1. 概要

オリバー・パトリック・ノイビル(Oliver Patric Neuvilleオリバー・パトリック・ノイビルドイツ語、1973年5月1日 - )は、スイス出身のドイツ国籍を持つ元サッカー選手、サッカー指導者である。現役時代のポジションはフォワード(ストライカー)。姓であるノイビルは、出身地のロカルノがあるスイスのイタリア語圏では「ノイビル」と発音されるが、ドイツ語圏やフランス語圏では「ヌヴィル」と発音される。
ドイツ人の父とイタリア系スイス人の母の間にスイスのロカルノで生まれ育ち、多言語の環境で育った。約18年間のプロキャリアの中で、スイスのセルヴェットFCでキャリアをスタートさせた後、主にドイツのクラブ、特にバイヤー・レバークーゼンで5シーズン、ボルシア・メンヒェングラートバッハで6シーズンにわたりプレーし、ブンデスリーガで通算334試合に出場して91ゴールを記録した。
ドイツ代表としては約10年間で69試合に出場し、10ゴールを挙げた。彼は2002 FIFAワールドカップと2006 FIFAワールドカップの2度のFIFAワールドカップ、そしてUEFA EURO 2008でドイツ代表として出場した。特にワールドカップでは、2002 FIFAワールドカップのパラグアイ戦、2006 FIFAワールドカップのポーランド戦で劇的な決勝ゴールを挙げ、「記録より記憶に残る選手」として知られている。
引退後は、長年所属したボルシア・メンヒェングラートバッハでユースチームのコーチやトップチームのアシスタントコーチを務めるなど、指導者として活動を続けている。
2. 生い立ちと背景
オリバー・ノイビルは、スイスのロカルノで生まれ育ち、複数の言語に触れる環境で幼少期を過ごした。
2.1. 出生と幼少期
オリバー・パトリック・ノイビルは、1973年5月1日にスイスのティチーノ州にあるロカルノで生まれた。彼の父親はドイツのアーヘン出身のドイツ人で、母親はイタリア系スイス人であり、イタリアのカラブリア州にルーツを持つ。
イタリア語圏のロカルノで育ったため、彼の母語はイタリア語であった。ドイツのクラブに移籍してからドイツ語を習得するという珍しい経歴の持ち主であり、その他にフランス語も話すことができた。彼は18歳の時にイタリア国籍を取得したが、ドイツ国籍も保持していた。ドイツ代表に初めて招集された際、彼は当時のエーリッヒ・リベック監督の指示を理解し、自身の意思を伝えるために通訳を必要とした。
1997年には息子のラース=オリバーが生まれた。
2.2. ユース経歴
ノイビルは、1979年から1990年までスイスのUSガンバログーノのユースチームに所属し、サッカーの基礎を学んだ。その後、1991年から1992年にはFCロカルノのユースチームでプレーし、14試合に出場して8ゴールを記録した。
3. クラブ経歴
オリバー・ノイビルは、スイスでプロキャリアをスタートさせた後、スペイン、そしてドイツの主要クラブで活躍した。
3.1. セルヴェットFCとCDテネリフェ
ノイビルは1992年に生まれ育ったスイスのセルヴェットFCでプロキャリアをスタートさせた。1993年から1994年にかけてのスイス・スーパーリーグでは、キャリアハイとなる16ゴールを記録し、クラブが9年ぶりにリーグ優勝を果たすのに貢献した。セルヴェットでは合計114試合に出場し、43ゴールを挙げた。
1996年にはスペインのCDテネリフェへ移籍し、ラ・リーガ 1996-97シーズンを戦った。彼は1,885分間の出場で5ゴールを記録し、クラブがリーグ残留を容易にする上で貢献した。また、このシーズンにはUEFAカップ(現在のUEFAヨーロッパリーグ)でクラブが準決勝に進出する際にも比較的重要な役割を果たした。
3.2. FCハンザ・ロストック
スペインでの1シーズンを終えた後、ノイビルは1997年にドイツへ移籍し、FCハンザ・ロストックに加入した。1997年から1998年にかけてのブンデスリーガデビューシーズンでは、わずか17試合の出場ながら8ゴールを記録し、旧東ドイツのクラブであったハンザ・ロストックのリーグ6位フィニッシュに貢献した。ハンザ・ロストックでは2シーズンにわたりプレーし、通算50試合に出場して22ゴールを挙げた。
3.3. バイヤー・レバークーゼン
1999年の夏、ノイビルは移籍金450.00 万 EURでバイヤー・レバークーゼンへ移籍した。彼はすぐに新クラブの攻撃陣に不可欠な存在となった。2000年から2002年にかけての2シーズンでリーグ戦合計28ゴールを記録し、これには2001年11月24日のハンブルガーSV戦でのハットトリックも含まれる。
UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02シーズンには、15試合で5ゴールを挙げた。このシーズン、レバークーゼンはレアル・マドリードに次ぐ準優勝となり、ノイビルは準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦の両レグでそれぞれ1ゴールずつを記録した。この期間、クラブはリーグ戦でも2位で終えたほか、DFBポカール 2001-02でも準優勝に終わるなど、主要大会で立て続けに惜敗し「不運のチーム」と呼ばれた。
クラウス・アウゲンターラーがレバークーゼンの監督に就任した後、ノイビルの出場時間は限られるようになり、契約延長のオファーもなかった。レバークーゼンでは通算165試合に出場し、42ゴールを記録した。
3.4. ボルシア・メンヒェングラートバッハ
2004年夏、31歳になったノイビルはフリー移籍でボルシア・メンヒェングラートバッハに加入した。2004年10月17日の1. FCカイザースラウテルン戦では、物議を醸すハンドボールによるゴールを決め、2-0のホーム勝利に貢献したが、この行為は広く非難され、ノイビルは2試合の出場停止処分を受けた。
ボルシア・メンヒェングラートバッハでの最初の2シーズンで合計22ゴールを挙げたものの、主に負傷により出場機会は減少し、クラブは2006年から2007年にかけてのシーズンで2. ブンデスリーガに降格した。しかし、2. ブンデスリーガ 2007-08シーズンには調子を取り戻し、リーグ6位タイとなる15ゴールを記録し、クラブの即座のブンデスリーガ復帰に貢献した。彼はブンデスリーガ 2009-10シーズンの最終節、古巣のバイヤー・レバークーゼン戦で最後のブンデスリーガ出場を果たした。ボルシア・メンヒェングラートバッハでは6シーズンにわたりプレーし、通算153試合に出場して42ゴールを挙げた。また、ボルシア・メンヒェングラートバッハII(リザーブチーム)でも2試合に出場した。
3.5. アルミニア・ビーレフェルトと現役引退
ノイビルは当初、現役を引退し、ボルシア・メンヒェングラートバッハのユースコーチとして働くことを計画していた。しかし、クリスティアン・ツィーゲが新監督に就任したアルミニア・ビーレフェルトから誘われ、さらに1年間プレーすることを決意し、2. ブンデスリーガのこのクラブと契約した。
しかし、移籍からわずか数ヶ月後、彼は双方の合意によりクラブを退団し、2010年12月に37歳で事実上の現役引退を表明した。
4. 代表経歴
オリバー・ノイビルは、スイスで生まれたにもかかわらず、ドイツ代表を選択し、数々の国際大会で重要な役割を果たした。
4.1. デビューと初期の活動
ノイビルは国際レベルでドイツ代表としてプレーすることを選択し、1998年9月2日にマルタとの国際親善試合で代表デビューを飾った。この試合で彼はマリオ・バスラーに代わって試合終盤の15分間出場し、ドイツは2-1で勝利した。代表チームでの最初の数ヶ月間、彼は監督のエーリッヒ・リベックの指示を理解し、自らの意思を伝えるために通訳が必要であった。
その後、ノイビルは合計69試合に出場し、10ゴールを記録した。着実に実績を積み上げたものの、EURO 2000のメンバーには選ばれず、失望を経験した。
4.2. 2002 FIFAワールドカップ
ノイビルは、準優勝に輝いた2002 FIFAワールドカップのドイツ代表メンバーに選出された。彼はラウンド16のパラグアイ戦で、このトーナメント初の先発出場を果たし、試合終了間際に決勝点となる唯一のゴールを挙げ、ドイツを勝利に導いた。
決勝のブラジル戦では、スコアが0-0の状況で約27 mの距離からのフリーキックがゴールポストを直撃する場面もあったが、ドイツは最終的に0-2で敗れた。
4.3. 2006 FIFAワールドカップ
UEFA EURO 2004の代表選考から漏れた後、ノイビルは自国開催の2006 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれた。グループステージ第2戦のポーランド戦では、ルーカス・ポドルスキに代わって途中出場したノイビルが、同じく途中出場のダーヴィト・オドンコアからのクロスボールに身を投げ出し、アルトゥール・ボルツが守るゴールに劇的なアディショナルタイムの決勝ゴールを押し込み、ドイツに1-0の勝利をもたらした。彼はこの後、代表チームでゴールを記録することはなかった。ドイツはこの大会で3位に入賞した。
4.4. UEFA EURO 2008と代表引退
2008年5月31日、ノイビルはEURO 2008の直前に行われたセルビアとの親善試合で、マルセル・ヤンセンのクロスからゴールを決め、久しぶりに代表での得点を記録した。彼は本大会のグループBのオーストリア戦で途中出場を果たした。
この大会後、ノイビルは35歳でドイツ代表からの引退を表明した。
5. 引退後の経歴
オリバー・ノイビルは、選手としての現役を引退した後も、サッカー界で指導者として活動を続けている。
5.1. 指導者経歴
選手キャリアを引退した後、オリバー・ノイビルはかつての所属クラブであるボルシア・メンヒェングラートバッハでユースチームの指導者としての活動を開始した。
2011年から2012年にかけては、ボルシア・メンヒェングラートバッハのセカンドチームであるボルシア・メンヒェングラートバッハIIのコーチを務めた。2013年からは、ボルシア・メンヒェングラートバッハのU-19チームのコーチを務めている。
2019年には、トップチームの監督に就任したマルコ・ローゼに、彼のフランス語能力を買われ、トップチームのアシスタントコーチに任命された。
6. キャリア統計
6.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | 欧州カップ戦 | 合計 | |||||||
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ディビジョン | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | ||||
FCロカルノ | 1991-92 | スイスチャレンジリーグ | 14 | 8 | - | 14 | 8 | |||||
セルヴェット | 1992-93 | ナツィォナルリーガA | 28 | 4 | - | 28 | 4 | |||||
1993-94 | 31 | 16 | 3 | 0 | 34 | 16 | ||||||
1994-95 | 21 | 8 | 2 | 0 | 23 | 8 | ||||||
1995-96 | 34 | 15 | - | 34 | 15 | |||||||
合計 | 114 | 43 | 5 | 0 | 119 | 43 | ||||||
テネリフェ | 1996-97 | ラ・リーガ | 33 | 5 | 2 | 0 | 8 | 0 | 43 | 5 | ||
ハンザ・ロストック | 1997-98 | ブンデスリーガ | 17 | 8 | 0 | 0 | - | 17 | 8 | |||
1998-99 | 33 | 14 | 2 | 0 | 2 | 0 | 37 | 14 | ||||
合計 | 50 | 22 | 2 | 0 | 2 | 0 | 54 | 22 | ||||
バイヤー・レバークーゼン | 1999-2000 | ブンデスリーガ | 33 | 4 | 1 | 0 | 7 | 2 | 41 | 6 | ||
2000-01 | 34 | 15 | 2 | 0 | 8 | 1 | 44 | 16 | ||||
2001-02 | 33 | 13 | 5 | 1 | 17 | 7 | 55 | 21 | ||||
2002-03 | 33 | 4 | 5 | 0 | 10 | 0 | 48 | 4 | ||||
2003-04 | 32 | 6 | 3 | 2 | 0 | 0 | 35 | 8 | ||||
合計 | 165 | 42 | 16 | 3 | 42 | 10 | 223 | 55 | ||||
ボルシア・メンヒェングラートバッハ | 2004-05 | ブンデスリーガ | 32 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 33 | 12 | ||
2005-06 | 34 | 10 | 1 | 0 | 0 | 0 | 35 | 10 | ||||
2006-07 | 16 | 4 | 1 | 0 | - | 17 | 4 | |||||
2007-08 | 2. ブンデスリーガ | 34 | 15 | 2 | 0 | - | 36 | 15 | ||||
2008-09 | ブンデスリーガ | 25 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 26 | 1 | |||
2009-10 | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 | ||||
合計 | 153 | 42 | 8 | 0 | 0 | 0 | 161 | 42 | ||||
ボルシア・メンヒェングラートバッハII | 2008-09 | レギオナルリーガ・ヴェスト | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
2009-10 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||||
合計 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
アルミニア・ビーレフェルト | 2010-11 | 2. ブンデスリーガ | 12 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 13 | 2 | ||
キャリア通算 | 543 | 164 | 29 | 3 | 57 | 10 | 629 | 177 |
6.2. 代表得点統計
ドイツ代表のゴールを先に記載する。スコア欄はノイビルがゴールした後のスコアを示す。
No. | 日付 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1999年3月31日 | フランケンシュタディオン、ニュルンベルク、ドイツ | フィンランド | 2-0 | 2-0 | UEFA欧州選手権2000予選 |
2 | 2001年11月14日 | ジグナル・イドゥナ・パルク、ドルトムント、ドイツ | ウクライナ | 2-0 | 4-1 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
3 | 2002年3月27日 | オストゼースタディオン、ロストック、ドイツ | アメリカ合衆国 | 2-1 | 4-2 | 親善試合 |
4 | 2002年6月15日 | 済州ワールドカップ競技場、西帰浦市、韓国 | パラグアイ | 1-0 | 1-0 | 2002 FIFAワールドカップ |
5 | 2005年10月8日 | アタテュルク・オリンピック・スタジアム、イスタンブール、トルコ | トルコ | 1-2 | 1-2 | 親善試合 |
6 | 2006年3月22日 | ジグナル・イドゥナ・パルク、ドルトムント、ドイツ | アメリカ合衆国 | 2-0 | 4-1 | 親善試合 |
7 | 2006年5月27日 | ドライザムシュタディオン、フライブルク、ドイツ | ルクセンブルク | 6-0 | 7-0 | 親善試合 |
8 | 7-0 | |||||
9 | 2006年6月14日 | ジグナル・イドゥナ・パルク、ドルトムント、ドイツ | ポーランド | 1-0 | 1-0 | 2006 FIFAワールドカップ |
10 | 2008年5月31日 | フェルティンス・アレーナ、ゲルゼンキルヒェン、ドイツ | セルビア | 1-1 | 2-1 | 親善試合 |
7. 栄誉
オリバー・ノイビルは、選手キャリアを通じてクラブおよび代表チームで複数のタイトルや個人栄誉を獲得した。
7.1. クラブタイトル
- セルヴェット
- スイス・スーパーリーグ: 1993-94 優勝
- バイヤー・レバークーゼン
- UEFAチャンピオンズリーグ: 2001-02 準優勝
- DFBポカール: 2001-02 準優勝
- ボルシア・メンヒェングラートバッハ
- 2. ブンデスリーガ: 2007-08 優勝
7.2. 代表タイトル
- ドイツ
- FIFAワールドカップ: 2002 準優勝、2006 3位
- UEFA欧州選手権: 2008 準優勝
- FIFAコンフェデレーションズカップ: 1999 3位
7.3. 個人タイトル
- 月間最優秀ゴール賞(Torschütze des Monats): 2006年7月
- 年間最優秀ゴール賞(Torschütze des Jahres): 2006年
8. 人物

オリバー・ノイビルの名前(正確にはフランス語式に発音される)は、彼のベルギー人の祖父に由来している。
ノイビルは、ベルント・シュナイダーと共に、ドイツ代表チームで喫煙者として知られている2人の選手の一人であった。
彼の愛称は「オリー」である。