1. 概要
マルティン・フィスは、1963年にスペインのアラバ県ビトリア=ガステイスで生まれた、スペインを代表する元マラソン選手である。彼は1994年のヨーロッパ陸上選手権と1995年の世界陸上選手権でマラソン金メダルを獲得し、国際的な名声を確立した。特に、びわ湖毎日マラソンでは複数回の優勝を飾り、「びわ湖を変えた男」として日本の陸上界にも大きな影響を与えた。引退後もマスターズ陸上で活動を続け、50歳以上のカテゴリーでワールドマラソンメジャーズ全6大会を制覇するという偉業を達成するなど、そのキャリアを通じてマラソン界に多大な功績を残している。
2. 個人史
マルティン・フィスの個人的な背景と成長過程は、彼の競技キャリアの基盤を形成した。
2.1. 出生と成長背景
マルティン・フィスは1963年3月3日にスペインのアラバ県ビトリア=ガステイスで生まれた。彼の詳細な家族構成や幼少期の具体的なエピソードについては、公開されている情報が限られているものの、後に長距離走選手として世界的な成功を収めることになる彼の人生は、この地で始まった。
3. 選手経歴
マルティン・フィスは、長距離走選手として輝かしいキャリアを築き、数々の主要大会で優れた成績を収めた。
3.1. 初期キャリア
フィスは1992年のバルセロナオリンピックから3大会連続で夏季オリンピックに出場するなど、初期から国際舞台で活躍した。1993年にはヘルシンキシティマラソンで優勝し、マラソン選手としての頭角を現した。また、1988年のイベロアメリカ陸上競技選手権大会では3000メートル障害で優勝、1992年の同大会では5000メートル競走で3位に入賞するなど、トラック種目でも実績を積んでいた。
3.2. 主要国際大会
フィスは、世界陸上選手権やヨーロッパ陸上選手権、夏季オリンピックといった主要な国際大会で目覚ましい成果を上げた。
3.2.1. 世界陸上選手権
マルティン・フィスは、世界陸上選手権で特に輝かしい成績を残した。
1995年にスウェーデンのイェーテボリで開催された1995年世界陸上選手権では、男子マラソンで金メダルを獲得し、世界チャンピオンの座に輝いた。この優勝は、彼のキャリアにおける最大のハイライトの一つとなった。
続く1997年にギリシャのアテネで開催された1997年世界陸上選手権では、同胞のアベル・アントンに次いで銀メダルを獲得した。これにより、彼は2大会連続でメダルを獲得する安定した強さを示した。
さらに、1999年にスペインのセビリアで開催された1999年世界陸上選手権にも出場し、マラソンで8位に入賞している。
3.2.2. ヨーロッパ陸上選手権
フィスはヨーロッパ陸上選手権でも優れた成績を収めた。
1994年にフィンランドのヘルシンキで開催された1994年ヨーロッパ陸上選手権では、男子マラソンで金メダルを獲得し、ヨーロッパチャンピオンとなった。この勝利は、彼が世界陸上選手権で優勝する前年のものであり、その後の国際的な成功への足がかりとなった。
3.2.3. 夏季オリンピック
マルティン・フィスは、母国スペイン代表として3大会連続で夏季オリンピックに出場した。
彼は1992年バルセロナオリンピックで初めてオリンピックの舞台に立ち、その後1996年アトランタオリンピック、2000年シドニーオリンピックにも出場した。
1996年アトランタオリンピックでは男子マラソンで4位に入賞し、惜しくもメダルには届かなかったものの、その実力を示した。
2000年シドニーオリンピックでも男子マラソンに出場し、6位という成績を残している。オリンピックでのメダル獲得はならなかったものの、長きにわたり世界のトップレベルで活躍し続けた。
3.3. 主要マラソン大会
マルティン・フィスは、国際的な主要マラソン大会でも数々の優勝と注目すべき成績を収めた。

彼は1995年にロッテルダムマラソンで優勝を飾った。また、1996年にはソウル国際マラソンでも優勝している。
特に日本との縁が深く、びわ湖毎日マラソンには1997年から5年連続で出場した。
- 1997年: 当時の大会新記録となる2時間8分5秒のタイムで初優勝を飾った。
- 1998年: 準優勝(優勝は小島宗幸)。
- 1999年: 2時間8分50秒のタイムで優勝。
- 2000年: 2時間8分14秒のタイムで優勝し、2年連続、通算3回目の優勝を達成した。
これらの活躍から、彼は日本の陸上関係者から「びわ湖を変えた男」と称された。
その他の主要マラソン大会での成績は以下の通りである。
年 | 大会名 | 開催地 | 順位 | 種目 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1988 | イベロアメリカ陸上競技選手権大会 | メキシコシティ、メキシコ | 1位 | 3000m障害 | 9:05.21 |
1990 | ヨーロッパ陸上選手権 | スプリト、ユーゴスラビア | - | 5000m | 途中棄権 |
1992 | イベロアメリカ陸上競技選手権大会 | セビリア、スペイン | 3位 | 5000m | 13:57.99 |
1993 | ヘルシンキシティマラソン | ヘルシンキ、フィンランド | 1位 | マラソン | 2:12:47 |
1994 | ボストンマラソン | ボストン、アメリカ合衆国 | 10位 | マラソン | 2:10:21 |
ヨーロッパ陸上選手権 | ヘルシンキ、フィンランド | 1位 | マラソン | 2:10:31 | |
1995 | ロッテルダムマラソン | ロッテルダム、オランダ | 1位 | マラソン | 2:08:56 |
世界陸上選手権 | イェーテボリ、スウェーデン | 1位 | マラソン | 2:11:31 | |
1996 | ソウル国際マラソン | ソウル、韓国 | 1位 | マラソン | 2:08:25 |
アトランタオリンピック | アトランタ、アメリカ合衆国 | 4位 | マラソン | 2:13:20 | |
ニューヨークシティマラソン | ニューヨーク、アメリカ合衆国 | 7位 | マラソン | 2:12:31 | |
1997 | びわ湖毎日マラソン | 大津市、日本 | 1位 | マラソン | 2:08:05 |
世界陸上選手権 | アテネ、ギリシャ | 2位 | マラソン | 2:13:21 | |
1998 | びわ湖毎日マラソン | 大津市、日本 | 2位 | マラソン | 2:09:33 |
1999 | びわ湖毎日マラソン | 大津市、日本 | 1位 | マラソン | 2:08:50 |
世界陸上選手権 | セビリア、スペイン | 8位 | マラソン | 2:16:17 | |
ニューヨークシティマラソン | ニューヨーク、アメリカ合衆国 | 9位 | マラソン | 2:12:03 | |
2000 | びわ湖毎日マラソン | 大津市、日本 | 1位 | マラソン | 2:08:14 |
シドニーオリンピック | シドニー、オーストラリア | 6位 | マラソン | 2:13:24 | |
2001 | マドリードミレニアムマラソン | マドリード、スペイン | 7位 | マラソン | 2:17:11 |
3.4. 引退後の活動
マルティン・フィスは競技選手としてのキャリアを終えた後も、マスターズ陸上の分野で走り続けている。
2019年1月13日にはバレンシアで、ロード10kmのM55(55歳以上)世界記録を31分36秒で樹立した。
彼は、50歳以上のランナーが参加するマスターズ50カテゴリーにおいて、ワールドマラソンメジャーズの6大会(ニューヨークシティマラソン、東京マラソン、ボストンマラソン、ベルリンマラソン、シカゴマラソン、ロンドンマラソン)全てで優勝を達成した世界で唯一の選手である。これは2006年に創設された、世界で最も権威あるマラソン大会群を制覇するという偉業であり、彼の競技への情熱と持続的な貢献を示している。
4. 自己ベスト
マルティン・フィスが達成した各種目における自己ベストは以下の通りである。
種目 | 記録 | 日付 | 場所 |
---|---|---|---|
1500メートル | 3:44.00 | 1988年1月1日 | |
3000メートル | 7:50.17 | 1990年7月30日 | ゲチョ |
3000メートル障害 | 8:28.90 | 1988年6月18日 | ゲチョ |
5000メートル | 13:20.01 | 1991年7月17日 | ローマ |
10000メートル | 27:49.61 | 1998年7月1日 | バラカルド |
ハーフマラソン | 1:01:08 | 1996年9月29日 | グレーベンマッハー |
マラソン | 2:08:05 | 1997年3月2日 | 大津市 |
5. 功績と評価
マルティン・フィスの選手経歴は、特にスペインのマラソン界、そして国際的な長距離走に大きな影響を与えた。
彼は1990年代に同国のアベル・アントンとともにスペインマラソン界を牽引し、当時日本で「無敵艦隊」と称されたスペイン男子マラソンの黄金時代を築き上げた中心人物の一人である。
彼の活躍は、後進の選手たちにも影響を与えた。マラソンを始めたきっかけは日本の瀬古利彦への憧れであったとされ、また谷口浩美からはマラソンに取り組む姿勢を学んだという。日本の藤田敦史も彼を尊敬する選手として知られている。
引退後もマスターズ陸上でワールドマラソンメジャーズ全6大会を制覇するなど、その競技への情熱と継続的な努力は、多くのランナーにインスピレーションを与え続けている。
