1. 初期生い立ち
ベサニー・ハミルトンは、幼い頃からサーフィンに親しみ、その才能を早くから開花させた。
1.1. 幼少期と家族
ハミルトンは、1990年2月8日にハワイ州リフエでトム・ハミルトンとシェリ・ハミルトン夫妻の間に生まれた。彼女にはノアとティモシーという2人の兄がいる。幼少期の彼女は、主婦である母親によるホームスクーリングで教育を受け、6年生から高校まで自宅で学んだ。父親は町のカフェでウェイターとして働いていた。
1.2. 初期サーフィンキャリア
わずか3歳でサーフィンを始めたハミルトンは、8歳からは競技会に参加するようになり、その非凡な才能を示した。10歳になるまでには、早くも最初のスポンサーシップを獲得し、将来のプロサーファーとして大いに期待されていた。特に、国際的なサーフブランドであるリップ・カールが彼女のスポンサーとなるなど、その将来性は高く評価されていた。サメに襲われる前にも、全米学生サーフィン協会(NSSA)のいくつかの大会で優勝を飾っている。
2. サメの攻撃と回復
ベサニー・ハミルトンの人生を大きく変えたサメの攻撃事件、そしてその後の驚くべき回復の軌跡は、彼女の強靭な精神を象徴する出来事である。
2.1. 事故の経緯
2003年10月31日の朝、13歳だったハミルトンは、ハワイ州カウアイ島のトンネルズビーチで、親友のアラナ・ブランチャードとその父親、兄弟と共にサーフィンを楽しんでいた。午前7時30分頃、彼女がサーフボードに腹ばいになり、左腕を水中にぶら下げていた時、体長約4.3 m (14 ft)から4.6 m (15 ft)のイタチザメに襲われた。サメは彼女の左腕を肩のすぐ下から噛みちぎった。
事故直後、ブランチャード一家はハミルトンを助け、アラナの父親はラッシュガードやサーフボードのリーシュコードを使って、切断された腕の付け根に止血帯を巻き付け、応急処置を施した。ハミルトンはウィルコックス医療センターへ緊急搬送された。病院に到着した時には、彼女は全身の血液の60%以上を失っており、低血量性ショック状態に陥っていた。皮肉なことに、この日同じ病院で膝の手術を受ける予定だった彼女の父親が既に到着しており、ハミルトンは父親の代わりに同じ手術室に入ることとなった。彼女は7日間入院し、初期回復に努めた。メディアのインタビューに対し、ハミルトンはサメに襲われた瞬間には大きな痛みを感じなかったものの、病院に向かう途中で感覚を失ったと語っている。
事故のニュースが広まると、ラルフ・ヤング率いる漁師の家族が、襲撃現場から約1609 m (1 mile)離れた場所で捕獲し殺した体長4.3 m (14 ft)のイタチザメの写真を捜査当局に提出した。そのサメの口にはサーフボードの破片が残っており、その口のサイズとハミルトンの損傷したサーフボードの噛み跡が一致したため、2004年後半には警察によって公式に、それが彼女を襲ったサメであると確認された。
2.2. 入院と初期回復
事故直後、ハミルトンはウィルコックス医療センターに搬送され、直ちに治療を受けた。大量の失血により低血量性ショック状態に陥っていたが、医療チームの迅速な対応により命を取り留めた。彼女は病院で7日間を過ごし、この間に初期の身体的回復を果たした。この期間、彼女は家族や医療スタッフの献身的なサポートを受けながら、精神的な回復にも努めた。
2.3. サーフィン復帰
事故による深刻なトラウマにもかかわらず、ハミルトンはサーフィンへの復帰を固く決意した。襲撃からわずか26日後の2003年11月26日には再び海に入り、サーフィンを始めた。当初は、片腕でのパドリングを容易にするため、通常よりも長く厚みのある特製のサーフボードを使用し、右腕のためのハンドルが付けられていた。彼女は、失った左腕の代わりに、より多く脚を使うことでバランスを取り、片腕でサーフィンをするための新しい技術を独学で習得した。
そして、2004年1月10日には早くも初の主要な競技会に出場した。現在では、通常の競技用ショートボードを使用している。彼女がサメに襲われた際に乗っていたサーフボードと、アーロン・チャンからの贈り物であった着用していた水着は、カリフォルニア州オーシャンサイドにあるカリフォルニア・サーフ博物館に展示されている。

3. プロサーフィンキャリア
サメの攻撃という困難を乗り越え、ベサニー・ハミルトンはプロサーファーとして目覚ましい活躍を遂げた。彼女のキャリアは、競技成績だけでなく、特定の社会的問題に対する見解においても注目されている。
3.1. 主要大会記録
ハミルトンは、サメの攻撃後も国内外の様々なサーフィン大会に出場し、好成績を収めている。特に、2004年にはESPY賞の「ベストカムバックアスリート」に選ばれ、ティーン・チョイス・アワードの特別賞も受賞した。2005年には、サメの攻撃以前からの目標であった全米学生サーフィン協会(NSSA)の全国チャンピオンシップで優勝を果たした。2008年には、プロサーフィン協会(ASP)のワールド・クオリファイイング・シリーズに本格的に参戦を開始した。
以下に、彼女の主要な大会記録を表形式で示す。
年 | 大会名 | 順位 | 開催国 |
---|---|---|---|
1998 | Rell Sunn Menehune | 1位 | オーストラリア |
2002 | NSSA オープン女子部門 | 1位 | アメリカ合衆国 |
2004 | NSSA ナショナル・コンペティション | 1位 | オーストラリア |
2005 | NSSA ナショナル・コンペティション | 1位 | アメリカ合衆国 |
2005 | O'Neill Island Girl ジュニアプロトーナメント | 1位 | アメリカ合衆国 |
2006 | NSSA ナショナルチャンピオンシップ: 18歳以下決勝 | 5位 | アメリカ合衆国 |
2006 | ハワイ・チーム・ハイライト | 4位 (ブラジル大会) 3位 (アメリカ大会) | アメリカ合衆国 |
2007 | NSSA リージョナルズ | 1位 | アメリカ合衆国 |
2007 | T & C パイプライン女子プロ | 1位 | アメリカ合衆国 |
2008 | USオープン・オブ・サーフィン - ハンティントンビーチ | 5位 | アメリカ合衆国 |
2008 | Roxyプロ・サーフ・フェスティバル - フィリップ島 | 3位 | オーストラリア |
2008 | ASPワールド・クオリファイイング・シリーズ | 14位 | (記載なし) |
2009 | リオ・サーフ・インターナショナル (リオデジャネイロ) | 3位 | ブラジル |
2009 | WSL ワールド・クオリファイイング・シリーズ | 14位 | ペルー |
2009 | ビラボン ASP ワールドジュニアチャンピオンシップ | 2位 | オーストラリア |
2009 | ワールドカップ・サンセットビーチ | 13位 | アメリカ合衆国 |
2010 | リップ・カール・プロ・ポルトガル | 9位 | ポルトガル |
2011 | リップ・カール女子プロ・ベルズビーチ | 13位 | オーストラリア |
2012 | テルストラ・ドラッグ・アウェア・プロ | 9位 | オーストラリア |
2012 | リップ・カール・カップ・パダン・パダン | (記載なし) | インドネシア |
2012 | スウォッチ・ガールズ・プロ・フランス | 37位 | フランス |
2013 | スーパーガール・プロ | 9位 | アメリカ合衆国 |
2014 | ハーレー・オーストラリアン・オープン | 37位 | オーストラリア |
2014 | サーフ・アンド・シー・パイプライン女子プロ | 1位 | アメリカ合衆国 |
2015 | スウォッチ女子プロ | 13位 | アメリカ合衆国 |
2016 | フィジー女子プロ | 3位 | フィジー |
2016 | スウォッチ女子プロ | 13位 | アメリカ合衆国 |
2017 | ワヒネ・パイプ・プロ | 17位 | アメリカ合衆国 |
2017 | アウタノウン・フィジー女子プロ | 9位 | フィジー |
2018 | サーフ・ランチ・プロ - レモア | 13位 | アメリカ合衆国 |
2018 | ビーチウェイバー・マウイ・プロ | 13位 | アメリカ合衆国 |
2020 | シドニー・サーフ・プロ | 17位 | オーストラリア |
2021 | ニッサン・スーパーガール・サーフ・プロ | 33位 | アメリカ合衆国 |
2021 | HIC パイプ・プロ | 13位 | アメリカ合衆国 |
2022 | ビラボン・プロ・パイプライン | 9位 | アメリカ合衆国 |
2022 | プライオリティ・デスティネーションズ・プロ | 4位 | アメリカ合衆国 |
3.2. トランスジェンダー選手の参加方針に対する見解
2023年1月、ハミルトンはワールドサーフリーグ(WSL)がトランスジェンダー女性選手の競技参加を許可するという決定に対し、WSLの大会をすべてボイコットすると発表した。WSLの方針では、トランスジェンダー女性選手は大会参加の12か月前までにテストステロンレベルを5nmol/L以下に維持することが条件とされている。
ハミルトンは、ホルモンレベルが生物学的な性別を公正かつ正確に評価する基準となるのか疑問を呈し、トランスジェンダーアスリートには別の競技区分を設けるべきだと主張した。彼女は、「ランニング、水泳、その他の女子スポーツにおいて、男性の身体的優位性が垣間見えるようになっている」と述べ、トランスジェンダー女性はシスジェンダー女性に比べて生物学的に有利であると考えている。また、多くの現役女子選手が自身の意見に同意しているものの、孤立を恐れて声を上げられないでいると述べている。ハミルトンのこの姿勢は、一部からは支持を得たが、他の人々からは批判も受けた。
4. メディア出演と講演活動
ベサニー・ハミルトンは、サメの攻撃以降、その驚くべき回復と不屈の精神が注目され、幅広いメディアに登場し、講演活動を通じて多くの人々に感動を与えてきた。
4.1. テレビ・雑誌出演
ハミルトンは、事故後、数多くのテレビ番組にゲストとして出演してきた。彼女のマネージャーであり、後に映画『ソウル・サーファー』のプロデューサーとなるロイ・ホフステッター(通称「ダッチ」)は、サメの攻撃の犠牲者からインスピレーションを与えるロールモデルへとメディアでの彼女の台頭を管理した。
出演した主なテレビ番組には、『アメイジング・レース』、『ザ・ビゲスト・ルーザー』、『20/20』、『グッド・モーニング・アメリカ』、『インサイド・エディション』、『オプラ・ウィンフリー・ショー』、『エレンの部屋』、『トゥデイ・ショー』、『ザ・トゥナイト・ショー』、『デュード・パーフェクト』などがある。
また、『ピープル』、『タイム』、『アメリカン・ガール』などの雑誌にも掲載され、特に雑誌『ナイン』の創刊号では表紙を飾った。2009年8月7日には、クイズ番組『Are You Smarter Than a Fifth Grader?』に出演し、2.50 万 USDを獲得した。2010年5月16日には、ABCの『エクストリーム・メイクオーバー:ホームエディション』のエピソードに登場した。2011年10月11日には、TLCのリアリティシリーズ『19 Kids and Counting』のエピソード「Duggars Under the Sea」にも出演し、アトランタでダッガー一家と交流した。
2024年には、アメリカのテレビ番組『ザ・マスクド・シンガー』のシーズン12に「マカロン」として出演し、左腕の義手が固定された衣装でパフォーマンスを披露した。彼女は「グループCプレミア」で脱落したが、同番組に出演した初のアスリートとなった。
4.2. 講演活動と動機付けの取り組み
ハミルトンは、世界中で数多くの講演イベントに参加し、「より粘り強く、勇気と信念を持って生きるよう、世界中の聴衆を鼓舞している」と評されている。2011年3月には、キリスト教団体「I Am Second」のビデオに出演し、サメの攻撃後の自身の苦闘と、それを乗り越えるために神を信じた経緯を語った。2011年8月20日の週末には、テキサス州グレープヴァインのフェローシップ・チャーチでゲストスピーカーを務め、ダラス/フォートワースのメトロプレックス周辺の5つのキャンパスとフロリダ州マイアミで中継された3回の礼拝で25,000人以上が視聴した。
現在は、プロサーファーとしての活動に加え、信仰、癒し、個人の健康、人間関係に関するメンターシップ・クラスも提供している。
5. 著書
ベサニー・ハミルトンは、自身の経験と信仰に基づく複数の書籍を執筆しており、その物語は多くの人々にインスピレーションを与えている。また、彼女の家族や他の著者によっても彼女の物語が綴られている。
5.1. 自伝とインスピレーションを与える本
ハミルトンは、これまでに9冊の書籍を出版している。
- 『Soul Surfer: A True Story of Faith, Family, and Fighting to Get Back on the Board』 (2004年、リック・バンシュー、シェリル・バーク共著):サメの攻撃に至るまでの経緯、回復過程、メディア対応、そして再びボードに乗って競技に復帰するまでを詳細に綴った自伝。
- 『Devotions for the Soul Surfer』 (2006年、2011年再版):若い女性向けのキリスト教祈祷書。
- 『Rise Above: A 90-day Devotional』 (2007年):若い女性が直面する様々な課題について論じた、90日間のキリスト教祈祷書。
- 『Ask Bethany: FAQs: Surfing, Faith, and Friends』 (2007年):信仰が自身の人生にどのように役立ったかについて、読者からの質問に答える形式で書かれた本。
- 『Body and Soul: A Girl's Guide to a Fit, Fun, and Fabulous Life』 (2014年、ダスティン・ディルバーグ共著):読者が健康的な生活を送るためのガイドラインを提供。ワークアウト、ヘルシーレシピ、ストレス対処法などを含む。
- 『Ask Bethany: Bethany Answers Over 200 Questions from Girls Like You』 (2014年、2016年再版、ドリス・リッカーズ共著):自身の人生と信仰に関する200以上のファンからの質問に答えたもの。
- 『Be Unstoppable: The Art of Never Giving Up』 (2018年):読者に大胆で、人生を楽しみ、毎日神を信頼するリスクを冒すよう鼓舞する内容。写真、インスピレーションを与える引用句、ハミルトンの人生の教訓が含まれる。
5.2. 児童書
- 『Unstoppable Me』 (2018年、アダム・ダークス共著、ジル・ガイル挿絵):ベサニーの物語に基づいた児童書。主人公のライオン「マカナ」がサーフィン好きだが、ワイプアウト後に自信を失い、友達の助けでサーフィンへの情熱を取り戻す物語。
- 『Surfing Past Fear』 (2022年、ブレイブ・ブックス、マーティン・モロン挿絵):腕を骨折した少女オリビアが、仲間のビーチ愛好家の助けを借りて不安を克服する物語。
5.3. 他者によって執筆された本
- 『Raising a Soul Surfer: One Family's Epic Tale』 (2011年、シェリ・ハミルトン、リック・バンシュー共著):ハミルトンの母親が執筆し、サメの攻撃に関するベサニーの物語を両親の視点から描いている。
6. 映画・ドキュメンタリー化
ベサニー・ハミルトンの並外れた生涯は、複数の映画やドキュメンタリーの題材となり、広く知られるきっかけとなった。
6.1. 映画『ソウル・サーファー』
2011年4月8日に劇場公開された長編映画『ソウル・サーファー』は、ハミルトンの2004年の自伝を原作としている。映画の製作は2010年に始まり、彼女の物語は、サメの攻撃からの回復と、信仰を力に変えてプロサーファーとして復帰する過程を中心に描かれている。
主人公のベサニー・ハミルトン役はアナソフィア・ロブが演じ、彼女の父親トム役をデニス・クエイド、母親シェリ役をヘレン・ハントが務めた。また、クレイグ・T・ネルソン、キャリー・アンダーウッド、ケヴィン・ソーボなども出演している。特筆すべきは、映画中の片腕でのサーフィンのスタントは、すべてベサニー・ハミルトン本人が演じている点である。この映画は、ハミルトンのマネージャーであったロイ・ホフステッターがプロデュースを担当した。
6.2. ドキュメンタリー『ベサニー・ハミルトン:アンストッパブル』
2018年に公開されたドキュメンタリー映画『ベサニー・ハミルトン:アンストッパブル』(Bethany Hamilton: Unstoppable)は、ハミルトンのプロサーフィンキャリアと、彼女が子供から母親へと移行していく個人的な生活に焦点を当てている。この作品は、結婚や母親業が彼女のプロサーフィンキャリアにどのような影響を与えたかを探求し、「よちよち歩きの幼児を追いかけることから、最大の波を追いかけることへ」というナレーションが象徴するように、彼女が恐れを知らないアスリートとしてのルールを常に書き換え、言葉通り「女の子のようにサーフィンをする」というフレーズに新たな意味をもたらす様子を描いている。このドキュメンタリーの公開に合わせて、写真集と児童書も発売された。
6.3. その他の映画・テレビ出演
ハミルトンの物語は、上記以外にも複数の作品で取り上げられている。
- 『ハート・オブ・ア・ソウル・サーファー』(Heart of a Soul Surfer、2007年):レベッカ・バウムガートナーが監督した短編ドキュメンタリー映画。この作品は「信仰に基づくドキュメンタリー」と評され、サメの攻撃後の彼女の献身的なキリスト教信仰、イエス・キリストへの勇気と信仰、そして精神的な意味を求める彼女の探求を扱っている。
- 『イルカの物語2』(Dolphin Tale 2、2014年):ハミルトンは本人役で出演し、子イルカの「ホープ」の物語を中心に展開する。
- 『アメイジング・レース』シーズン25(2014年):ハミルトンは夫のアダム・ダークスと共にチームを組んで出場し、3位でフィニッシュした。
- 『マスター・アンド・アプレンティス』(Master and Apprentice、2021年):リップ・カールが制作したショートフィルムで、ハミルトンは若手女性サーファーのエリン・ブルックスと共に出演した。
7. 私生活
ベサニー・ハミルトンは、その公の顔と同様に、私生活においても深い信仰と家族を重んじている。
7.1. 結婚と家族
2012年初頭、ハミルトンは共通の友人を通じて青年牧師のアダム・ダークスと出会った。二人は2013年に婚約し、同年8月18日、ハミルトンの育った場所に近いカウアイ島のノースショアにある邸宅で結婚式を挙げた。この結婚の様子は、彼女のドキュメンタリー『ベサニー・ハミルトン:アンストッパブル』でも描かれている。現在、ハミルトンとダークスの間には、3人の息子と1人の娘の計4人の子供がいる。
7.2. キリスト教信仰と信念
ハミルトンは熱心なキリスト教徒であり、彼女の人生における強さと回復力の源を自身の信仰に帰している。サメの攻撃とそこからの回復の過程において、キリスト教信仰が彼女に与えた影響は非常に大きい。彼女は、神を信頼することで困難を乗り越えることができたと公言しており、その信仰は彼女の公私にわたる活動の核となっている。現在、彼女は信仰、癒し、個人の健康、人間関係に関するメンターシップクラスを提供しており、ここでもそのキリスト教信仰が色濃く反映されている。
8. 社会貢献活動
ベサニー・ハミルトンは、自身の経験を活かし、様々な慈善活動や奉仕活動に積極的に参加し、主導している。
8.1. フレンズ・オブ・ベサニー財団
ハミルトンは、自身の名を冠した非営利団体「フレンズ・オブ・ベサニー(Friends of Bethany)」財団を設立している。この財団は、身体の一部を失った人々や若者たちに手を差し伸べ、イエス・キリストを通して困難を乗り越える希望を与えることを目的としている。プロアスリートとしての立場を利用して、フィットネスや健康的なライフスタイルを推進しており、2014年には『ボディ・アンド・ソウル』という本を執筆した。
8.2. 主要プログラム
フレンズ・オブ・ベサニー財団は、主に以下の4つのプログラムを運営している。
- ビューティフリー・フロウド(Beautifully Flawed):身体の一部を外傷により失った14歳から25歳までの若い女性を対象としたリトリート・プログラム。年間6つのイベントが開催され、ゲストスピーカーによる講演、失肢に特化した実用的な健康とウェルネスに関する助言、姿勢トレーニング、サーフィンレッスンなどが含まれる。
- シャイン・フォース(Shine Forth):克服の物語とインスピレーションに満ちた夜を提供する、無料のコミュニティイベント。毎年開催され、参加者が自身の「カムバック」の物語を共有する場となっており、ハミルトンによるサイン会も行われる。
- アンカー・イン・ラブ(Anchored in Love):12歳以上の少女や若い女性を対象としたカンファレンス。サンディエゴで毎年開催される1日限りのイベントで、参加者が真の美しさ、目的、価値を発見することを目的としており、複数のゲストスピーカーが登壇する。
- ザ・フォージ(The Forge):若い男性の失肢者を対象としたリトリート。信仰、フィットネス、健康的な生活に焦点を当てており、ハミルトン、彼女の夫アダム・ダークス、そして友人でありメンターでもあるマイク・クーツが運営している。
9. 影響と評価
ベサニー・ハミルトンは、その人生を通じて社会に大きな影響を与え、多くの人々から肯定的な評価を受けている一方で、特定の行動や発言については議論の対象となることもある。
9.1. 肯定的評価
ハミルトンの勇気、回復力、そして感動を与える人生は、多くの人々にとって希望の光となっている。彼女はESPY賞の「ベストカムバックアスリート」(2004年)やティーン・チョイス・アワードの特別賞(2004年)を受賞するなど、その不屈の精神が高く評価されてきた。彼女は、単なるプロサーファーとしてだけでなく、逆境を乗り越え、より粘り強く、勇気と信念を持って生きることを世界中の人々に鼓舞するインスピレーションの源として認識されている。
9.2. 批判と論争
彼女の特定の行動や発言、特に2023年にワールドサーフリーグ(WSL)のトランスジェンダー選手の参加方針に対して、大会をボイコットすると表明した件は、批判や論争の対象となった。ハミルトンは、トランスジェンダー女性アスリートにはシスジェンダー女性に対する生物学的優位性があるとし、別の競技区分を設けるべきだと主張した。この見解は、一部からは支持を得たものの、多様性と包摂性を重視する人々からは批判を浴びた。このような批判的な視点も、彼女の公的なイメージの一部として客観的に認識されている。