1. 生涯初期
渡辺明は将棋界で数々の金字塔を打ち立てる以前、将棋との出会いと才能の開花を経て、プロ棋士への道を歩み始めた。
1.1. 幼少期と教育
渡辺明は1984年4月23日に東京都葛飾区で生まれた。将棋を覚えたのは小学校1年生の頃で、アマチュア五段の腕前だった父親から教わったのがきっかけである。小学2年生の時にはすでに初段の棋力に達していた。
1994年、小学4年生(出場時は3年生)で小学生将棋名人戦に優勝。小学4年生での優勝は大会史上初の快挙であった(その後、複数の例が出ている)。この当時、彼は葛飾区立宝木塚小学校に在籍していた。
その後、中高一貫校である聖学院中学校・高等学校に進学した。中学・高校時代には、同門の3年先輩である宮田敦史が通っており、将棋への理解がある学校だと考えたためである。彼の同級生には、お笑いコンビジグザグジギーの宮澤聡がおり、6年間ずっと隣の席だった。
1.2. 奨励会入会と初期昇段
1994年、小学4年生の時に日本将棋連盟奨励会を受験し、10歳で6級として入会した。これは所司和晴七段の門下に入ったことを意味する。奨励会入会試験では、当時16歳の竹部さゆり女流棋士と対局し、わずか2分で勝利するという極端な早指しを見せた。その早さから、隣の対局がまだ駒を並べ始めたばかりだったという逸話がある。
奨励会に入会後は半年で2級まで昇級し、1級で足踏みしたものの、初段と二段をそれぞれ1年で通過し、三段リーグに進出した。中学進学時には、三段リーグと高校受験が重なることを懸念し、中高一貫校への進学を決意していた。
渡辺の奨励会での昇段履歴は以下の通りである。
- 1994年: 6級(奨励会入会)
- 1997年: 初段
- 1998年4月1日: 二段
- 1998年12月 - 1999年1月: 三段昇段(第25回奨励会三段リーグから参加)
2. プロ棋士としての経歴
渡辺明は、プロ棋士としてデビュー後、将棋界の頂点を極める数々のタイトルを獲得し、その地位を確立した。彼の経歴は、挑戦と防衛、そして一時の不振からの再起という、ドラマチックな展開を辿っている。
2.1. プロ入りと初期の活動
渡辺明は中学3年生であった2000年3月、第26回三段リーグで13勝5敗の成績を収めて1位となり、同年4月1日に15歳で四段に昇段し、プロ棋士としてデビューした。これは加藤一二三、谷川浩司、羽生善治に続く、史上4人目の中学生棋士という快挙であった。棋士の河口俊彦は、渡辺を奨励会時代から高く評価していたことで知られる。
2002年度の第61期順位戦C級2組では、9勝1敗の好成績を収め、C級1組への昇級を果たした。
2003年9月、第51期王座戦で、19歳という若さでタイトル挑戦者となった。これは当時の史上3番目の年少記録である。このタイトル戦では、棋界のトップ棋士である羽生善治王座に挑み、第3局まで2勝1敗とカド番に追い込んだものの、そこから2連敗を喫し、タイトル獲得には至らなかった。しかし、この活躍により、羽生の指し手が震えたという逸話から「羽生を震えさせた男」と称され、将棋大賞の新人賞を受賞した。同年、第44期王位戦リーグに入ったものの、1勝4敗で陥落した。
2004年4月には、棋士の伊奈祐介の妹で詰将棋作家の伊奈めぐみと結婚し、同年7月には長男が誕生した。
2.2. 竜王獲得と永世称号の取得
2004年、渡辺は第17期竜王戦の4組で阿久津主税や橋本崇載らを破り優勝し、本戦トーナメントに進出した。本戦では森雞二、谷川浩司、屋敷伸之といった強豪を次々と撃破し、挑戦者決定三番勝負では森下卓を2勝0敗でストレートで下し、無敗の10連勝で挑戦権を獲得した。そして、森内俊之竜王との七番勝負をフルセットの末に制し、2004年12月28日、弱冠20歳で竜王位を獲得した。竜王位の獲得は、屋敷(18歳・棋聖)、羽生(19歳・竜王)に次ぐ当時史上3番目の年少記録であり、4組からの竜王挑戦、そして奪取成功は藤井猛以来2人目の快挙であった。この竜王奪取の直前には、渡辺を追った毎日放送制作のTBS系ドキュメンタリー番組『情熱大陸』が放送されている。
2005年11月30日、渡辺は第18期竜王戦で木村一基九段の挑戦を4勝0敗のストレートで退け、初の防衛に成功した。この防衛により、当時史上最年少の21歳7か月で九段に昇段した(この記録は後に藤井聡太によって更新された)。
竜王戦以外の棋戦でも活躍を見せた。2005年の第13期銀河戦では森内を破り、自身初となるタイトル戦以外の全棋士参加棋戦での優勝を果たした。さらに、同年には第36期新人王戦でも千葉幸生をストレートで破り優勝。この年度は41勝を挙げ、将棋大賞の優秀棋士賞(新設)と最多勝利賞を初受賞した。
2006年には、第55回NHK杯の決勝に初進出したが、丸山忠久に敗れた。この対局では渡辺が先手番で、初手から珍しい袖飛車戦法の`▲3六歩`を指し、「決勝なので一発派手なことをやってやろうかと」と語るなど、意図的に挑戦的な指し回しを見せた。同年、第64期順位戦C級1組を8勝2敗で終え、B級2組に昇級した。
2006年12月21日、第19期竜王戦で佐藤康光九段の挑戦をフルセットの末に退け、竜王位3連覇を達成した。このシリーズでは、開幕から2連敗し、第3局も劣勢に立たされたが、終盤で「まるでつくったような逆転の一手」と評される`△7九角`を放ち逆転勝利を収めた。この一手が流れを変え、続く2局も勝利して3連勝とした。第6局では、佐藤が渡辺の初手`▲7六歩`に対し、挑発的な意味合いを持つとされる`△3二金`と指した。渡辺はこの挑発に乗って不慣れな振り飛車を指し敗れたが、最終局では再び`△3二金`を採用した佐藤に対し、渡辺は挑発に乗らず矢倉の相居飛車に持ち込み勝利し、防衛を果たした。
2007年3月21日、第16回世界コンピュータ将棋選手権優勝のコンピュータ将棋プログラム「Bonanza」との特別対局で勝利を収めた。当初、渡辺はこの対局を拒否していたが、当時の日本将棋連盟会長米長邦雄の説得により対局を了承した。この年、将棋大賞の敢闘賞を受賞している。同年、第65期順位戦B級2組を10戦全勝で終え、2期連続昇級でB級1組へ昇級した。第15期銀河戦では決勝で森内俊之を破り、2年ぶり2回目の優勝を飾った。
同年、第78期棋聖戦で竜王として初めてのタイトル挑戦者となったが、佐藤康光に1勝3敗で敗れ、二冠獲得はならなかった。一方、第20期竜王戦では再び佐藤康光の挑戦を受け、4勝2敗で防衛に成功し、竜王戦の新記録となる4連覇を達成した。
2008年8月24日、第2回大和証券杯ネット将棋・最強戦の決勝で鈴木大介を破り優勝した。
2008年、第21期竜王戦七番勝負では、竜王通算6期を誇る羽生善治を挑戦者に迎え、勝者が初代永世竜王となる注目の戦いとなった。渡辺は第1局から3連敗という絶体絶命の状況に追い込まれたが、第4局で自玉に打ち歩詰めがあるという不利な局面から逆転勝利を収めた。続く第5局も制し、第6局では阿久津流急戦矢倉で新手(渡辺明自身が「つくったような逆転の一手」とブログで評した)を繰り出して完勝。そして最終第7局も1分将棋の激戦を制し、第4局からの4連勝で竜王戦5連覇を達成した。七番勝負における3連敗からの4連勝は、将棋界史上初の出来事である。この勝利により、渡辺は竜王在位連続5期となり、初代永世竜王の資格を獲得した。渡辺は他のタイトルを獲得することなく竜王のタイトルのみを積み重ね続け、永世竜王の資格を得た。この最終第7局は、将棋大賞の「名局賞」を羽生とともに受賞している。
2009年度の第22期竜王戦では、永世名人の資格を持つ森内俊之九段が挑戦者となり、タイトル戦史上初の「永世竜王対永世名人」という戦いが実現した。渡辺は第4局までに4連勝のストレートで防衛に成功し、竜王位6連覇を達成した。そして次年度(2010年度)の第23期竜王戦では、羽生善治王座(当時)の挑戦を4勝2敗で退け、竜王戦7連覇を達成した。竜王7期は、6期の羽生を抜き、歴代単独トップの記録である。
2009年9月24日、第59期王将戦の二次予選決勝で勝利し、棋界随一の難関とされる王将リーグに初めて入ったが、2勝4敗で負け越して陥落となった。
2.3. 三冠達成と主要タイトル獲得
2010年2月5日に行われた第12回第68期順位戦B級1組で深浦康市九段との直接対決を制し、順位戦初参加から10年目、B級1組在籍3年目にして、ついにA級への昇級を決めた。
2011年1月6日、第36期棋王戦挑戦者決定戦第2局で広瀬章人九段に勝利し、敗者復活戦からの2連勝で久保利明への挑戦権を獲得したが、1勝3敗でタイトル奪取はならなかった。9月27日、第59期王座戦挑戦者決定戦で久保利明を破り挑戦権を得て、羽生善治王座に3勝0敗のストレートで勝利し、自身初の王座位を獲得した。これにより、初めての二冠となり、規定により序列1位となった。同年12月2日、第24期竜王戦で丸山忠久九段を4勝1敗で下し、竜王戦8連覇を達成した。
2012年、第61回NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、自身が「鬼門」と語っていた準決勝で久保利明を破ったものの、決勝で4連覇を目指した羽生善治に敗れた。10月3日、第60期王座戦第4局で千日手指し直しの激戦の末、挑戦者の羽生善治に敗れ、1勝3敗で初のタイトル防衛失敗となった。これにより、棋士序列も2位に後退した。
11月26日、第62期王将戦リーグで羽生善治を破り、第55期の佐藤康光以来7期ぶりに王将リーグ全勝を達成し、佐藤康光王将への挑戦権を獲得した。11月29日、第25期竜王戦で丸山忠久九段を4勝1敗で下し、竜王戦9連覇を達成した。これは歴代最長の連覇記録である。
2013年1月7日、第38期棋王戦挑戦者決定戦で羽生善治を破り、2期ぶりの挑戦権を獲得した。2月9日には、準決勝で羽生善治、決勝で菅井竜也八段を破り、第6回朝日杯将棋オープン戦で優勝した。3月7日、第62期王将戦で佐藤康光を4勝1敗で下し、初の王将位を獲得した。同年3月17日に放映された第62回NHK杯テレビ将棋トーナメントの決勝戦では、羽生善治を破り、5連覇を阻止すると同時に自身初の優勝を果たした。同年3月24日、第38期棋王戦で郷田真隆九段を3勝1敗で下し、初の棋王位を獲得した。これにより、史上8人目の三冠(竜王、棋王、王将)となった。2012年度の将棋大賞では、自身初となる最優秀棋士賞を受賞した。
2.4. 名人位獲得と防衛戦
2013年4月26日、第84期棋聖戦挑戦者決定戦で郷田真隆を破って挑戦権を得たものの、羽生善治棋聖に1勝3敗で敗れた。第26期竜王戦七番勝負では、11月29日、森内俊之名人に1勝4敗で敗れ、竜王位を失冠した。これにより、歴代最長である竜王位の連覇記録は9期で止まった。この結果、渡辺は二冠(棋王、王将)となった。しかし、第39期棋王戦では、挑戦者の三浦弘行九段に3勝0敗でストレート勝ちし、棋王戦2連覇を達成した。また、第63期王将戦でも、挑戦者の羽生善治を4勝3敗で破り、王将位の2連覇を達成した。2014年2月7日に日本将棋連盟が発表した「2013年獲得賞金・対局料ベスト10」では、1.03 億 JPYで初の1位となり、羽生善治を16年ぶりに1位の座から陥落させた。

2014年、第22期銀河戦で決勝で松尾歩八段を破り、3年ぶり4回目の優勝を果たした。11月16日には、第35回将棋日本シリーズ決勝戦で羽生善治を破り、初優勝を飾った。また、第40期棋王戦でも、挑戦者の羽生善治に3勝0敗でストレート勝ちし、棋王戦3連覇を達成した。しかし、並行して行われていた第64期王将戦では、棋王のタイトルを奪った郷田真隆九段に3勝4敗で敗れ、王将位を失冠し、棋王のみの一冠に後退した。
2015年、第28期竜王戦挑戦者決定戦で永瀬拓矢九段を破り、糸谷哲郎竜王への挑戦権を獲得した。この対局は渡辺にとって初めて後輩と戦うタイトル戦となったが、4勝1敗で3期ぶりに竜王に復位し、棋王と合わせて二冠となった。続く第41期棋王戦でも、挑戦者の佐藤天彦九段を相手に3勝1敗で防衛し、棋王戦4連覇を達成した。渡辺はこの将棋について「自身の全公式戦の中でも3本の指に入る将棋」と振り返っている。
2016年、第29期竜王戦では、将棋ソフト不正使用疑惑騒動により、シリーズ開幕直前に挑戦者が三浦弘行から丸山忠久に変更されるという異例の事態が発生した。同年12月22日、渡辺は丸山を4勝3敗で下して竜王位を防衛し、竜王戦2連覇となった。
2017年3月27日、第42期棋王戦第5局で千田翔太八段の挑戦を3勝2敗で退け、棋王を防衛(棋王戦5連覇)。これにより、羽生善治以来22年ぶり、史上2人目となる永世棋王の資格を獲得した。これは通算で複数の永世称号を獲得した棋士としては、大山康晴、中原誠、羽生善治に続いて史上4人目となる快挙であった。
2.5. 無冠時代と再起
2017年12月5日、第30期竜王戦第5局で羽生善治に1勝4敗で敗れ、竜王位を失冠し、棋王のみの1冠となった。2018年3月2日、第76期順位戦A級11回戦で三浦弘行に敗れ、4勝6敗の成績で、8期連続で在位したA級からB級1組へ降級した。2017年度の成績は、プロ入り以来初の負け越しとなる21勝27敗、勝率0.437%という結果に終わった。
2018年3月30日の第43期棋王戦第5局で永瀬拓矢九段の挑戦を3勝2敗で退け、棋王を防衛(6連覇)した。11月18日には第39回将棋日本シリーズJTプロ公式戦決勝戦で菅井竜也を破り、2度目の優勝を果たした。第77期順位戦B級1組では9連勝でクラス1位を確定させ、早期のA級復帰を決めた上、残り3局も勝利し、丸山忠久以来、史上2人目となる全勝昇級を達成した。
2019年2月25日、第68期王将戦で久保利明をストレートで破り、5期ぶり通算3期目の王将位を獲得した。同年7月9日の第90期棋聖戦第4局で豊島将之竜王・名人(当時)に3勝1敗で勝利し、自身初の棋聖位を獲得した。これにより、三冠(棋王、王将、棋聖)に復帰した。
第78期順位戦A級では7連勝でクラス1位を確定させ、豊島将之名人への挑戦権を獲得するとともに、残り2局も勝利して史上4人目のA級全勝を達成した。また、前期B級1組からの順位戦21連勝、および史上初の2期連続順位戦全勝も達成した。2020年3月17日に行われた第45期棋王戦第4局で挑戦者の本田奎五段に3勝1敗で勝利し、棋王戦8連覇を達成した。同年3月25日・26日の第69期王将戦第7局で挑戦者の広瀬章人八段を4勝3敗で破り、王将位を防衛(2連覇・通算4期)、三冠を死守して2019年度を終えた。将棋大賞では、7年ぶり2回目となる最優秀棋士賞を受賞した。
2020年7月16日、第91期棋聖戦で、タイトル初挑戦となった藤井聡太七段に1勝3敗で敗れ、棋聖位を失冠した。これにより、藤井聡太の最年少タイトル記録更新(17歳11か月での奪取)を許す結果となり、渡辺は二冠に後退した。しかし、約1か月後の8月15日、並行して挑戦していた第78期名人戦第6局で豊島将之名人から4勝目(2敗)を挙げ、タイトル在位26期目にして自身初となる名人位を獲得すると共に、三冠に復帰した。この名人戦は新型コロナウイルス感染症の影響で延期されていた。
2021年3月14日の第70期王将戦第6局で挑戦者の永瀬拓矢王座を4勝2敗で破り、王将位を3連覇(通算5期)した。これにより、タイトル獲得数は通算27期となり、歴代4位の谷川浩司九段に並んだ。同年3月17日、第46期棋王戦五番勝負第4局で糸谷哲郎八段に勝利し、シリーズ3勝1敗で棋王戦9連覇を達成した。この勝利により、タイトル獲得数は通算28期となり、谷川九段を抜き、歴代単独4位となった。同年5月29日、第79期名人戦で挑戦者の斎藤慎太郎八段を4勝1敗で破り、名人位を防衛した。
2021年7月3日、第92期棋聖戦で藤井聡太棋聖に0勝3敗で敗れ、自身初のタイトル戦ストレート負けを喫した。2022年2月12日、第71期王将戦で王将戦タイトル初挑戦となった藤井聡太竜王に0勝4敗で敗れ、王将位を失冠した。しかし、第47期棋王戦では永瀬拓矢王座を挑戦者に迎え、シリーズ3勝1敗で防衛。タイトル通算獲得数を30にのせ、史上3人目となる同一タイトル10連覇を果たした。
2022年度、第80期名人戦では、順位戦A級8勝1敗で挑戦者になった斎藤慎太郎八段を相手に4勝1敗で名人位を防衛し、名人戦3連覇を果たす。
2023年3月19日、第48期棋王戦で藤井聡太王将(当時)を相手に1勝3敗で敗戦。同年6月1日、第81期名人戦では、藤井聡太七冠を相手に1勝4敗で敗戦。これにより、約18年5か月(6729日)ぶりに無冠となった。名人位を失冠した渡辺は、翌年度の第82期順位戦A級では最年長の棋士として臨むことになった。
2024年7月、第65期王位戦で藤井聡太王位への挑戦権を獲得し、自身初となる王位戦挑戦が実現した。これは渡辺にとって22年連続となるタイトル戦登場となった。しかし、番勝負は1勝4敗で敗退した。同年11月24日、将棋日本シリーズJTプロ公式戦決勝戦で広瀬章人九段を破り、5年ぶり4度目の優勝を果たした。
2.5.1. 左膝負傷による途中休場
第65期王位戦リーグの進行期間中、渡辺は自身の運動中に左足を負傷したことを自身のSNSで公表した。妻で漫画家の伊奈めぐみは、この怪我がフットサル中の左膝前十字靭帯の断裂であり、長年の正座に起因する半月板損傷も併せて判明したことを、著作『将棋の渡辺くん』で明らかにした。負傷当初は王位戦リーグ後の6月に治療とリハビリ期間を充てる予定であったが、王位戦挑戦者となったことで治療を当面延期することになった。
左膝の状況は秋までは対局に大きな支障はなかったが、同年12月の対局から椅子対局を希望するようになった。12月13日の第83期順位戦A級6回戦の対千田翔太八段戦では、中盤戦であったが膝の痛みによりやむを得ず投了した。同年12月19日、膝の手術により年末年始の1か月間を休場することを公表した。この休場により、1月上旬から中旬の順位戦対局(7回戦)が延期され、非公式戦であるABEMAトーナメントにも影響が生じた(監督交代、不出場)。
休場明けの2025年1月23日に予定された第18回朝日杯将棋オープン戦本戦の対局は、療養中の身体では対局場(関西将棋会館)への移動が難しいとの判断から不戦敗となった。同年1月28日の順位戦A級8回戦(一斉対局)が渡辺の復帰戦となったが、術後療養中の足の状態は対局を全うできる状態には程遠く、この対局でも休場直前の対局と同様に、夕食休憩中に足の状態を理由に渡辺はやむなく投了の意思を示した。
2.6. 昇段履歴
渡辺明のプロ棋士としての昇段履歴は以下の通りである。
- 1994年: 6級(奨励会入会)
- 1997年: 初段
- 1998年4月1日: 二段
- 1998年12月 - 1999年1月: 三段昇段(第25回奨励会三段リーグから参加)
- 2000年4月1日: 四段(第26回奨励会三段リーグ成績1位、プロ入り)
- 2003年4月1日: 五段(順位戦C級1組昇級)
- 2004年10月1日: 六段(五段昇段後竜王挑戦)
- 2004年12月28日: 六段(第17期竜王獲得)
- 2005年10月1日: 七段(竜王獲得1期=第17期竜王)
- 同一年度に竜王挑戦と竜王獲得を達成したが、「同一年度内に2回以上昇段することはない」との規定により、七段昇段(竜王獲得)は六段昇段(竜王挑戦)の1年後の日付となった。このため、渡辺が「渡辺明七段」「渡辺明八段」と名乗る機会はほとんどなかった。
- 2005年11月17日: 八段(昇段制度改正による昇段 / 竜王獲得1期=第17期竜王)
- 2005年11月30日: 九段(竜王獲得2期=第18期竜王)
- 当時史上最年少の九段昇段記録であった(谷川浩司の21歳11か月を更新。この記録は後に藤井聡太によって更新された18歳11ヶ月)。また、渡辺は2005年の10月1日から11月30日のわずか2か月で六段から九段まで3つ昇段している。
3. 棋風
渡辺明の棋風は、その固い玉形と攻撃的な姿勢、そして終盤の粘り強さに特徴がある。彼は戦術を状況に応じて変化させ、常に自身の将棋を進化させてきた。
3.1. 主な戦術と特徴
渡辺明は居飛車党であり、特に固い玉形、中でも居飛車穴熊からの攻めを得意としている。矢倉、対振り飛車、角換わりといったあらゆる戦型において、駒の配置を変えて玉を穴熊にする戦い方を多用する。特に先手番での矢倉穴熊の勝率は高い。
また、少々強引に見えても自玉が安全なため結果的に攻めが成功する、いわゆる「Z(ゼット):絶対玉が詰まない形にして攻めまくる」と称されるパターンが多い。これは現代的な実戦感覚に優れていると評価されており、基本的には合理的な組み立てと勝ちやすさを重視する棋風である一方で、ここぞという時の勝負の勘所も心得ている。
2006年の第55回NHK杯戦準決勝、三浦弘行八段との一局では、純粋な金損の局面から歩のみで手を作り、最後は角の押し売りで玉頭に1歩を垂らすという決め手を放ち、大逆転勝利を収めた。この一局は、渡辺の棋風が凝縮されたものとして知られている。
2008年の第21期竜王戦第1局では、挑戦者の羽生善治に対し得意の穴熊を採用した。しかし、第2局以降は穴熊をあえて採用せず、急戦将棋で飛車切りを含んだ攻撃的な将棋を積極的に指し、竜王5連覇を達成した。
かつて、2004年の竜王奪取時までは、後手番で横歩取り8五飛を多用していた。しかし、2005年以降は採用数が極端に減った。このことについて、本人は「横歩取りばかり指していると進歩がない」とコメントしているが、研究が進んで後手が勝ちにくくなったことも一因とされる。この「棋風変更」のため、後手番の初手にはほとんど飛車先の歩を突き、現在の将棋界では少数派である「居飛車正統派」となった。
後手番での苦戦を打開するため、2008年第21期竜王戦では「後手急戦矢倉」を採用し、さらに新手を繰り出すという趣向を見せた。これに対し、それまで戦法の単調さに苦言を呈することが多かった谷川浩司九段も「評価が大きく変わった」と絶賛した。特に第21期竜王戦第6局での後手急戦矢倉(対羽生戦)の新手は、一気に完勝につながった。羽生善治は「渡辺将棋は、現代の若者らしく多くのデータの中から良質なものを選び出す能力が高い。棋譜、定跡、研究、手筋などあふれかえるほどの情報量をうまく質に転換できている」と評している。
長らく純粋な居飛車党として活躍してきたが、竜王位を失冠した翌年の王位リーグ(対佐藤康光戦)において、突如後手ゴキゲン中飛車を採用し、将棋界を驚かせた(結果は佐藤が勝利)。その直後の第63期王将戦第4局、対羽生戦でもゴキゲン中飛車を採用したが敗戦。しかし、同時期に行われていた第40期棋王戦五番勝負第2局では、三連続でゴキゲン中飛車を採用し、挑戦者の三浦弘行九段に78手で快勝した。フルセットで迎えた王将戦第7局でも、後手番の渡辺はゴキゲン中飛車を用い、超速からの相穴熊戦を制して王将位初防衛を果たした。
3.2. 終盤の戦い方と棋風の変化
渡辺は四段時代から「大山の再来」といわれるほど、終盤の逆転術に長けている。プロになった頃は谷川浩司の将棋を並べていると答えていたが、谷川将棋のように最善の寄せを探求して最短手で寄せるというよりは、大山将棋のような終盤の粘り強さと、泥沼の展開から逆転を見せる終盤術が特徴である。
2014年のインタビュー(『渡辺明の思考: 盤上盤外問答』)では、自身の棋風の弱点への対策として、中原誠十六世名人や羽生善治九段の将棋を並べていると語っている。
形勢が良い時には「じっくりと考えて安全に指す」ことを重視する。
反対に、形勢が悪い時には以下の戦術を採る。
- 時間攻め: 相手の持ち時間が少ない時に、早指しすることで相手に考える時間を与えず、ミスを誘う。または、ここぞという時にはじっくり考える。
- 局面を複雑化させる: 相手が迷いそうな手を指し、選択肢を増やすことで、時間を浪費させたりミスを誘ったりする。
2020年7月9日の第91期棋聖戦五番勝負第3局では、最年少での初タイトル獲得が期待された藤井聡太二冠に2連敗で追い詰められた渡辺が、終盤にこうした作戦を徹底することで勝利を収めている。
3.3. 苦手な分野と克服への努力
意外なことに、渡辺は若い頃、詰将棋が大の苦手であった。奨励会時代はそのため詰将棋が嫌いだったが、竜王に就位してから試しに解いてみたら解けるようになっていたという。
4. 主な成績と受賞
渡辺明は、数多くのタイトルを獲得し、将棋界における輝かしい記録を打ち立ててきた。彼の功績は、獲得タイトル数や永世称号のみならず、様々な棋戦での優勝、そして日本将棋連盟からの将棋大賞受賞歴にも表れている。
4.1. タイトル獲得と永世称号
渡辺明は、これまでに主要タイトル戦に合計45回登場し、そのうち31期を獲得している。これは歴代4位の記録である。
タイトル | 獲得年度 | 登場回数 | 獲得期数 | 連覇記録 | 永世称号(備考) |
---|---|---|---|---|---|
竜王 | 2004-2012、2015-2016 | 13回 | 11期(歴代1位) | 9連覇(歴代1位) | 永世竜王資格 |
名人 | 2020-2022 | 4回 | 3期 | 3連覇 | |
叡王 | - | 0回 | - | - | |
王位 | - | 1回 | - | - | |
王座 | 2011 | 3回 | 1期 | - | |
棋王 | 2012-2021 | 12回 | 10期(歴代2位) | 10連覇(歴代2位) | 永世棋王資格 |
王将 | 2012-2013、2018-2020 | 7回 | 5期 | 3連覇 | |
棋聖 | 2019 | 5回 | 1期 | - |
4.2. その他棋戦優勝
渡辺明は、主要タイトル戦以外の棋戦でも数多くの優勝を飾っている。
- 朝日杯将棋オープン戦 1回: 2012年度
- NHK杯 1回: 2012年度
- 銀河戦 4回: 2005・2007・2011・2014年度
- 新人王戦 1回: 2005年度
- ネット将棋・最強戦 1回: 2008年度
- 将棋日本シリーズ 4回: 2014・2018・2019・2024年度
これらを含む、一般棋戦での優勝合計は12回である。
4.3. 将棋大賞と特筆すべき記録
渡辺明は、日本将棋連盟が主催する将棋大賞を数多く受賞している。
- 第30回(2002年度): 新人賞
- 第31回(2003年度): 敢闘賞
- 第32回(2004年度): 殊勲賞
- 第33回(2005年度): 優秀棋士賞、最多勝利賞
- 第34回(2006年度): 敢闘賞
- 第36回(2008年度): 優秀棋士賞、名局賞(第21期竜王戦第7局・対羽生善治名人)
- 第38回(2010年度): 優秀棋士賞、最多対局賞
- 第39回(2011年度): 優秀棋士賞、名局賞(第24期竜王戦第4局・対丸山忠久九段)
- 第40回(2012年度): 最優秀棋士賞、名局賞(第60期王座戦第4局・対羽生善治三冠)
- 第43回(2015年度): 優秀棋士賞、名局賞(第41期棋王戦第4局・対佐藤天彦八段)
- 第45回(2017年度): 名局賞(第30期竜王戦第4局・対羽生善治棋聖)
- 第46回(2018年度): 優秀棋士賞、連勝賞
- 第47回(2019年度): 最優秀棋士賞
- 第48回(2020年度): 優秀棋士賞、名局賞(第91期棋聖戦第1局・対藤井聡太七段)
- 第49回(2021年度): 優秀棋士賞
- 第50回(2022年度): 優秀棋士賞
特に、優秀棋士賞9回受賞は歴代最多記録である(当該年度の最優秀棋士賞受賞者は、羽生善治(第43回までの5回)、豊島将之(第46回)、藤井聡太(第48回以降の3回))。
また、将棋界における特筆すべき記録も多数保持している。
- 竜王戦連覇: 9期(歴代1位)
- 竜王在位: 11期(歴代1位)
- 初タイトル獲得からタイトル保持期間(一冠以上): 18年5か月(2004年12月28日の竜王獲得から2023年6月1日の名人失冠まで)
- B級1組順位戦12戦全勝(第77期・2018年度): 史上2人目の記録(1997年度の丸山忠久に続く記録)。
- A級順位戦9戦全勝(第78期・2019年度): 史上4人目の記録(1971年度の中原誠(8戦全勝)、2003年度の森内俊之、2011年度の羽生善治に続く記録)。
- 順位戦2期連続全勝: 21戦全勝(第77期B級1組<12勝> - 第78期A級<9勝>)。全クラスを通じて史上初の快挙(渡辺以外では、藤井聡太が順位戦2期連続全勝(20戦全勝、第78期C級1組<10勝> - 第79期B級2組<10勝>)を達成している)。
- タイトル戦七番勝負での3連敗後の4連勝(●●●○○○○)によるタイトル獲得: 史上初(第21期竜王戦第7局、対羽生善治戦、2008年12月18日)。
- 単一獲得タイトルでの永世称号資格(永世竜王)獲得: 木村義雄(永世名人)に続き史上2人目(複数のタイトルを持つ棋士の中で単一タイトルでの永世称号は史上初。木村義雄の永世名人の場合、当時存在したタイトル戦は名人戦のみ)。
- 順位戦A級在籍せずに永世称号資格獲得。
- 名人戦七番勝負未出場棋士・名人未獲得棋士の最多タイトル獲得期数: 通算25期(第59期王座戦第3局〈2011年9月27日〉に勝利しタイトル通算8期とし最多記録、以降は通算25期まで記録更新。同じく名人戦七番勝負未出場棋士の南芳一によるタイトル通算7期を更新。渡辺は以降も記録更新を続け、第78期名人戦第1局(2020年6月)への出場により記録ストップ。またこの第78期名人戦での名人獲得により、「名人未獲得棋士のタイトル最多獲得記録」も25期でストップした)。
- 名人戦七番勝負未出場棋士の永世二冠達成(史上初、永世竜王・永世棋王): 第42期棋王戦第5局(2017年3月27日)に勝利し永世棋王の資格を獲得した時点(永世二冠達成者は渡辺の他に大山康晴・中原誠・羽生善治の3名いるが、3名とも永世二冠を達成する前に名人戦に出場している)。
- 二つの元号(平成と令和)でそれぞれタイトルを9期以上獲得(昭和と平成それぞれで活躍した棋士はいるが、この二つの元号のそれぞれで獲得したタイトル期数の最多記録は6期で、中原誠(昭和に58期、平成に6期)と谷川浩司(昭和に6期、平成に21期)が持つ記録である。平成と令和でタイトルを獲得した棋士は渡辺の他に、現時点で豊島将之(平成に2期、令和に4期獲得)のみ。なお、羽生善治のタイトルはすべて平成で獲得したものであり、藤井聡太のタイトルはすべて令和になってから獲得したものである)。
- 2か月の期間内での三度の昇段(史上初): 2005年10月1日に七段昇段、同年11月17日に八段昇段、同年11月30日に九段昇段。
- 七段と八段を名乗ることなく九段昇段(羽生善治も六段で初タイトル竜王獲得後、七段と八段を名乗ることなく九段に昇段したが、羽生の場合は初タイトル翌年に竜王を失冠し「前竜王」を称した期間を有しており、タイトル防衛で九段に昇段した渡辺と異なる)。
4.4. 獲得賞金・対局料ランキング
渡辺明は、日本将棋連盟が毎年発表する「年間獲得賞金・対局料ランキング」において、2004年以降毎年「トップ10」入りを果たしており、そのうち18回は「トップ3」にランクインしている。特に、2013年、2017年、2021年には首位を獲得した。
年 | 金額 | 順位 |
---|---|---|
2004 | 2442.00 万 JPY | 6位 |
2005 | 6194.00 万 JPY | 3位 |
2006 | 5654.00 万 JPY | 4位 |
2007 | 8032.00 万 JPY | 2位 |
2008 | 6252.00 万 JPY | 2位 |
2009 | 5605.00 万 JPY | 2位 |
2010 | 6240.00 万 JPY | 2位 |
2011 | 8365.00 万 JPY | 2位 |
2012 | 7197.00 万 JPY | 2位 |
2013 | 1.03 億 JPY | 1位 |
2014 | 6684.00 万 JPY | 3位 |
2015 | 4577.00 万 JPY | 3位 |
2016 | 7390.00 万 JPY | 2位 |
2017 | 7534.00 万 JPY | 1位 |
2018 | 5119.00 万 JPY | 3位 |
2019 | 6514.00 万 JPY | 3位 |
2020 | 8043.00 万 JPY | 2位 |
2021 | 8194.00 万 JPY | 1位 |
2022 | 7063.00 万 JPY | 2位 |
2023 | 4562.00 万 JPY | 2位 |
2024 | 2594.00 万 JPY | 5位 |
4.5. 外部からの受賞・表彰
2024年11月3日、渡辺は紫綬褒章を受章した。これは将棋界からの受賞としては16人目であり、40歳での受章は史上最年少である。
5. 人物
渡辺明は、将棋盤上での冷静沈着な姿とは裏腹に、豊かな人間性と多様な交友関係、そして将棋界に大きな波紋を呼んだ将棋ソフト不正使用疑惑騒動における重要な役割など、多面的な顔を持つ。
5.1. 愛称と異名
渡辺明には、その対局スタイルや容姿に由来する様々な愛称や異名が存在する。
- 「魔太郎」: 藤子不二雄Aの漫画『魔太郎がくる!!』の主人公に似ていることに由来し、本人もその類似性を認めている。また「大山の再来」ともよく言われる。丸眼鏡をかけると大山康晴に似ており、特に髪型を丸坊主にした際には、妻が「見紛うことなく大山先生」と言うほどになった。
- 「魔王」: かつて山崎隆之八段と共に「西の王子、東の魔王」と並び称されたことから、この異名が付いた。
- 「冬将軍」: 竜王戦、棋王戦、王将戦といった冬場に行われる棋戦で特に強さを発揮することから、この愛称で呼ばれる。対照的に羽生善治九段は「冬は朝が暗くて、怖い」と冬が苦手であることを公言している。
5.2. 家族と交友関係
渡辺は2004年4月に、棋士の伊奈祐介八段の妹で詰将棋作家の伊奈めぐみと結婚し、同年7月には長男が誕生した。二人は奨励会員だった伊奈めぐみと渡辺が、詰将棋という共通の趣味を通じて親しくなったことがきっかけである。妻の伊奈めぐみは、2013年6月号より漫画『将棋の渡辺くん』の連載を開始し、漫画家としてもデビューしている。しかし、2024年11月22日に伊奈めぐみと離婚したことを公表した。離婚後も二人は同居を続けるが、今後の継続については未定としている。なお、『将棋の渡辺くん』の連載は継続される。
元義兄・伊奈祐介の妻は囲碁棋士の佃亜紀子六段であり、渡辺が趣味として囲碁を始めてからは、佃が特訓などで渡辺に囲碁の指導をしている。
渡辺は、村山慈明七段、戸辺誠七段、佐藤天彦九段と若手時代から親交が深く、彼らは羽生世代をはじめとする他の棋士の将棋を厳しく評価し合ったことから、「酷評三羽烏」や「激辛三羽ガラス」などと呼ばれていた。後に佐藤天彦が加わり「四羽烏」となった。
若手時代に渡辺のプロ入り初年に第42期王位戦予選で対戦した中学生プロの先輩である加藤一二三九段には、公式戦で0勝1敗の成績である。また、米長邦雄永世棋聖には公式戦で1勝0敗、中原誠十六世名人には3勝1敗の対戦成績を挙げている。
羽生善治九段は、30代頃から終盤戦で勝勢になると手が激しく震えることがあるが、これが有名になったのは、2003年の王座戦第5局における渡辺との対局がきっかけである。この対局の終盤で羽生は右手が震えて駒をまともに掴めなくなったという。
5.3. ブログ活動と対局姿勢
渡辺明は、gooブログで公式ブログを開設しており、かつてはアクセスIP数ベスト10の常連となるほどの人気を誇っていた。このブログは2007年6月25日にgooブログのオフィシャルブログとなり、コメントの書き込みはgoo IDを持つものに限定され、2008年9月9日からはコメント受付が停止された。2024年9月頃までにはブログ内の全記事が削除されている。
対局中の姿勢については、タイトル戦での楽しみは「おやつくらいしかない」と公言しており、チョコケーキやチーズケーキなど「味に外れがなさそうなものを手堅く選ぶ」という。
2010年1月にアーケードゲームで稼働された将棋ゲーム『天下一将棋会』を実際にプレイし、高く評価した。続編の『天下一将棋会2』のロケテストでは、イベントの一環としてプロ棋士対決に登場。駒落ちや多面指しというハンデにもかかわらず、全戦全勝を記録している。
5.4. 将棋界における論争
2016年10月、当時竜王位にあった渡辺は、第29期竜王戦七番勝負の開幕直前に、挑戦者であった三浦弘行九段が対局中に将棋ソフトを使って不正をしている疑いがあることを指摘し、週刊誌にその情報を公開した。この記事の掲載が一因となり、将棋連盟は竜王戦への影響を考慮し、三浦を年内の出場停止処分とし、挑戦者を丸山忠久九段に交代するという異例の事態となった。
将棋連盟から委嘱を受けた第三者調査委員会は、渡辺が指摘した疑惑(特に、疑惑のきっかけとなった対局中の30分以上の離席)について映像分析を含む調査を行った結果、不正行為があったと認めるに足りる証拠能力は到底なかったと発表した。この騒動の責任を取り、当時連盟の役員であった谷川浩司(会長)や島朗(常務理事)らが辞任、他の役員も解任されるなど、将棋界に大きな混乱をもたらした。将棋連盟は最終的に三浦の潔白を認め、彼に謝罪した。三浦と連盟の和解成立の記者会見に先立ち、渡辺は三浦に直接会って謝罪している。
2021年には研究用として、CPUの性能が重要なNNUE系の将棋ソフト「水匠」と、GPUの性能が重要なディープラーニング系の将棋ソフト「dlshogi」の両方を利用するために、個人向けとしては当時の最高性能となるCPU(Ryzen Threadripper 3990X)とGPU(GeForce RTX 3090)が搭載されたデスクトップパソコンを130.00 万 JPYで購入した。この高性能PCの排熱のため、部屋が非常に暑くなるという。
6. 趣味・嗜好
渡辺明は将棋以外の分野にも幅広い関心を持ち、様々な趣味や嗜好を持っている。
6.1. スポーツ活動
渡辺はサッカーファンであり、海外まで足を運んで試合を観戦することもある。息子のサッカーをきっかけに、2013年にはサッカー公式審判員4級の資格を取得し、小学校の試合で審判を務めることもあった。しかし、2017年には更新を忘れて審判資格を失効している。サッカーではマンチェスター・ユナイテッドのファンだが、監督としてはディエゴ・シメオネを高く評価しており、シメオネの著書『シメオネ超効果』を愛読している。
また、自らもフットサルを始め、2015年に発足した日本将棋連盟フットサル部(通称:FCセンダガーヤ)では部長を務めている。
2018年頃からはカーリングを始め、2019年には練習のためにわざわざ軽井沢まで出向くほど熱中している。自身のブログにも「カーリング」のカテゴリを設け、度々練習の様子を掲載していた。
6.2. その他の趣味
渡辺は将来の夢は「馬主になること」というほどの競馬好きで、GI競走の時にはテレビ中継にゲストとして呼ばれたこともある。2008年竜王戦の対局がパリで行われた際には、サンクルー競馬場に立ち寄って馬券を購入したというエピソードがある。同じく競馬好きで知られる囲碁棋士の高尾紳路九段の紹介で一口馬主になったりもしている。棋士引退後は「フルタイム競馬ジジイ」になりたいと語り、競馬雑誌のインタビューでは「現役を引退して、月曜日の朝から(前の週の)レースを全部見たりするのが、今から楽しみなんですよ」と語っていたが、妻からは「今もう隠居してるじゃん」「週休5日のくせに」と冗談交じりに突っ込まれている。2016年からは馬券を買わずに、テレビでレースを見る楽しみ方に変わったと答えているが、競馬への興味がなくなったわけではなく、自身のブログでは「相変わらずレースはほぼ全部見ている」「競馬の話題はふってください」と記していた。2020年12月25日にはスポーツニッポン主催のオンラインイベント「有馬記念大予想ONLINE TALK SHOW」に出演している。奨励会時代に足踏みが見られたのは、当時『パワプロ』とともに『ダービースタリオン』に熱中しすぎたからだと自己分析している。

桃太郎電鉄シリーズが好きで、ブログでも棋士仲間や家族と遊んだことが話題に上がっていた。好きが高じて、友人を集めて二泊三日の合宿を計画したこともある。2016年にはニコニコ生放送の「桃太郎電鉄大会」にも出場したが、他の参加者とは実力差があったため、すっかりしょげかえってしまいブログでも反省の弁を述べていた。お正月には伊奈祐介夫妻との大貧民(大富豪)大会の勝敗が、自身または妻のブログに記されていることが多い。
渡辺は巨人ファンの父親への反抗心からヤクルトファンとなり、息子とともに野球観戦もする。『週刊ベースボール』を定期購読しているほか、将棋会館と神宮球場が近接しているため、シーズンシートを購入し、会館に出かけた帰りに球場に観戦に訪れることも多い。『将棋の渡辺くん』第5巻ではつば九郎と対談も行っている。2020年12月20日にはニコニコ生放送「プロ野球×将棋特番」に出演し、将棋好きのプロ野球選手4名(丸佳浩、平田良介、安田尚憲、齋藤友貴哉)と共演した。
食の嗜好については、初めて見た食べ物にはひどく臆病で、猫のようにチョイチョイするだけで結局食べないのが定番だという。元々「野菜が嫌い」で好き嫌いが激しかったが、結婚後は妻の「教育」もあり、「大人しく何でも食べるようになった」とのこと。しかし今でもキュウリとブロッコリーだけは食べられない。辛いカレーライスや寿司のわさびも苦手。サンドイッチも「辛子が入っていることが多い」ため好まないほか、梅干しのおにぎりも好きではない。一方で好きな食べ物はチョコパイ、マンゴープリン、ラーメン、グラタンコロッケバーガーである。酒も嗜むが、酔うと羽生善治のすごさを語りだし、また「一度でいいから合コンがしたい」と愚痴をこぼすという。
高校から20代前半にかけて(独身時代)、モーニング娘。のファンだった。特に「自分と同い年」との理由から石川梨華のファンで、ライブにも参加していた。当時はハロプロのコンサートの他、秋葉原のメイド喫茶にも通っていた。
『将棋年鑑』の棋士プロフィールで「好きな動物: 犬」と書かれたことがあるが、これは誤りである。本人は「犬のぬいぐるみ」と書こうとしたところ、「動物ではない」との理由で妻に「のぬいぐるみ」の部分を消されてしまったとのことで、実際は犬アレルギー持ちのためむしろ犬は苦手である。
大の漫画好きであり、「人生の半分は漫画で学んだ」と明言している。自室の本棚には1000冊以上の漫画が並べられている一方で、パソコンで研究するため将棋関係の本は数冊しか所有していない。『キャプテン翼』は文庫版でも全巻揃え、『のだめカンタービレ』『ちはやふる』『ハチミツとクローバー』など少女漫画も所蔵している。音楽はほとんど聞かず、小説も滅多に読まない。映画も「生まれてから10本ぐらいしか見ていない」という。
普段はフォーナインズ(999.9)の眼鏡を愛用している。しかし、本人は自分の眼鏡がどのブランドのものかを知らずに購入していたらしく、ネットでブランド名を指摘されて確認したところ本当にフォーナインズの眼鏡だったため驚いたことがある。
字を書くのが苦手であり、特にプロ棋士になって免状や記念扇子など、毛筆で署名・揮毫する機会が大幅に増えた際には苦労した。将棋界の書道の達人である石橋幸緒女流四段(当時)の指導を仰ぎ、ある程度まともな字が書けるようになったが、時間が経つと元に戻ってしまった。これについて本人は「個性だから」と開き直っていたが、2017年頃から再び書道教室に通うようになり、2021年には初段、2022年には三段の認定を受けている。
ぬいぐるみを愛好しており、自宅だけでも40個以上、実家と合わせると100個以上を保有している。その後も増え続け、2023年7月現在、渡辺の自室には一軍として42匹、リビングには二軍として64匹、合計106匹のぬいぐるみがいるという。ぬいぐるみ好きは母親の影響とのこと。「森熊」など棋士由来の愛称をぬいぐるみにつけたり、個々に棋力や性格の設定があり、子息とぬいぐるみ遊びをするのが楽しいと答えている。2015年12月には『将棋の渡辺くん』単行本化に伴う企画として、『別冊少年マガジン』誌上で「自分自身のぬいぐるみを自ら監修して読者にプレゼント」という企画も行われた。リラックマのような可愛いキャラクターも好きで、2016年の年賀状に自分の写真と一緒に載せた。緑色のカエルをブログの文章中に書くこともある。2017年には、葉書や封書に押す住所印にパンダの絵を入れた。また、「すみっコぐらし」関連グッズも部屋に置かれている。
名人獲得後の2020年8月26日、文京区の椿山荘で行われていた囲碁名人戦(朝日新聞社主催)の控室を訪問。囲碁の趙治勲名誉名人と囲碁・将棋の二面指し(囲碁名誉名人と将棋名人との対決という趣向)を行なった。将棋(4枚落ち)は趙名誉名人が、囲碁(9子局)は渡辺名人が勝利した。また、囲碁名人戦の動画解説では、競馬好きの仲間としても親しい高尾紳路九段の聞き手役として出演している。2022年には13歳の囲碁中学生棋士・仲邑菫三段と6子局記念対局を行い、黒番の渡辺が13目勝ち。日本棋院から囲碁のアマチュア三段に認定された。
7. 著書とメディア出演
渡辺明は、将棋に関する専門書や一般向けの書籍を多数執筆・監修するほか、様々なメディアに出演し、将棋の普及に貢献している。
7.1. 著書
- 四間飛車破り 急戦編(2005年4月、浅川書房)
- 四間飛車破り 居飛車穴熊編(2005年6月、浅川書房)
- 実戦に役立つ詰将棋3手5手 詰めの手筋講座付き(監修、2005年8月、毎日コミュニケーションズ)
- 将棋・ひと目の手筋 初級の壁を突破する208問(監修、2006年8月、毎日コミュニケーションズ)
- ボナンザVS勝負脳 最強将棋ソフトは人間を超えるか(共著、2007年8月、角川書店)
- 頭脳勝負 将棋の世界(2007年11月、筑摩書房)
- 渡辺明の居飛車対振り飛車〈1〉中飛車・三間飛車・向かい飛車編 (2008年2月、NHK出版)
- 渡辺明の居飛車対振り飛車〈2〉四間飛車編(2008年2月、NHK出版)
- よくわかる将棋入門 (ビッグ・コロタン)(古作登との共著、2008年2月、小学館)
- 永世竜王への軌跡(2009年7月、毎日コミュニケーションズ)
- 明日対局。(2012年7月、マイナビ)
- 将棋・ひと目の決め手 (2013年8月、マイナビ)
- 渡辺流 次の一手 (2013年10月、マガジン・マガジン)
- 勝負心 (2013年11月、文藝春秋)
- 渡辺明の思考: 盤上盤外問答 (2014年9月、河出書房新社)
- 渡辺明の 勝利の格言ジャッジメント 玉 金 銀 歩の巻(2016年10月、NHK出版)
- 渡辺明の 勝利の格言ジャッジメント 飛 角 桂 香 歩の巻(2016年10月、NHK出版)
7.2. ゲーム・漫画監修
- 誰でもカンタン!渡辺明の詰め将棋(Nintendo DS用ソフト、2006年発売、マイナビ) - ゲーム監修
- 宗桂 ~飛翔の譜~(作:星野泰視、リイド社『コミック乱ツインズ』、2018年9月号 - 2020年1月号) - 漫画監修
7.3. メディア出演
- 王手!最後のお願い(2019年10月14日、NHKラジオ第1)
- プロ野球×将棋特番・プロ野球最強将棋王決定戦(2020年12月20日、ニコニコ生放送) - MC、解説
8. 肩書き
昇段およびタイトルの獲得、失冠による肩書きの遍歴を記す。(色付きは継続中の記録)
日付 | 肩書き | 保持タイトル | 日数 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
2000年4月1日 | 四段 | 1095日 | プロ入り | |||
2003年4月1日 | 五段 | 549日 | 第61期順位戦(C級1組昇級による昇段) | |||
2004年10月1日 | 六段 | 88日 | 第17期竜王戦(竜王挑戦による昇段) | |||
2004年12月28日 | 竜王 | 竜王 | 2465日 | 3258日 | 18年5ヶ月(6729日) | 竜王獲得 第17期竜王戦 |
2011年9月27日 | 竜王・王座 | 372日 | 王座獲得 第59期王座戦 | |||
2012年10月3日 | 竜王 | 155日 | 王座失冠 第60期王座戦 | |||
2013年3月7日 | 竜王・王将 | 17日 | 王将獲得 第62期王将戦 | |||
2013年3月24日 | 竜王・棋王・王将 | 250日 | 棋王獲得 第38期棋王戦 | |||
2013年11月29日 | 二冠 | 棋王・王将 | 483日 | 竜王失冠 第26期竜王戦 | ||
2015年3月27日 | 棋王 | 棋王 | 251日 | 王将失冠 第64期王将戦 | ||
2015年12月3日 | 竜王 | 竜王・棋王 | 733日 | 竜王獲得 第28期竜王戦 | ||
2017年12月5日 | 棋王 | 棋王 | 447日 | 竜王失冠 第30期竜王戦 | ||
2019年2月25日 | 二冠 | 棋王・王将 | 134日 | 王将獲得 第68期王将戦 | ||
2019年7月9日 | 三冠 | 棋王・王将・棋聖 | 373日 | 棋聖獲得 第90期棋聖戦 | ||
2020年7月16日 | 二冠 | 棋王・王将 | 30日 | 棋聖失冠 第91期棋聖戦 | ||
2020年8月15日 | 名人 | 名人・棋王・王将 | 546日 | 1020日 | 名人獲得 第78期名人戦 | |
2022年2月12日 | 名人・棋王 | 400日 | 王将失冠 第71期王将戦 | |||
2023年3月19日 | 名人 | 74日 | 棋王失冠 第48期棋王戦 | |||
2023年6月1日 | 九段 | 415日 | 名人失冠 第81期名人戦 |