1. 概要
南スーダン共和国(Republic of South Sudan英語)、通称南スーダンは、東アフリカの内陸国である。首都はジュバ。北はスーダン、東はエチオピア、南東はケニアとウガンダ、南西はコンゴ民主共和国、西は中央アフリカ共和国と国境を接する。人口は約1,270万人(2024年推定)。国土面積は64.43 万 km2。公用語は英語である。アザンде族、ディンカ族、ヌエル族、バリ族など、多様な民族が居住する多民族国家である。
2011年7月9日、スーダン共和国の南部10州が、アフリカ大陸54番目の国家として分離独立した。これは2005年1月9日にケニアのナイバシャで締結された第二次スーダン内戦の包括的和平合意(CPA)に基づき、スーダン政府から自治を認められ、2011年1月に行われた住民投票で独立賛成票が98.83%という圧倒的多数を占めた結果である。南スーダンは、国際連合が承認した中で最も新しい独立国である(2024年現在)。
独立後、南スーダンは深刻な内戦(2013年-2020年)に見舞われ、大規模な人権侵害、民族虐殺、強制移住が発生した。内戦は2020年に和平合意が結ばれて一応終結したが、依然として国内情勢は不安定であり、民族間の暴力や人道危機が続いている。経済は石油資源に大きく依存しているが、内戦による生産の落ち込みやインフラの未整備、高い貧困率、インフレーションなど多くの課題を抱えている。
南スーダンは国際連合、アフリカ連合、東アフリカ共同体(EAC)、政府間開発機構(IGAD)の加盟国である。民主主義の定着、人権状況の改善、経済の多角化、国民和解が当面の重要課題となっている。
2. 国名の由来
「スーダン」という名称は、歴史的にサハラ砂漠の南に広がる広大な地域、すなわち西アフリカから東アフリカ中央部にかけての「黒人の土地」を指すアラビア語の{{lang|ar|بلاد السودان|bilād as-sūdān|ビラード・アッ=スーダーン}}に由来する。この用語は、アラブの商人や旅行者がこの地域で遭遇した様々な黒人アフリカ文化や社会を指して使用したものである。
南スーダンは、かつてスーダン共和国の一部であった南部地域が独立した際に、地理的な位置関係と歴史的連続性から「南スーダン共和国」(Republic of South Sudan英語)を正式国名として採用した。独立に際しては、「アザニア」「ナイル共和国」「クシュ共和国」、あるいは主要3都市(ジュバ、ワウ、マラカル)の頭文字を取った「ジュワマ」といった国名候補も検討されたが、最終的には国際的にも認知されやすい「南スーダン」が選ばれた。
3. 歴史
南スーダン地域の歴史は、ナイル系諸族の入植に始まり、外部勢力の支配、そして長く続いた内戦を経て独立に至る複雑な過程を辿ってきた。独立後も国内紛争や人道危機に直面し、国家建設は困難を極めている。
3.1. 独立以前

南スーダン地域には、10世紀以前からディンカ族、ヌエル族、シルック人、アチョリ人、バリ人などのナイル系諸族が入植を開始した。彼らは主にバハル・アル・ガザール地域から移住し、現在の居住地域を形成した。16世紀にはアザンデ人が流入し、エクアトリア地域に最大の勢力を築いた。
19世紀、ムハンマド・アリー朝下のエジプトがこの地域に関心を示し、1870年代には南部地域を支配下に置こうと試み、エクアトリア州を設置した。初代総督にはサミュエル・ベイカー、次いでチャールズ・ゴードン、エミン・パシャが任命された。しかし、1880年代のマフディーの反乱によりエジプトの支配は揺らぎ、1889年にはエクアトリアはエジプトの支配から離れた。
19世紀末、ヨーロッパ列強によるアフリカ分割が進む中、この地域はイギリスとフランスの勢力争いの舞台となり、1898年にはファショダ事件が発生した。その後、南スーダンは英埃領スーダンの一部としてイギリスとエジプトの共同統治下に置かれた。イギリスの植民地政策は、アラブ系の北部を優遇し、アフリカ系の南部を経済的・社会的に軽視するものであった。南部には学校、病院、道路などのインフラ整備がほとんど行われず、キリスト教宣教師の活動を優遇する一方でイスラム教の南部への浸透を抑制する「南部政策」が取られた。この政策は、南北の経済格差と文化的断절を深め、後の紛争の温床となった。1947年のジュバ会議で、イギリスは南部住民の意見を聞くことなく、南北スーダンを統合する方針に転換した。
1955年、スーダン独立を目前にして、南部の兵士たちが自治を求めて反乱を起こし、第一次スーダン内戦(1955年-1972年)が勃発した。1956年にスーダンが独立した後も、アラブ系中心の北部政府による南部の抑圧は続き、内戦は泥沼化した。1972年のアディスアベバ合意によって南部には自治権が与えられ、内戦は一時終結したが、約束された住民投票は実施されなかった。
3.2. 自治と独立の過程

1983年、当時のモハメド・アン=ヌメイリ政権がイスラム法(シャリーア)を全国に導入し、南部の自治権を剥奪したため、ジョン・ガラン大佐率いるスーダン人民解放軍/運動(SPLA/M)が蜂起し、第二次スーダン内戦(1983年-2005年)が勃発した。この内戦はアフリカ大陸で最も長く、最も多くの犠牲者を出した紛争の一つとなり、約250万人が死亡、数百万人が国内外への避難を余儀なくされた。南部は深刻な人道的危機に陥り、インフラは破壊され、開発は著しく遅れた。
国際社会の仲介努力により、2005年1月9日にケニアのナイバシャで包括的和平合意(CPA)が署名され、第二次スーダン内戦は終結した。CPAに基づき、同年7月9日に南部スーダン自治政府が樹立され、ジョン・ガランが初代大統領に就任したが、その直後に事故死し、サルバ・キール・マヤルディが後を継いだ。CPAは6年間の自治期間の後、南部の分離独立の是非を問う住民投票を実施することを定めていた。

2011年1月9日から15日にかけて独立住民投票が実施され、投票者の98.83%という圧倒的多数が分離独立を支持した。これを受けて、2011年7月9日、南スーダンは「南スーダン共和国」として正式に独立を宣言し、アフリカで54番目の独立国家となった。サルバ・キール・マヤルディが初代大統領に就任した。
3.3. 独立後の紛争と対立
独立後も、南スーダンはスーダンとの間で国境線未画定問題、特に石油資源が豊富なアビエイ地域の帰属問題や、石油輸送パイプラインの使用料を巡る対立を抱えた。2012年にはヘグリグ油田を巡って両国間で武力衝突が発生した。
国内では、独立直後から複数の武装勢力との間で紛争が続き、民族間の対立も深刻化した。2011年には10州のうち9州で武力衝突が報告され、数万人が避難民となった。
3.3.1. 南スーダン内戦 (2013年-2020年)
2013年12月、サルバ・キール大統領が、7月に解任したリエック・マチャル前副大統領派によるクーデター未遂があったと非難したことをきっかけに、両派の間で大規模な武力衝突が勃発し、南スーダン内戦が始まった。この内戦は、キール大統領が属するディンカ族とマチャル元副大統領が属するヌエル族という二大民族間の対立を背景に持ち、深刻な民族浄化、民間人虐殺、性的暴力、少年兵の動員といった広範な人権侵害を引き起こした。ウガンダ軍が南スーダン政府軍を支援するために派兵された。
政府間開発機構(IGAD)などの仲介により何度も和平交渉が行われたが、合意と破綻を繰り返した。2015年8月には和平合意が署名され、マチャルが第一副大統領としてジュバに復帰したが、2016年7月に再びジュバで大規模な戦闘が発生し、マチャルは国外へ逃亡、和平合意は崩壊した。反政府勢力内でも分裂や内紛が頻発し、戦闘はさらに複雑化した。
この内戦で推定約40万人が死亡し、400万人以上が家を追われ、そのうち約180万人が国内避難民、約250万人がウガンダやスーダンなど周辺国への難民となった。特に2014年のベンティウ虐殺は国際的な非難を浴びた。民主主義の発展は著しく阻害され、国の経済は破綻状態に陥った。
2018年9月に新たな権力分有を含む和平合意が成立し、2020年2月22日、キール大統領とマチャルが参加する暫定的な連立政権が発足し、マチャルは再び第一副大統領に就任した。これにより、公式には内戦は終結したとされた。しかし、和平合意の履行は遅々として進まず、地域レベルでの武装勢力間の暴力や民族間の対立は依然として続いている。国連人権委員会は、内戦終結後も暴力のレベルは「2013年から2019年の暴力をはるかに超えている」と報告している。
3.3.2. 2017年の飢饉
詳細は「2017年南スーダン飢饉」を参照
2017年2月20日、南スーダン政府と国際連合は、旧ユニティ州の一部で飢饉が発生したと共同で宣言した。これは、長引く内戦による農業生産の破壊、避難民の増加、人道支援アクセスの困難化、経済の崩壊などが複合的に作用した結果であった。10万人以上が直接的な飢饉の影響を受け、南スーダン人口の約40%にあたる490万人が緊急の食糧支援を必要としているとされた。国際社会からの緊急食糧援助が行われたが、一部地域ではキール大統領が食糧輸送を妨害しているとの批判もなされた。ユニセフは、100万人以上の子供たちが栄養失調に苦しんでいると警告した。この飢饉は、南スーダンが直面する深刻な食糧安全保障の問題と人道的課題を浮き彫りにした。また、2017年7月にはヨトウムシの一種の大量発生がソルガムやトウモロコシの生産をさらに脅かした。
3.4. 近年の情勢
2020年の内戦終結宣言後も、南スーダンの情勢は依然として不安定である。和平合意の重要な柱である統一軍の創設や憲法制定プロセスの実施は大幅に遅れている。暫定政府の運営は、キール大統領派とマチャル派の間の不信感や権力闘争により困難を極めている。
当初2023年に予定されていた総選挙は、準備不足を理由に2022年に2024年後半へと延期され、さらに2024年9月には2026年12月へと再延期が発表された。民主的な選挙の実施は、国の安定と正統な政府樹立のための重要なステップであるが、その道のりは依然として険しい。
南スーダンは2016年に東アフリカ共同体(EAC)に加盟し、地域経済統合への期待が高まっているが、国内の治安不安や経済問題がその進展を妨げている。依然として広範な地域で民族間の衝突や地域紛争が散発しており、文民保護や人道支援の必要性が高い状況が続いている。人権状況も依然として深刻で、報道の自由の抑圧、恣意的拘束、司法プロセスの欠如などが報告されている。国際社会は、南スーダンの民主的発展、人権保障、経済再建に向けた持続的な支援と関与を続けているが、国の指導者層による政治的意志と国民和解の努力が不可欠である。
4. 地理

南スーダンはアフリカ大陸の北東部に位置する内陸国であり、面積は約64.43 万 km2である。北緯3度から13度、東経24度から36度の間に広がる。北にスーダン、東にエチオピア、南東にケニア、南にウガンダ、南西にコンゴ民主共和国、西に中央アフリカ共和国と国境を接している。国の最高地点は、ウガンダとの国境近くにあるキヌエティ山(標高3187 m)である。
4.1. 地形
南スーダンの地形は、広大な平原と高原が特徴である。国土の中央部をナイル川の主要な支流である白ナイル川(現地では{{lang|ar|بحر الجبل|Bahr al Jabal|バハル・アル=ジャバル、「山の川」の意}}と呼ばれる)が南から北へと貫流している。この白ナイル川流域には、世界最大級の湿地帯であるスッドが広がっている。スッド湿地は、その広大さと独特の生態系で知られ、多くの水鳥や野生動物の生息地となっている。スッドはまた、ナイル川の水量調節にも重要な役割を果たしているが、蒸発による水の損失も大きい。
国土の南部にはイマトン山脈などの山地が見られ、標高の高い地域もある。西部にはバハル・アル=ガザール地方の平原が広がり、東部はエチオピア高原へと続く丘陵地帯となっている。

4.2. 気候
南スーダンは主に熱帯気候に属し、年間を通じて高温である。明確な雨季と乾季があり、雨季は通常5月から10月頃まで続き、湿度が高く降雨量も多い。乾季は11月から4月頃までで、乾燥した気候となる。
平均気温は、最も涼しい7月で20 °Cから30 °C、最も暑い3月で22 °Cから37 °C程度である。年間降水量は地域によって異なり、南部では1000 mmを超える一方、北部ではより乾燥している。
近年、気候変動の影響も懸念されており、降雨パターンの変化や極端な気象現象(洪水や干ばつ)の頻発が、農業生産や食糧安全保障に影響を与える可能性が指摘されている。
4.3. 自然環境と生態系
南スーダンの自然環境は多様性に富み、主な生態系として熱帯雨林(南部)、広大なサバンナ、そして世界最大級のスッド湿地などが挙げられる。これらの多様な環境は、豊かな生物多様性を育んでいる。
バンディンギロ国立公園は世界で2番目に大きな野生動物の移動が見られる場所として知られ、ヌーやレイヨウの大群が季節移動を行う。ボーマ国立公園(エチオピア国境付近)、スッド湿地、サザン国立公園(コンゴ民主共和国国境付近)などは、ハーテビースト、コブ、トピ、アフリカスイギュウ、ゾウ、キリン、ライオンなどの大型哺乳類の重要な生息地となっている。
森林地帯には、ボンゴ、ジャイアントフォレストホッグ、アカカワイノシシ、森林ゾウ、チンパンジー、各種サルなどが生息する。特にシロミミコブやナイルリーチュエは南スーダン固有の種である。
2005年に野生生物保全協会(WCS)が開始した調査では、内戦による影響で減少したものの、依然として重要な野生動物の個体群が存在することが確認された。
南スーダンは2019年の森林景観保全指数で9.45/10のスコアを獲得し、172カ国中4位にランクされるなど、比較的良好な森林状態を維持している地域もある。
しかし、内戦による環境破壊、密猟、森林伐採、インフラ開発に伴う生息地の分断などが、貴重な自然環境と生態系への脅威となっている。環境保全と持続可能な開発の両立が、今後の重要な課題である。
5. 政治
南スーダンの政治は、独立以来、内戦と不安定な情勢に翻弄されてきた。2011年の独立後、民主的な統治体制の確立が目指されたが、2013年に勃発した内戦によりそのプロセスは著しく遅滞した。2020年の和平合意に基づき暫定的な国民統一政府が樹立されたが、依然として多くの政治的課題を抱えている。


5.1. 政府機構と憲法
南スーダンは大統領を国家元首および行政府の長とする共和制国家である。2011年の独立時に制定された暫定憲法が現在も国の最高法規として機能している。この憲法は、大統領に行政権、軍の最高指揮権など強力な権限を付与している。
立法府は二院制の国民議会で構成される。下院にあたる国民立法議会と、上院にあたる州評議会である。2021年5月、2018年の和平合意に基づき、サルバ・キール大統領は既存の議会を解散し、議員数を550名に拡大した新たな立法機関を設置すると発表した。
司法府は独立しており、最高裁判所を頂点とする。
しかし、実際には権力分立の原則は十分に機能しておらず、法の支配も確立されていない。長年の内戦と政治的対立は、民主的制度の構築と人権保障を著しく妨げてきた。2023年のV-Dem民主主義指数によれば、南スーダンはアフリカで3番目に選挙民主主義の評価が低い国とされている。
5.2. 主要政党と選挙
南スーダンの主要政党は、独立運動を主導したスーダン人民解放運動(SPLM)である。SPLMは独立後も与党の地位を維持しているが、2013年の内戦勃発以降、キール大統領派のSPLM(主流派)と、マチャル元副大統領派のSPLM-IO(反体制派)などに分裂した。他にも小規模な政党が存在するが、政治的影響力は限定的である。
独立後、初の総選挙は当初2015年に予定されていたが、内戦の勃発により延期を繰り返している。2018年の和平合意では3年以内の総選挙実施が盛り込まれたが、これも履行されず、2022年には2024年後半への延期が合意された。さらに2024年9月には、準備不足などを理由に2026年12月への再延期が発表された。公正な選挙の実施と、真の多党制民主主義の発展は、南スーダンの安定と将来にとって極めて重要であるが、その実現には多くの困難が伴う。
5.3. 行政区画

南スーダンの行政区画は、独立後の政治情勢を反映して何度か変更されてきた。
独立当初(2011年-2015年)、南スーダンは10の州(state)で構成されていた。これらは歴史的な3地域(バハル・アル・ガザール、エクアトリア、大上ナイル)に対応していた。
- バハル・アル・ガザール:北バハル・アル・ガザール州、西バハル・アル・ガザール州、レイク州、ワラブ州
- エクアトリア:西エクアトリア州、中央エクアトリア州(首都ジュバを含む)、東エクアトリア州
- 大上ナイル:ジョングレイ州、ユニティ州、上ナイル州
2015年10月、サルバ・キール大統領は州の数を28に増やす大統領令を発布し、これは主に民族境界線に沿ったものであった。この措置は野党からの批判を招いたが、議会で承認された。さらに2017年1月には4州が追加され、合計32州となった。
2020年2月22日に署名された和平合意の条件に基づき、南スーダンは再び10州と2つの行政区(Administrative Area)、1つの特別行政区(Special Administrative Area)に再編された。
- バハル・アル・ガザール:上記4州
- エクアトリア:上記3州
- 大上ナイル:上記3州
- 行政区:ピボール行政区、ルウェン行政区
- 特別行政区:アビエイ(スーダンとの間で帰属係争中)
カフィア・キンギ地域は南スーダンとスーダンの間で、イレミ・トライアングルは南スーダンとケニアの間で領有権が争われている。
5.4. 首都移転計画
現在の首都はジュバであるが、ジュバはインフラの未整備、急激な都市化、そして国土の中央から離れた位置にあることなどが問題点として指摘されている。そのため、南スーダン政府は2011年2月、より中央に位置するラムシエル(レイク州、中央エクアトリア州、ジョングレイ州の境界付近)に新たな計画都市を建設し、首都機能を移転する計画を採択した。ラムシエルは国土の地理的中心とされており、故ジョン・ガランも生前に同地への首都移転を構想していたとされる。
この計画は、ナイジェリアのアブジャやブラジルのブラジリアなど、新首都建設の事例に類似している。しかし、計画の実現には莫大な資金と長期的な建設期間(少なくとも5年以上)が必要であり、内戦や経済危機の影響で具体的な進展は遅れている。
5.5. 軍事
南スーダンの軍隊は南スーダン人民防衛軍(SSPDF)である。SSPDFは、第二次スーダン内戦を戦った旧スーダン人民解放軍(SPLA)を母体として、独立後に再編された。主要な任務は、国土の防衛、国内の治安維持、憲法の保護などである。
2007年に当時のSPLA担当大臣であったドミニク・ディム・デンによって国防白書の策定が開始され、2008年に草案が作成された。この中で、南スーダンは陸軍、空軍、河川軍を保持する方針が示された。
独立後のSSPDFは、国内の反政府勢力との戦闘や民族間の衝突への対応に追われてきた。しかし、SSPDF自体も兵士による人権侵害(民間人の殺害、略奪、性的暴力など)が度々報告されており、軍の規律と文民統制の確立が大きな課題となっている。また、様々な武装勢力や民兵組織が国内に存在し、SSPDFの統制が及ばない地域もある。
南スーダンは、GDPに占める軍事費の割合が世界で最も高い国の一つであり、2015年時点ではオマーンとサウジアラビアに次いで第3位であった。これは、長引く内戦と不安定な治安情勢を反映している。軍備の近代化や兵士の待遇改善も課題であるが、国の財政状況は極めて厳しい。
6. 国際関係

南スーダンは2011年の独立以来、国際社会における地位を確立しようと努めてきたが、内戦と人道危機によりその道のりは困難を極めている。外交政策は、周辺国との安定した関係構築、国際的な支援の獲得、国内の平和と発展への貢献を目指している。
独立当初、スーダンのオマル・アル=バシール大統領は南北両国民の二重国籍を認める可能性を示唆したが、独立後に撤回した。両国間では、石油資源の配分、国境線(特にアビエイ地区の帰属)、債務問題などが主要な対立要因となっている。エジプトのエッサム・シャラフ首相(当時)は、南スーダン分離独立に先立ち、最初の外遊先としてハルツームとジュバを訪問した。イスラエルは南スーダンの独立を迅速に承認した国の一つである。
アメリカ合衆国は南スーダンの2011年の独立住民投票を支援し、南スーダンの独立に大きな役割を果たした。独立後も多額の援助を行ってきたが、内戦勃発後は人権侵害や指導者層の腐敗に対して批判的な立場を強めている。2011年12月には、アメリカはスーダンに対する経済制裁を、独立した南スーダンには適用しないことを正式に決定した。
2019年7月、南スーダンは、中国による新疆ウイグル自治区でのウイグル人に対する処遇を擁護する国連人権理事会への共同書簡に署名した37カ国の一つであった。アラブ首長国連邦(UAE)は、南スーダンに対し20年間で120億ドルの融資を行ったが、この融資契約の不透明性や南スーダン側の返済能力に対する懸念が指摘されている。
6.1. スーダンとの関係
南スーダンとスーダンの関係は、独立後も複雑かつ緊張を伴うものである。主要な懸案事項には、以下のものがある。
- 国境問題**: 両国間の国境線、特に石油資源が豊富なアビエイ地域の帰属は未確定のままであり、しばしば緊張の原因となっている。2012年にはヘグリグ油田を巡り武力衝突が発生した。
- 石油資源の配分**: 南スーダンは主要な石油埋蔵地域を有するが、輸出のためのパイプラインや港湾施設はスーダン側にあるため、輸送費や利益配分を巡る対立が続いている。
- 相互の国内紛争への関与疑惑**: 両国は互いに相手国内の反政府勢力を支援していると非難し合っており、不信感が根強い。
一方で、両国は経済的な相互依存関係にあり、和平合意の履行や国境貿易の促進など、協力の必要性も認識されている。国際社会は、両国間の平和共存と互恵的な関係構築を支援している。
6.2. 周辺国および主要国との関係
南スーダンは、エチオピア、ケニア、ウガンダといった東アフリカの周辺国と密接な関係を築こうとしている。これらの国々は、南スーダンの独立を支持し、内戦時には多くの難民を受け入れ、和平交渉の仲介も行ってきた。特にウガンダは、南スーダン内戦において政府軍を支援するために派兵した経緯がある。
主要国との関係では、アメリカ合衆国が独立を強く後押しし、独立後は最大の援助国の一つであった。しかし、内戦と人権状況の悪化に伴い、関係は冷却化している。中華人民共和国は、南スーダンの石油資源開発に深く関与しており、経済的な影響力を増している。中国は国連PKOにも部隊を派遣し、インフラ整備にも協力している。
その他、欧州連合(EU)諸国や日本なども、人道支援や開発援助を通じて南スーダンに関与している。
6.3. 日本との関係
日本は2011年7月9日に南スーダンを国家承認し、同日に外交関係を樹立した。2013年7月には首都ジュバに在南スーダン日本国大使館を開設した。
日本は南スーダンに対し、政府開発援助(ODA)を通じて、インフラ整備、農業支援、保健医療、教育、平和構築などの分野で支援を行ってきた。特に、2012年から2017年まで、国際連合南スーダン派遣団(UNMISS)に自衛隊の施設部隊などを派遣し、道路整備や避難民キャンプ建設などの活動を行った。
経済協力としては、石油依存からの脱却を目指す南スーダンの経済多角化や、農業生産性の向上支援などが行われている。文化交流はまだ限定的であるが、日本のNGOなどが現地で活動している。
2024年に予定されている総選挙に向けては、日本の国際協力機構(JICA)が選挙管理委員会の能力向上研修などを支援している。
6.4. 国際機関への加盟状況
南スーダンは独立後、主要な国際機関への加盟を進めてきた。
- 国際連合(UN)**: 2011年7月14日に193番目の加盟国となった。国内には国際連合南スーダン派遣団(UNMISS)が展開し、文民保護、人道支援、平和構築支援などを行っている。
- アフリカ連合(AU)**: 2011年7月27日に54番目の加盟国となった。AUは南スーダンの和平プロセスや紛争解決において重要な役割を果たしている。
- 東アフリカ共同体(EAC)**: 2016年4月に正式加盟した。EAC加盟により、地域経済統合への参加や貿易・投資の促進が期待されている。
- 政府間開発機構(IGAD)**: 2011年11月25日に加盟。IGADは東アフリカの地域機関であり、南スーダン内戦の和平交渉において主導的な仲介役を務めてきた。
7. 経済

南スーダンの経済は、長年の内戦と独立後の紛争により深刻な打撃を受け、世界で最も脆弱な経済の一つとされている。2017年の国民一人当たりGDPは世界最下位レベルであり、高い貧困率、ハイパーインフレーション、巨額の対外債務、開発の遅れなど、多くの構造的問題を抱えている。
7.1. 経済構造と主要産業

南スーダンの経済は、石油に極度に依存している。石油収入は政府予算の90%以上(2023年時点)、GDPの約80%を占める。しかし、石油生産は内戦による施設破壊や治安悪化、スーダンとのパイプライン使用料を巡る対立などで不安定であり、国際価格の変動にも大きく左右される。
農業は国民の大多数(約80%)が従事する主要産業であるが、その多くは自給自足的な小規模農業であり、生産性は低い。主な作物はソルガム、トウモロコシ、雑穀、キャッサバ、ラッカセイ、ゴマなどである。牧畜業も盛んで、ウシ、ヤギ、ヒツジなどが飼育されているが、伝統的な手法が中心である。農業・牧畜業は大きな潜在力を持つものの、技術不足、インフラ未整備、気候変動の影響、紛争による治安悪化などが発展を阻害している。
林業も潜在的な産業であり、特にチーク材の輸出が行われている。その他、鉄鉱石、銅、金などの鉱物資源も存在するが、本格的な開発は進んでいない。
経済の多角化と、石油依存からの脱却が喫緊の課題である。国民生活の向上と持続可能な経済発展のためには、農業生産性の向上、インフラ整備、人材育成、民間セクターの育成などが不可欠である。
7.2. 石油資源
南スーダンは、サハラ以南アフリカで第3位の石油埋蔵量を有するとされる。石油は国の経済を支える最大の柱であり、政府歳入の大部分を占めている。主要な油田はユニティ州や上ナイル州に集中している。
しかし、石油生産は多くの課題に直面している。
- スーダンとの関係**: 南スーダンは内陸国であるため、原油の輸出はスーダン国内のパイプラインとポートスーダンの港湾施設に依存している。このため、パイプライン使用料や利益配分を巡りスーダンとの間で度々対立が生じ、生産停止や輸出遅延を引き起こしてきた。
- 内戦の影響**: 内戦により油田施設が破壊されたり、生産が中断されたりする事態が頻発した。治安の悪化は、外国企業の投資や操業を困難にしている。
- 価格変動**: 国際原油価格の変動は、南スーダンの国家財政に直接的な影響を与える。
- 資源管理**: 石油収入の管理の不透明さや汚職が問題視されており、収益が国民に公正に分配されず、国の発展に十分に活かされていないとの批判がある。
石油資源の持続可能な管理、透明性の確保、そして収益の公正な分配は、南スーダンの経済再建と国民生活向上のための重要な課題である。
7.3. 交通とインフラ


南スーダンの交通インフラは、長年の内戦と投資不足により極めて未整備な状態にある。これが経済発展や国民生活、人道支援活動の大きな障害となっている。
- 道路**: 国内の道路網は劣悪で、舗装された道路はごく一部に限られる。雨季には多くの道路が通行不能となり、物流や人々の移動が著しく困難になる。主要都市間を結ぶ幹線道路の整備が急務である。2012年にUSAIDの支援でジュバとニムレを結ぶ舗装道路が開通したが、維持管理が課題となっている。
- 鉄道**: スーダン国境からワウまでの単線鉄道(軌間1,067mm、約248 km)が存在するが、老朽化と内戦による損傷で運行は不安定である。ワウからジュバへの延伸や、ケニア、ウガンダの鉄道網との接続計画があるが、実現には至っていない。
- 航空**: ジュバ国際空港が国内最大の空港であり、いくつかの国際線が就航している。地方都市にも空港があるが、多くは未舗装の滑走路を持つ小規模なものである。国内航空網の整備も課題である。
- 河川交通**: 白ナイル川は重要な水上交通路であり、特に道路網が未発達な地域では物資輸送や人々の移動に利用されている。しかし、雨季と乾季で水位が変動し、浚渫などの維持管理も十分ではない。
- その他のインフラ**: 電力供給は極めて限定的で、多くの地域では電気が利用できない。通信網も未発達で、インターネットの普及率も低い。これらのインフラ不足は、経済活動や教育、医療などあらゆる面に影響を与えている。
インフラの破壊と再建の遅れは、南スーダンの経済発展を大きく制約している。国際社会の支援を受けつつ、戦略的なインフラ投資と維持管理体制の構築が求められている。
7.4. 経済問題と貧困
南スーダンは、独立以来深刻な経済問題と広範な貧困に直面している。これらの問題は、長年の内戦、政治的不安定、不適切な経済運営、石油への過度な依存などが複合的に絡み合った結果である。
- 高い貧困率**: 国民の大多数が貧困ライン以下の生活を強いられており、特に農村部ではその状況が深刻である。基礎的な食料、水、医療、教育へのアクセスが著しく不足している。
- インフレーション**: 内戦による経済活動の停滞、通貨価値の下落、食料品などの物資不足により、ハイパーインフレーションを経験した。物価の高騰は国民生活を直撃し、貧困をさらに悪化させている。
- 対外債務**: 国家建設や紛争対応のために多額の対外債務を抱えており、その返済が財政を圧迫している。
- 開発の遅れ**: インフラの未整備、人材不足、制度の未確立などが、経済開発全体の大きな足かせとなっている。
- 石油依存のリスク**: 国家歳入の大部分を石油輸出に依存しているため、国際原油価格の変動やスーダンとのパイプライン問題を巡る政治的緊張が経済に直接的な影響を与える。
- 汚職と不透明な資源管理**: 石油収入などの国家資源の管理における不透明さや汚職が蔓延しており、国民への還元や国家開発への投資が十分に行われていないとの批判が強い。
これらの経済問題は、食糧不安、人道的危機、社会不安を深刻化させる要因となっている。貧困削減と社会正義の実現のためには、平和の定着を前提とした上で、経済構造の多角化、農業生産性の向上、インフラ整備、教育・保健への投資、そして何よりも腐敗の撲滅と透明性の高いガバナンスの確立が不可欠である。国際社会からの継続的な支援も重要であるが、南スーダン自身の主体的な改革努力が求められている。
8. 社会
南スーダンの社会は、多様な民族構成、長年の紛争による影響、そして深刻な人道状況によって特徴づけられる。国民の多くが貧困状態にあり、基礎的な社会サービスへのアクセスも著しく制限されている。
8.1. 人口と民族

南スーダンの総人口は、2024年時点で約1,270万人と推定されている。人口増加率は高いが、紛争や劣悪な保健状況により平均寿命は短い。年齢構成は若く、人口の約半数が18歳未満である。
南スーダンは非常に多様な民族が共存する多民族国家であり、60以上の異なる民族集団が存在すると言われている。主要な民族は以下の通りである。
- ディンカ族: 国内最大の民族集団で、人口の約40%を占めるとされる。主に牧畜を営み、国内の広範囲に居住している。
- ヌエル族: 第2の民族集団で、人口の約20%を占める。ディンカ族と同様に牧畜を主とし、特に大上ナイル地方に多く居住する。
- アザンデ人: 第3の民族集団で、人口の約10%。主に農耕を営み、エクアトリア地方西部に居住する。
- その他、シルック人、バリ人、ムルレ人、アチョリ人など、多数の民族が独自の文化や言語を持っている。


これらの民族間の関係は複雑であり、歴史的に資源(特に家畜や牧草地)を巡る対立が存在してきた。独立後の内戦は、既存の民族間対立を悪化させ、政治的な対立が民族間の暴力に発展するケースが多く見られた。民族共存と国民統合の達成は、南スーダンの平和と安定にとって最大の課題の一つである。

長年の紛争により、多くの南スーダン人が国内外への避難を余儀なくされ、大規模なディアスポラ・コミュニティが周辺国(ウガンダ、スーダン、エチオピア、ケニアなど)や欧米諸国に形成されている。
8.2. 言語
南スーダンでは非常に多くの言語が話されており、その数は70を超えるとされる。これらのうち約60が土着言語であり、憲法では「国語」として尊重、発展、促進されるべきものと規定されている。
英語 は唯一の公用語であり、政府の「公的作業言語」および「全ての教育段階における教授言語」として憲法で定められている。これは、1972年以来、行政目的の共通媒体として機能してきた歴史的経緯による。しかし、英語を第一言語として話す南スーダン国民は少ない。
最も広く話されている言語は、アフロ・アジア語族セム語派のアラビア語である。特に、クレオールの一種であるジュバ・アラビア語(南スーダン・アラビア語とも)は、地方行政、国内商業、都市部における事実上のリングワ・フランカ(共通語)として機能している。約145万人がジュバ・アラビア語を話し、そのうち母語話者は約25万人である。スーダンで主流のスーダン・アラビア語の話者は約46万人で、主に南スーダン北部に居住する。2005年の暫定憲法ではアラビア語は英語と並ぶ公用語とされていたが、2011年の現行暫定憲法では法的地位を持たない。
大多数の土着言語はナイル・サハラ語族に分類され、特にその下位系統であるナイル諸語(ディンカ語、ヌエル語、シルック語、バリ語など)と中央スーダン諸語が主要である。残りの多くはニジェール・コンゴ語族のアダマワ・ウバンギ諸語派(アザンデ語など)に属する。
主要な土着言語としては、ヌエル語(約435万人)、バリ語(約59万5千人)、ディンカ語(約94万人)、アザンデ語(約42万人)があり、これらを合わせると人口の約60%を占める。その他、ムルレ語、ルオ諸語、マディ語、オトゥホ語なども話されている。6つの土着言語が消滅の危機に瀕しており、さらに11言語が衰退傾向にある。
東アフリカ共同体への加盟後、スワヒリ語を第二公用語として導入し、小学校の公式カリキュラムに採用する動きがある。これは、アラビア語に代わる共通語として、また東アフリカ地域との連携強化を目的としている。
言語の多様性は南スーダンの文化的な豊かさを示す一方、国民の意思疎通や教育における課題も生んでいる。
8.3. 宗教


南スーダンでは、主にキリスト教、伝統信仰(アニミズム)、イスラム教が信仰されている。長年の紛争による国内避難民の多さ、遊牧民の頻繁な移動、政府の統計能力の不足などから、正確な宗教別人口比率の把握は困難である。
各種非政府組織の2020年の推計によると、人口の約60.5%がキリスト教徒、約32.9%が伝統的なアフリカの信仰を維持し、約6.2%がイスラム教徒である。その他の宗教(バハイ教、仏教、ヒンドゥー教、ユダヤ教など)の信者はごく少数である。
キリスト教徒の中では、カトリックが最も多く、キリスト教徒人口の約52%(全人口の約37.2%)を占めるとされる。次いで、聖公会(約350万人)、長老教会(約100万人)などが主要な教派である。ヨーロッパの宣教師による活動は19世紀半ばに始まったが、キリスト教が急速に広まったのはここ数十年である。1990年代初頭には、キリスト教徒は南部スーダン人口の10%にも満たないとされていた。
他のサブサハラアフリカ諸国と同様に、キリスト教と伝統信仰が習合している場合が多い。2022年、ルンベクの新任カトリック司教は、「キリスト教はしばしば皮相的なものであり、人々の生活に根付いていない」と述べている。
各民族は独自の伝統信仰を持ち、通常、創造神としての至高の存在を信仰する。ニロート系民族の場合、祖先が霊的な仲介者として崇拝されることが多い。伝統的な宇宙観では、目に見える物質世界と目に見えない精神世界が区別され、音楽や踊りを伴う儀式を通じて至高神が崇拝される。
イスラム教徒はスーダンとの国境に近い北部地域に比較的多く、南スーダン社会にもある程度統合されており、政府にも代表者を送っている。イスラム系の私立学校も運営されている。
2011年の独立時、初代大統領サルバ・キール(カトリック教徒)は、南スーダンが信教の自由を尊重する国家となると述べた。暫定憲法は政教分離、宗教的差別の禁止、宗教団体が礼拝、集会、布教、財産所有、宗教に関する出版などを行う自由を保障している。宗教間の紛争は、主に民族間や共同体間の紛争の文脈で発生することがある。
8.4. 教育
南スーダンの教育制度は、長年の内戦と資金不足により多くの課題を抱えている。識字率は世界で最も低い水準にあり、特に女性の識字率は低い。教育施設や教材、資格を持つ教員の不足も深刻である。
現在の教育制度は、ケニアと同様の8・4・4制(初等教育8年、中等教育4年、高等教育4年)を採用している。公用語である英語が全ての教育段階での教授言語とされているが、実際には英語を流暢に話せる教員が不足しており、特に理数系科目ではその傾向が強い。地方では現地の言語が併用されることもある。
初等教育への就学率は改善傾向にあるものの、中途退学率が高く、特に女子生徒の就学継続が大きな課題である。児童婚や家事労働、治安の悪さなどが女子の教育機会を奪っている。
高等教育機関としては、ジュバ大学、ルンベク大学、上ナイル大学などいくつかの国立大学があるが、施設や教育の質には多くの改善の余地がある。
2019年10月1日、南スーダン図書館財団によって、南スーダン初の公共図書館であるジュバ公共平和図書館が開館した。これは読書文化の振興と平和構築への貢献を目指すものである。
国際機関やNGOが教育支援を行っているが、政府による教育予算の確保と、教育の質の向上、教育機会の平等な提供に向けた長期的な取り組みが不可欠である。
8.5. 保健と人道的危機

南スーダンの保健状況は世界で最も劣悪な水準にある。乳児死亡率や妊産婦死亡率は極めて高く、平均寿命も短い。
主な保健上の問題は以下の通りである。
- 感染症**: マラリア、下痢症、呼吸器感染症などが蔓延しており、特に子供たちの主な死因となっている。南スーダンはサハラ以南アフリカで最もマラリアの負荷が高い地域の一つとされる。HIV/AIDSの蔓延状況は十分に把握されていないが、有病率は約3.1%と推定される。メジナ虫症(ギニア虫症)が依然として発生している数少ない国の一つでもある。
- 栄養失調**: 食糧不安が深刻で、多くの国民、特に子供たちが慢性的な栄養失調に苦しんでいる。2017年には一部地域で公式に飢饉が宣言された。
- 医療インフラの欠如**: 病院や診療所などの医療施設、医薬品、医療従事者(医師、看護師など)が絶対的に不足している。2004年には、南部スーダン全体で外科医はわずか3名、適切な病院も3つしかなく、一部地域では医師1人あたり50万人もの住民を担当していた。
- 水と衛生**: 安全な飲料水へのアクセスは人口の約半数に限られ、衛生施設も未整備である。これが水因性疾患の蔓延を助長している。
- 人道的危機**: 長年の紛争により、数百万人が国内避難民や難民となり、人道支援に大きく依存している。2021年1月時点で、830万人が人道支援を必要としていると国連は報告している。治安の悪化は人道支援活動の妨げとなることも多い。
2005年の包括的和平合意以降、国際社会は大規模な人道支援を行ってきたが、独立後の内戦再燃により状況は再び悪化した。公衆衛生システムの再建、医療従事者の育成、予防医療の推進、そして何よりも平和と安定の確立が、保健状況改善のための不可欠な要素である。
8.6. 人権
南スーダンの人権状況は極めて深刻であり、国際社会から厳しい批判を受けている。長年の内戦と独立後の紛争において、政府軍、反政府勢力、その他の武装集団の全てが、広範かつ組織的な人権侵害に関与してきた。
主な人権問題は以下の通りである。
- 民間人の殺害・虐殺**: 紛争当事者による意図的な民間人の殺害や、民族を理由とした虐殺が多数報告されている。特に2014年のベンティウ虐殺などが知られる。
- 強制移住と財産の破壊・略奪**: 武力衝突に伴い、多くの住民が家を追われ、財産を奪われている。村全体が焼き払われる事例も報告されている。
- 性的暴力**: レイプやその他の形態の性的暴力が、紛争の武器として組織的に用いられている。被害者は主に女性や少女であるが、男性も対象となることがある。国連は、兵士が給与の代わりに女性への性的暴行を許可されていた事例を報告している。
- 少年兵の動員**: 政府軍、反政府勢力双方によって、多数の子供たちが戦闘員や支援要員として強制的に徴用されている。2014年には9,000人以上の少年兵が紛争に関与していると国連は指摘した。
- 恣意的拘束と拷問**: 反体制派と見なされた人々やジャーナリスト、人権活動家などが、法的手続きを経ずに拘束され、拷問や不当な扱いを受ける事例が後を絶たない。
- 報道の自由の抑圧**: 政府に批判的な報道を行うメディアやジャーナリストに対する脅迫、検閲、逮捕が頻発している。2015年にはサルバ・キール大統領が「国に反する」報道を行うジャーナリストを殺害すると脅迫したと報じられた。多くのジャーナリストが国外へ逃亡している。
- 児童婚**: 児童婚の割合が52%と非常に高く、少女たちの教育機会や健康、人権が著しく侵害されている。
- 同性愛の違法化**: 同性愛行為は法律で禁止されている。
国連人権理事会によって設置された南スーダン人権委員会は、同国の人権状況を「世界で最も恐ろしい人権状況の一つ」と表現している。人権侵害の責任追及と法の支配の確立は、南スーダンの平和と和解にとって不可欠な課題であるが、その進展は極めて遅れている。
9. 文化

南スーダンの文化は、多様な民族の伝統と、長年の内戦および周辺国との交流によって形成されてきた。多くの南スーダン人が紛争を逃れてエチオピア、ケニア、ウガンダなどに避難し、現地の言語や文化に触れた経験を持つ。国内に残った人々も、スーダン文化の影響や、共通語としてのジュバ・アラビア語の影響を受けている。
多くの南スーダン人は、自らの部族の出自、伝統文化、方言を知ることを重視しており、これはディアスポラのコミュニティにおいても同様である。
9.1. 伝統と生活様式

南スーダンの主要な民族であるディンカ族やヌエル族は、伝統的にウシを中心とした牧畜生活を営んできた。ウシは経済的な価値だけでなく、社会的・文化的な象徴としての意味も持つ。結婚時の結納品(婚資)や紛争解決の際の賠償としてウシが用いられる。
アザンデ族など他の民族は農耕を主とし、ソルガム、トウモロコシ、キャッサバなどを栽培する。
各民族は独自の社会構造、慣習、通過儀礼(成人式、結婚式、葬儀など)を持っている。口承伝承(物語、詩、歌など)が文化の継承において重要な役割を果たしてきた。多くの民族で、身体装飾としてスカリフィケーション(瘢痕文身)が行われる習慣がある。
9.2. 芸術(音楽、文学など)
南スーダンの音楽は多様性に富み、伝統音楽と現代音楽の両方が存在している。伝統音楽は、各民族の儀式や日常生活と密接に結びついており、太鼓や弦楽器、管楽器などが用いられる。
現代音楽では、アフロビート、レゲエ、R&B、ズーク、ヒップホップなどが人気がある。多くのアーティストが、英語、スワヒリ語、ジュバ・アラビア語、あるいは自身の母語を混ぜて歌っている。代表的なアーティストには、Barbz、Yaba Angelosi、De Peace Child、Dynamq、Emmanuel Kembeなどがいる。元少年兵でミュージシャンとなったエマニュエル・ジャルは、国際的にも知られている。
文学に関しては、口承文学の伝統が豊かであるが、書き言葉による現代文学の発展は、識字率の低さや出版インフラの未整備などにより緒に就いたばかりである。
9.3. スポーツ

南スーダンでは、伝統的なスポーツと現代的なスポーツの両方が楽しまれている。
伝統スポーツとしては、特にレスリングが人気があり、収穫祭などの際に地域対抗で行われることが多い。レスリングの試合は、歌や太鼓、踊りを伴う賑やかな娯楽として親しまれている。
現代スポーツでは、サッカーとバスケットボールが特に人気がある。
- サッカー**: 南スーダンサッカー選手権が国内リーグとして2011年に創設された。サッカー南スーダン代表はアフリカサッカー連盟(CAF)と国際サッカー連盟(FIFA)に2012年に加盟したが、ワールドカップやアフリカネイションズカップの本大会出場経験はまだない。
- バスケットボール**: バスケットボール南スーダン代表は、近年急速に実力をつけており、2021年のアフリカ選手権では初出場でベスト8に進出した。2023年のFIBAバスケットボール・ワールドカップにも初出場を果たした。南スーダン出身のNBA選手としては、マヌート・ボル(故人)、ルオル・デン、ウェニェン・ガブリエル、ソン・メイカーなどが知られている。
オリンピックには、2012年ロンドン大会にグオル・マリアルが独立参加選手団としてマラソンに出場したのが最初である。南スーダンオリンピック委員会は2015年に国際オリンピック委員会(IOC)に承認され、2016年リオデジャネイロ大会から正式に南スーダン選手団として参加している。
9.4. メディア
南スーダンのメディア状況は、報道の自由に対する制約やインフラの未整備といった課題を抱えている。
主要な報道媒体には、新聞、ラジオ、テレビ、オンラインメディアがある。
- 新聞: 「The Citizen」などがジュバを中心に発行されているが、地方への配布はインフラの問題で限定的である。
- ラジオ: 国民への情報伝達手段として最も普及しており、多くの地域で聴取されている。
- テレビ: 普及率は低いが、都市部を中心に視聴されている。
- オンラインメディア: インターネットの普及に伴い、オンラインニュースサイトやブログも登場しているが、アクセスは都市部に偏っている。2020年には南スーダン初のオンライン専門ニュースサイトとして「South Sudan Friendship Press」が設立された。
独立当初、情報大臣は報道の自由の尊重とジャーナリストの活動の自由を保証すると表明したが、実際には政府に批判的なメディアやジャーナリストに対する脅迫、検閲、逮捕、さらには殺害事件が後を絶たない。2015年には、サルバ・キール大統領が「国に反する」報道をするジャーナリストを殺害すると脅したと報じられた。多くのジャーナリストが身の危険を感じて国外へ逃亡している。2017年には、主要なニュースサイトやブログへのアクセスが政府によって予告なく遮断される事態も発生した。
このような状況は、国民の知る権利を著しく制限し、民主的な議論や政府の透明性・説明責任の確保を困難にしている。情報へのアクセスと表現の自由の確立は、南スーダンの民主化と発展にとって重要な課題である。