションも1LDKで自室は無かったという。
9.10. その他
2019年5月場所千秋楽をアメリカ合衆国大統領のドナルド・トランプが観戦するという知らせを聞き、トランプの印象について「ピンとこない。テレビの中の人だから」と語った一方で「初めてのことで、みんな気合が入ると思う。しかも令和で初めての本場所。すごいこと」と、興奮気味に語っていた。
2020年11月3日、自身が所属していた井筒部屋の建物が解体されることを明かした。本人は「自分の家みたいなもんですから。いろんな思い出があります。写真や映像で残ってますけど、実際にはもうなくなっちゃう訳ですから」と話しつつも「それは消えることはない。自分が生きている以上、その記憶はなくなることはないですからね」と入門時の師匠の15代井筒の教えがこれからも心の中で生き続けることを示した。
10. 関連項目
- 横綱一覧
- 横綱大関一覧