1. 概要
中村藍子(なかむら あいこ、1983年12月28日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の元日本の女子プロテニス選手である。1999年にプロ転向後、2012年に現役を引退するまで、世界のテニス界で活躍した。
彼女は右利きで、フォアハンド・ストロークとバックハンド・ストロークともに両手打ちという特徴的なプレースタイルを持ち、モニカ・セレシュをロールモデルとしていた。キャリアハイのランキングはシングルスで世界47位(2007年8月6日付)、ダブルスで世界64位(2008年3月3日付)を記録。WTAツアーのシングルス決勝に1度(2006年ジャパン・オープン)、ダブルス決勝に1度(2008年ジャパン・オープン)進出したほか、ITFサーキットではシングルスで4勝、ダブルスで3勝を挙げた。また、フェドカップ日本代表としても貢献し、日本女子テニス界の発展に寄与した。
2. 生い立ちと背景
中村藍子の出身地、学歴、初期のテニス活動、および彼女の独自なプレースタイルについて説明する。
2.1. 生い立ちと教育
中村藍子は1983年12月28日に大阪府大阪市天王寺区で生まれた。5歳からテニスを始め、地元の大阪市立高津中学校、樟蔭東高等学校を卒業した。プロ転向後は、ニッケに所属して活動を続けた。
2.2. プレースタイル
中村の利き手は右利きで、フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークともに両手で打つプレースタイルを特徴としていた。彼女はベースラインからの安定したストロークを武器とするベースライン・プレーヤーであり、モニカ・セレシュを自身のロールモデルとしていた。サービスは右利きで打った。身長は1.63 m、体重は56 kgであった。
3. プロキャリア
中村藍子のプロ転向から引退までのキャリアを、初期の国際大会デビュー、キャリア全盛期の主要な成績、そして怪我による困難な時期を中心に概観する。
3.1. デビューと初期キャリア
中村藍子は1999年にプロテニス選手としてのキャリアをスタートさせた。高校卒業後の2002年から本格的にツアーに出場し始め、世界の舞台で経験を積んだ。
2005年の全豪オープンで4大大会デビューを果たす。この大会では予選3試合を勝ち抜いて本戦出場権を獲得し、本戦1回戦も突破したが、続く2回戦で第10シードのアリシア・モリク(オーストラリア)に敗れた。同年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの日本代表選手にも選出され、4月第3週の「ワールドグループ2部」1回戦のチェコ戦でシングルスに抜擢された。この試合では当時16歳になったばかりのニコル・バイディソバに敗れた。
全仏オープンでは初戦敗退に終わったものの、ウィンブルドン選手権および全米オープンでは、それぞれアナスタシア・ミスキナ、ナディア・ペトロワといった強豪相手に果敢な挑戦を見せ、ともに2回戦進出を果たした。同年11月の全日本テニス選手権では第1シードとして出場したが、準々決勝で米村知子に敗れた。
3.2. 主な成績と全盛期
2006年の全豪オープンでは、自身初の4大大会3回戦進出を達成するも、第7シードのパティ・シュナイダー(スイス)に敗れた。同年、全仏オープンとウィンブルドン選手権では初戦敗退に終わったが、7月に東京の有明コロシアムで行われたフェドカップ「ワールドグループ・プレーオフ」で日本はオーストリアに5戦全勝し、1997年以来10年ぶりとなる「ワールドグループ」(最上位グループ)復帰を果たした。この歴史的な団体戦で、中村はシングルス第3試合でオーストリア代表のバルバラ・シュワルツを6-2, 7-5で破り、日本の勝利に貢献した。
同年8月の全米オープンでは、2回戦で第16シードのアナ・イバノビッチ(セルビア)に敗れた。続く10月第2週のジャパン・オープンでは、WTAツアー大会で初の決勝進出を果たしたが、第1シードのマリオン・バルトリ(フランス)に6-2, 2-6, 2-6の逆転で敗れ、準優勝に終わった。この試合は、両選手ともにフォアハンド・ストロークとバックハンド・ストロークを両手で打つプレースタイルであったことから、女子ツアーの決勝戦において史上初めて「両手打ち選手どうし」で戦われた試合として特筆された。
2007年の全豪オープンでは、1回戦でギリシャのエレニ・ダニリドゥ、2回戦でインドのサニア・ミルザを破り、2年連続で3回戦に進出した。しかし、3回戦で第6シードのマルチナ・ヒンギスに敗れた。同年8月6日付の世界ランキングで自己最高の47位を記録した。
2008年のカンガルーカップ国際女子オープン(岐阜市)では、第1シードとして出場したが、シングルス準々決勝で12年ぶりにプロ復帰を果たしたクルム伊達公子に敗れた。しかし、その翌週の福岡国際女子テニスでは伊達に雪辱を果たしている。同年5月の全仏オープンでは、1回戦で第4シードのスベトラーナ・クズネツォワに敗れた。同年3月3日付のダブルス世界ランキングで自己最高の64位を記録した。

3.3. 怪我と後期キャリア
2009年頃から、中村は2度の膝の手術を受け、長期にわたり大会への出場が困難な状態が続いた。この影響で、2010年には世界ランキングからも一時的に除外されることとなった。手術からの回復後、彼女は主にWTAツアーの下部大会であるITFサーキットを中心に活動を続けた。
3.4. 引退
中村藍子のプロ選手としての最後の出場は、2012年全米オープンの予選1回戦での敗退であった。この試合を最後に、彼女は2012年11月に現役引退を発表し、約13年間のプロキャリアに幕を閉じた。
4. 大会成績と記録
中村藍子のWTAツアーおよびITFサーキットにおけるシングルスとダブルスの決勝進出記録、そしてグランドスラム大会での詳細な成績を以下にまとめる。
4.1. WTAツアー決勝進出記録
WTAツアーで中村藍子が進出したシングルスおよびダブルスの決勝結果を示す。
4.2. シングルス: 1回 (0勝1敗)
結果 | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 2006年10月8日 | 東京 | ハード | Marion Bartoliマリオン・バルトリfra | 6-2, 2-6, 2-6 |
4.3. ダブルス: 1回 (0勝1敗)
結果 | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 2008年10月4日 | 東京 | ハード | 森田あゆみ | ジル・クレイバス マリナ・エラコビッチ | 6-4, 5-7, 6-10 |
4.4. ITFサーキット決勝進出記録
ITFサーキットで中村藍子が進出したシングルスおよびダブルスの決勝結果を示す。
4.5. シングルス: 10回 (4勝6敗)
結果 | No. | 日付 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2002年4月21日 | 群馬、日本 | カーペット | Maria Sharapovaマリア・シャラポワrus | 4-6, 1-6 |
準優勝 | 2. | 2002年7月21日 | ボルチモア、アメリカ合衆国 | ハード | Tory Zawackiトリー・ザワッキeng | 4-6, 5-7 |
準優勝 | 3. | 2002年10月20日 | 榛原、日本 | カーペット | 浅越しのぶ | 4-6, 5-7 |
準優勝 | 4. | 2002年10月27日 | 東京、日本 | ハード | 井上遥 | 2-6, 2-6 |
準優勝 | 5. | 2003年11月23日 | ヌリオートパ、オーストラリア | ハード | Jessica Lehnhoffジェシカ・レンホフeng | 6-7(2), 6-7(2) |
優勝 | 6. | 2004年8月8日 | ルイビル、アメリカ合衆国 | ハード | Vilmarie Castellviビルマリー・カステリspa | 6-4, 6-2 |
優勝 | 7. | 2004年10月24日 | 榛原、日本 | カーペット | 吉田友佳 | 6-1, 6-4 |
準優勝 | 8. | 2006年5月7日 | カンガルーカップ、日本 | カーペット | 高雄恵利加 | 1-6, 7-5, 1-6 |
優勝 | 9. | 2009年5月3日 | カンガルーカップ、日本 | カーペット | 米村知子 | 6-1, 6-4 |
優勝 | 10. | 2011年8月29日 | つくば、日本 | ハード | Chan Chin-wei詹謹瑋chi | 6-3, 2-6, 6-3 |
4.6. ダブルス: 6回 (3勝3敗)
結果 | No. | 日付 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
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優勝 | 1. | 2002年7月28日 | エバンズビル、アメリカ合衆国 | ハード | Kim Jin-heeキム・ジンヒkor | Gabrielle Bakerガブリエル・ベイカーeng Deanna Robertsディアナ・ロバーツeng | 6-4, 6-0 |
準優勝 | 2. | 2003年5月18日 | 長野、日本 | クレー | 新井麻葵 | 平知子 米村知子 | 3-6, 1-6 |
準優勝 | 3. | 2003年5月25日 | 群馬、日本 | クレー | 新井麻葵 | 飯島久美子 Suchanun Viratprasertスパヌーン・ビラットプラサートtha | 6-4, 5-7, 4-6 |
優勝 | 4. | 2004年4月18日 | ホーチミン、ベトナム | ハード | 藤原里華 | Olena Antypinaオレナ・アンティピナukr Goulnara Fattakhetdinovaグルナラ・ファタヘトディノワrus | 6-3, 6-3 |
優勝 | 5. | 2009年5月3日 | カンガルーカップ、日本 | カーペット | Sophie Fergusonソフィー・ファーガソンeng | 土居美咲 奈良くるみ | 6-2, 6-1 |
準優勝 | 6. | 2011年5月2日 | 福岡、日本 | カーペット | 波形純理 | 青山修子 藤原里華 | 6-7(3), 0-6 |
4.7. グランドスラムシングルス成績時系列表
中村藍子の4大大会シングルスにおける年度ごとの成績を以下に示す。
; 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
大会 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 通算成績 |
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全豪オープン | QL | 2R | 3R | 3R | 1R | QL | A | QL | A | 5-4 |
全仏オープン | QL | 1R | 1R | 1R | 1R | QL | A | A | A | 0-4 |
ウィンブルドン | QL | 2R | 1R | 2R | 1R | 1R | A | A | A | 2-5 |
全米オープン | QL | 2R | 2R | 1R | 1R | A | A | A | QL | 2-4 |
5. 私生活
中村は2011年12月に、自身の専属コーチを務めていた古賀公仁男と結婚した。その後、2014年6月には第1子となる長女を出産している。
6. 評価とレガシー
中村藍子は、その特徴的な両手打ちのプレースタイルで知られる女子プロテニス選手として、日本テニス界に独自の足跡を残した。キャリア生涯獲得賞金は86.24 万 USDを記録した。グランドスラム本戦に継続的に出場し、特に全豪オープンでは3回戦進出を2度果たすなど、世界のトップレベルで戦い抜く実力を示した。
また、フェドカップにおける日本代表としての活躍は特筆される。彼女の貢献により、日本が10年ぶりにワールドグループに復帰できたことは、日本の団体戦における重要な成果であり、その後の女子テニス界の発展にも寄与した。
マリオン・バルトリとのジャパン・オープン決勝戦は、両手打ち選手同士による初のWTAツアー決勝として、テニス史における革新的な瞬間を象徴するものとなった。怪我による困難を乗り越え、国際舞台で奮闘した彼女のキャリアは、多くの若い選手にとって模範となり、日本女子テニスの発展に多大な影響を与えたと言える。