1. 概要
ヤン・バルテルミー・バレーラは、キューバ出身の元ボクサーであり、2004年アテネオリンピックのライトフライ級金メダリストである。1980年3月5日にマタンサスで生まれ、アマチュア時代にはオリンピックの他にも世界ボクシング選手権大会やボクシングワールドカップで輝かしい成績を収めた。2006年には、他の著名なキューバ人ボクサーと共にベネズエラでの合宿中にキューバを離れ、アメリカ合衆国へ亡命。その後、2007年にプロに転向し、2015年に引退するまでプロボクサーとして活動した。そのキャリアは、キューバのスポーツ体制下での成功と、自由を求めて国を離れるという個人的な決断という二つの側面を持つ。
2. 生い立ちと背景
ヤン・バルテルミー・バレーラ(Yan Barthelemy Varelaヤン・バルテルミー・バレーラスペイン語)は、1980年3月5日にキューバのマタンサスで生まれた。彼はキューバ国籍を持つボクサーとしてキャリアを開始したが、後にアメリカ合衆国へ亡命し、キューバ系アメリカ人となった。
3. アマチュア経歴
バルテルミーは、プロ転向以前に数々のアマチュア国際大会で顕著な成績を収め、その才能を世界に示した。特に2004年のアテネオリンピックでの金メダル獲得は、彼のキャリアにおける最大のハイライトである。
3.1. 2004年アテネオリンピック
2004年ギリシャのアテネで開催された2004年アテネオリンピックのボクシング競技ライトフライ級(-48 kg)に出場し、金メダルを獲得した。
主な戦績は以下の通り。
3.2. その他の主要国際大会
バルテルミーはオリンピック以外にも、複数の主要な国際大会でメダルを獲得している。
大会名 | 開催年 | 開催地 | 階級 | 結果 |
---|---|---|---|---|
世界ボクシング選手権大会 | 2001 | イギリス・ベルファスト | ライトフライ級 | 金メダル |
パンアメリカン競技大会 | 2003 | ドミニカ共和国・サントドミンゴ | ライトフライ級 | 金メダル |
ボクシングワールドカップ | 2005 | ロシア・モスクワ | ライトフライ級 | 金メダル |
中央アメリカ・カリブ海競技大会 | 2006 | コロンビア・カルタヘナ | ライトフライ級 | 銅メダル |
ボクシングワールドカップ | 2006 | チーム優勝 |
2005年のボクシングワールドカップでは、タイ王国のスバン・パンノンを36-12で、ルーマニアのイウリウス・ポクゾをRSC-2で、カザフスタンのミラット・サルセンバエフを44-15で、ロシアのセルゲイ・カザコフを26-14でそれぞれ破り、優勝を果たした。また、2006年のボクシングワールドカップでは、キューバ代表チームの一員としてチーム優勝に貢献した。
4. 亡命
2006年12月、ヤン・バルテルミーは、同じくアテネオリンピック金メダリストであるユリオルキス・ガンボアやオドラニエル・ソリスと共に、ベネズエラでのキューバ代表チームの合宿中にチームを離脱した。彼らはコロンビアを経由してアメリカ合衆国へ亡命し、その後ドイツのハンブルクを拠点とするプロモーターと契約を結び、プロボクシングへの転向を決意した。この亡命は、キューバのスポーツ界における才能流出の象徴的な出来事の一つとして注目された。
5. プロ経歴
バルテルミーはアマチュアでの輝かしい実績を引っ提げ、2007年にプロボクシングの世界へと足を踏み入れた。
2007年4月27日、ラビル・ムハマディアロフとの試合でプロデビューを果たし、4ラウンドでダウンを奪い、ユナニマス・デシジョン(判定)で勝利を収めた。キャリア序盤は6勝無敗と好調であったが、無名のアーニー・マルケスに敗れ、プロ初黒星を喫した。しかし、その後の試合で空位となっていたWBCラテンバンタム級タイトルを獲得した。
キャリア終盤には、急遽決まったホルヘ・ディアスとの試合でTKO負けを喫し、大きなキャリアの挫折となった。彼は世界タイトルに挑戦する機会を得ることなく、2015年にプロボクシングキャリアを引退した。
6. 私生活
ヤン・バルテルミーの私生活に関する公にされている情報は限られている。
7. 評価と影響
ヤン・バルテルミーは、オリンピック金メダリストという輝かしいアマチュアキャリアを持つボクサーとして評価されている。彼の亡命は、キューバのスポーツ選手がより大きな自由と経済的機会を求めて国を離れるという、当時の社会情勢を象徴する出来事であった。プロキャリアでは世界タイトル獲得には至らなかったものの、アマチュアでの実績と亡命という個人的な決断は、彼の人生において重要な意味を持つ。彼の選択は、個人の自由と自己実現の追求という観点から、その後のキューバ人スポーツ選手の亡命傾向に影響を与えた可能性がある。