1. 生い立ちと背景
野口健の生い立ちと背景は、その後の彼の登山活動や社会貢献の原点となっている。
1.1. 幼少期と教育
野口健は1973年8月21日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストンで生まれた。父は元外交官の野口雅昭、母はギリシャ系エジプト人の野口モナである。母はエジプトとレバノンのハーフで、ギリシャとフランスの血も引いているため、野口健は四カ国の血を引く。幼少期は父の赴任に伴い、ニューヨーク、サウジアラビア、エジプトなど中東各地で過ごした。初めて日本に来たのは4歳の時で、当時は日本語が話せなかった。
小学校6年時に両親が離婚し、カイロ日本人学校小学部からイギリスの立教英国学院小学部に転校した。彼は自身を「フダ付きの不良」「落ちこぼれ」と形容しており、空気銃で猫や鳩を撃ち殺す、駐車場に停めてあった車をパンクさせる、ベンツのエンブレムをもぎ取るなどの問題行為を繰り返したという。高等部在学中には学校の先輩を殴り、1ヶ月の停学処分を受けた。この停学中に一人旅に出た際、植村直己の著書『青春を山に賭けて』と出会い、登山に興味を抱く。周りに登山をする者がいなかった環境で、登山が自身の存在意義を確認する手段となり、植村直己を強く慕うようになった。
高校時代には卒業後の自衛隊入隊やカメラマンへの道を考えていたが、七大陸最高峰登頂を目指し、亜細亜大学国際関係学部に一芸入試で合格した。その後、青森大学で環境教育を学んだ。
1.2. 登山への道のりとキャリアの始まり
野口健は1989年8月にモンブランに登頂し、本格的な登山活動を開始した。彼は登山を通じて自己表現を行うことに傾倒し、自身の存在意義を見出す手段として山に向かった。亜細亜大学入学後も登山を続け、各地で最年少登頂記録を樹立した。
2. 主要な功績と活動
野口健は、その登山活動だけでなく、幅広い分野での社会貢献活動で知られている。
2.1. 七大陸最高峰登頂
野口健は1989年にキリマンジャロに登頂して七大陸最高峰への挑戦を開始した。彼はリチャード・ベースのリストに基づき山々を選定し、順調に登頂を重ねた。
山名 | 登頂月日 | 登頂時の年齢 |
---|---|---|
キリマンジャロ | 1989年12月 | 16歳 |
コジアスコ | 1992年9月 | 19歳 |
アコンカグア | 1992年12月 | 19歳 |
マッキンリー | 1993年6月 | 19歳 |
ヴィンソン・マシフ | 1994年12月 | 21歳 |
エルブルス | 1996年1月 | 22歳 |
エベレスト | 1999年5月13日 | 25歳 |
1994年のヴィンソン・マシフ登頂時には、5大陸最高峰の最年少登頂記録を更新。1996年にはエルブルス登頂により、6大陸最高峰の最年少登頂記録を達成した。そして、1999年5月13日に3度目の挑戦でエベレスト(標高8844 m)の登頂に成功し、当時25歳265日で七大陸最高峰の世界最年少登頂記録を樹立した。この記録はキリマンジャロ登頂から9年163日での達成であった。
この記録はその後、2001年に23歳の石川直樹、2006年に20歳のリース・マイルズ・ジョーンズ、2011年には15歳のジョーダン・ロメロによって更新されている。野口はこの功績により、1999年に東京都都民文化栄誉章を受章した。自身の挑戦の記録は、著書『落ちこぼれてエベレスト』に詳細に記されている。
2.2. 環境保護活動
野口健は、1999年のエベレスト登頂時に、山が大量のゴミで汚染されている現状に衝撃を受け、清掃活動を開始した。彼はインタビューで「テレビで見ていたエベレストは美しかったが、実際に行くとゴミだらけだった」と述べている。登頂後、彼は登山家チームを組織し、約8 tのゴミと400本以上の酸素ボンベを回収した。その後も、2000年から2003年、2007年、2008年、2011年と複数回にわたりエベレスト清掃登山を実施し、2001年にはさらに1.6 tのゴミと84本の空の酸素ボンベを回収したと報告されている。
日本国内においても環境保護活動を展開し、特に「日本の象徴として恥ずべき状態」と繰り返し表現した富士山の清掃活動に尽力した。この活動は、国内外のメディアで報じられ、日本における環境問題への意識向上に貢献した。また、2005年には日本との歴史的な繋がりが深いマナスルの清掃プロジェクトを開始し、2006年、2007年、2019年にも活動を続けている。これらの活動を通じて、政府が環境教育を学校のカリキュラムに組み込むべきだと主張している。
2001年からはTOKYO FMが展開する環境保護・保全活動「コスモ アースコンシャス アクト」に共同で参加している。
2.3. 災害支援と社会貢献
野口健は、登山活動で得た経験と知名度を活かし、多岐にわたる社会貢献活動を行っている。
- シェルパ基金**: 2000年には、遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援を目的とした「シェルパ基金」を設立した。
- NPO法人PEAK+AID**: 2002年にはNPO法人「セブンサミッツ持続社会機構」を設立し、2014年12月に現在の「PEAK+AID」に名称変更。この法人はヒマラヤ・富士山での清掃活動のほか、学校建設や森林づくり、戦没者遺骨収集など多角的な社会貢献活動を展開している。
- マナスル基金**: 2006年には、マナスル山麓のサマ村の教育支援のために「マナスル基金」を設立。2010年にはサマ村に学校が開校し、2018年には「ヒマラヤに森をつくろうプロジェクト」としてマツ、モミ、カラマツの植樹を開始し、2020年までに3万本の植樹を目指す計画が進められている。
- その他**: 2007年には東京ヴェルディの環境アドバイザーに就任し、サポーターと共にスタジアム周辺のゴミ拾いを行った。同年には「第2回安吾賞」を受賞し、2008年には植村直己冒険賞を受賞した。
- 戦没者遺骨収集**: 2008年からはNPO法人「空援隊」に参加し、フィリピンにおける旧日本軍戦没者の遺骨調査・収集活動を開始。2010年には空援隊を離れ、自身のNPO法人PEAK+AIDの活動として沖縄県での戦没者遺骨収集を行っている。
- 環境大使・客員教授**: 2008年には千葉県環境大使、2014年には岡山県総社市環境観光大使に就任。亜細亜大学、SBC東京医療大学、徳島大学医学部の客員教授・非常勤講師も務めている。
- 野口健環境学校**: 2009年には岡山県総社市で「野口健環境学校」を開校し、環境教育にも力を入れている。
- 災害支援**: 2015年4月のネパール地震では現地で被災し、「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げて復興支援を行った。この功績により「第一回安藤忠雄文化財団賞」を受賞した。2016年4月の熊本地震では、ネパールのシェルパから支援を受けたことをきっかけに、熊本県益城町で車中泊の避難民のためにテント村を設営する活動を展開した。2018年には北海道胆振東部地震と西日本豪雨の被災地支援も行っている。
- ランドセルプロジェクト**: 2018年から「ヒマラヤにランドセルを届けようプロジェクト」を開始し、総社市などから集められたランドセルや文具をネパールの村の子どもたちに届けている。
- 小学校再建**: 2020年にはネパール・ポカラのマヘンドラ ジャナサハヨグ小学校の再建を目指し、クラウドファンディングを実施。修復工事が現在も進行中である。
3. 思想と論争
野口健は、その言動や行動に対して、公衆から多様な評価と批判を受けている。
3.1. 登山哲学と「アルピニスト」論争
野口健は植村直己の生き方に強く影響を受けており、登山家としてだけでなく、地道に挑戦し達成していく生き方に魅力を感じていると述べている。彼は自身を「根っからの登山家」ではなく、登山を通じて自己表現をしていると語っている。
「アルピニスト」という肩書きについては、CM出演時に「登山家」に代わる肩書きとして提案を受け、元々「登山家」という言葉に悪印象を抱いていたことから、以降この肩書きを使用するようになった。しかし、この肩書きの使用を巡っては、山岳雑誌『岳人』の編集部員で登山家の服部文祥から「栗城君や野口君は市民ランナー」「登山家として3.5流」「アルピニストを目指している人を侮辱している」といった厳しい批判を受けている。服部は、アルピニストがアルピニズムに基づき困難なスタイルで登山を行う者を指すのに対し、野口の登山スタイルである大規模な遠征隊、固定ロープ、一般ルートといった手法がアルパインスタイルと対極にあることから、野口をアルピニストとは呼べないとしている。
また、野口はイモトアヤコが2012年9月にマッターホルン登頂後、頂上からヘリコプターを利用して下山したことに対して、「自力で下山するところまでが山登り」と批判的な見解を示した。一方で、イモトの身体能力や精神力については高く評価しており、エベレスト挑戦を断念した際には、安全を優先した判断を肯定的に捉えつつも、仕事と命のバランスについて複雑な心情を語った。
マスコミへの露出や清掃活動を「売名行為」と批判されることについては、「どんなに良いことでも善意だけでは継続しないため、『仕事としてのマネジメント』が必要」と述べている。
3.2. 個人的な行動と倫理的論争
野口健は、その私生活や過去の行動に関して複数の論争を抱えている。
1995年、ネパール滞在中に戸籍のない未成年のシェルパ族の少女と結婚したことを自著で明かしている。少女は当時15歳とされ、外国語を話せず、2人の会話には通訳が必要であった。法的な結婚手続きは行われず、野口がネパールを訪れる数ヶ月に一度の頻度でしか会わない関係が続いた。2年後に離婚した理由については、「少女がカトマンズという大都会に出て、会うたびにどんどんケバい女になっていったから」と説明している。
著書『確かに生きる~10代へのメッセージ~』においては、亜細亜大学の入試論文で、実際にはその場に居合わせなかったにもかかわらず、両親が住むイエメンのサナア市で爆弾テロに遭ったかのように内容を脚色したことを告白している。
また、2008年には雑誌『正論』で、戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏と対談を行った。戸塚の著書『本能の力』に共感したことから対談を依頼したという。野口は、講演先の学校で教師と生徒に緊張感がなく、騒ぐ生徒に教師が注意しない経験からゆとり教育の弊害を語り、「家庭内暴力や不登校など親の手に負えない多くの子どもが助かった事実を忘れてはならない」と、戸塚の教育方針を肯定的に評価している。
3.3. 環境問題に関する見解
野口健は、自身の環境活動を通じて環境問題の難しさを痛感していると述べており、2003年の公式ブログでは「原子力発電や火力発電に頼らない社会をどのようにすれば実現できるのか、理想論を超えた現実的な視野のなかでこのエネルギー問題を捉えていかなければならないんじゃないか」と、自己矛盾を抱えつつの活動であることを認めている。
彼は、イギリスの人気ロックバンドコールドプレイが飛行機移動によるCO2排出を理由にワールドツアーを休止したことについて、「単なるパフォーマンス」「リアリティーがなければ意味がない」とTwitterで批判した。
また、環境活動家のグレタ・トゥーンベリに関しても、「電車をご利用なんですか?飛行機がダメという方はもちろん車もダメだろうし、馬車でご移動されていらっしゃるのかと想像をしていましたが...」と皮肉るようなツイートを投稿した。このツイートは1100件以上の返信が寄せられ、その多くで「大人げない」「彼女を責めてどうするのか」といった批判を浴びた。
3.4. 政治および産業との関係
野口健は特定の政党への所属は避けているものの、政治家や産業界との関係が指摘されている。
2004年には自民党から参議院議員選挙の比例区での出馬を打診され、本人も意欲を示したが、周囲の反対や自身の活動基盤が確立していなかったこと、また当時の東京都知事石原慎太郎に直訴していた「東京都レンジャー制度」の発足に携わる必要があったことなどから、最終的に不出馬を選択した。彼は特定の政党ではなく、「政治家個人(共に活動した仲間)を応援する」というスタンスを取っており、環境保護活動で理解を示した橋本龍太郎の元秘書や側近、小池百合子などの選挙応援を行っている。
2012年12月1日には、自身のTwitterで「幸福実現党の政策はいつも明確。共感できる部分が多い」とツイートし、同党への肯定的な見解を示した。
産業界との関係では、原子力発電推進のための啓蒙活動を行う「日本エネルギー会議」の発起人の一人となっている。また、高レベル放射性廃棄物の最終処分を行うNUMOの広報DVDや、東京電力の広報番組に出演している。エベレスト・富士山同時清掃登山では、東京電力からの協賛を受けている。
石油産業との関係では、コスモ石油が環境保護のスポンサー支援をしており、TOKYO FMの「コスモ アースコンシャス アクト」に共同で参加している。
さらに、マルチ商法を展開する日本アムウェイからも協賛を受けており、エベレスト・富士山同時清掃登山でも支援を受けている。野口は、全国各地の海岸を中心にゴミ拾い活動を行う「アムウェイクリーンナップ」にゲストとして参加し、アムウェイシンポジウムで基調講演も行っている。
4. 私生活
野口健は、1995年にネパールでシェルパ族の未成年の少女と結婚したが、2年後に離婚した。これは法的な手続きを伴わない事実婚であり、少女が結婚可能年齢に達していなかったことや、戸籍などの書類が存在しなかったためである。
その後、2003年7月に日本人女性と結婚し、2004年2月21日には長女の絵子が誕生した。2019年時点で、結婚生活16年のうち15年間は妻と別居しており、長女は妻の家で育ったという。長女の絵子は、ニュージーランドへの留学を経て、2023年4月からは慶應義塾大学に在学しており、2020年からはTBSテレビのクイズ番組『日立 世界・ふしぎ発見!』のミステリーハンターを務めている。
野口の父、野口雅昭は会津若松市出身の元外交官で、エジプトやイタリア、イエメンなどで公使や大使を歴任した。父は政府開発援助(ODA)に取り組み、「物事の表面的なA面だけでなく、努力しないと見えてこないB面を見ろ」と野口に教えてきた。シェルパ基金は野口が「ヒマラヤのB面を見た結果」だと述べている。
実母の野口モナ(旧姓:タドロス)はエジプトのヘリオポリス出身で、コプト教徒の父とトルコ出身のギリシャ人・フランス人のハーフの母との間に生まれた。仕事人間の父との間で合わなくなり離婚し、その後再婚したが再び離婚し貧窮したため、野口が異父弟妹の大学卒業まで仕送りをしていた。母は後にカナダに移住し、2007年にはテレビ朝日系列の番組『グレートマザー物語』の企画で一度来日している。
母方の祖母キキはトルコ出身のギリシャ人で、トルコでのギリシャ人迫害を逃れて幼少期にエジプトに移住した。そこでコプト・カトリックのエジプト人マグディ・タドロスと結婚したが、ナセル革命で財産を没収され窮乏生活を送った。1970年代初めには家族でカナダのモントリオールに移住し、1980年代にはサウジアラビアのサウード家でガヴァネス(女家庭教師)を務めた経験がある。
継母は、野口がエベレスト登頂に2度失敗し、3度目の挑戦に臨む際、ベースキャンプに「いつまでも登れないようではダメ。ダラダラと挑戦していたらあなたはエベレストのストーカーです。決着をつけてきなさい」という手紙を送るなど、厳しい態度で野口を鼓舞したという。
5. 著作・出演
野口健は、自身の登山経験や環境保護活動に関する書籍を多数出版し、テレビ番組やCMにも積極的に出演している。
5.1. 出版物
- 『落ちこぼれてエベレスト 7大陸最高峰世界最年少登頂』(1999年、集英社インターナショナル)
- 『大冒険術 ぼくらはなぜ世界に挑むのか』(白石康次郎共著、2000年、文藝春秋)
- 『100万回のコンチクショー』(2002年、集英社)
- 『あきらめないこと、それが冒険だ エベレストに登るのも冒険、ゴミ拾いも冒険!』(2006年、学習研究社)
- 『中学生のためのショート・ストーリーズ 2 パックンマックンが選ぶ旅と冒険の話集』(共著、2007年、学習研究社)
- 『確かに生きる~10代へのメッセージ~』(2007年、クリタ舎)
- (改題)『確かに生きる 落ちこぼれたら這い上がればいい』(2009年、集英社文庫)
- 『100 Remains 登山家、野口健が山で集めたゴミ。美術家、田中朝子が集めた野口健の言葉。』(田中朝子共著、2007年、ごま書房)
- 『富士山を汚すのは誰か 清掃登山と環境問題』(2008年、角川書店)
- 『自然と国家と人間と』(2009年、日本経済新聞出版社)
- 『こだわり人物伝 8・9月 知楽遊学シリーズ/水曜日 NHKテレビテキスト』(2010年、NHK出版)
- 『それでも僕は「現場」に行く』(2011年、PHP研究所)
- 『世界遺産にされて富士山は泣いている』(2014年、PHP研究所)
- 『震災が起きた後で死なないために 「避難所にテント村」という選択肢』(2017年、PHP研究所 PHP新書)
- 『登り続ける、ということ。 山を登る 学校を建てる 災害とたたかう』(2021年、学研プラス)
- 『父子で考えた「自分の道」の見つけ方 「正解」を選ぶのではなく、選んだ道を「正解」にすればいい!』(2022年、誠文堂新光社)
写真集
- 『写真集 野口健が見た世界 INTO the WORLD』(2013年、集英社インターナショナル)
- 『ヒマラヤに捧ぐ』(2016年、集英社インターナショナル)
関連書籍
- 『野口健 最高峰でつかんだ未来』(綾野まさる著、2000年、旺文社)
- 『僕の名前は。 アルピニスト野口健の青春』(一志治夫著、2001年、講談社)
- 『野口健が聞いた英霊の声なき声 戦没者遺骨収集のいま』(喜多由浩著、2009年、産経新聞出版/日本工業新聞新社)
- 『さよなら、野口健』(小林元喜著、2022年、集英社インターナショナル/集英社)
5.2. メディア出演
野口健は、自身の活動を広く伝えるため、数多くのテレビ番組やCMに出演している。
山岳ドキュメンタリー番組
- 特別番組『七大陸最高峰に挑む』(毎日放送・TBS系列、1997年7月19日)
- 超極限映像スペシャル『幻想チョモランマ』(毎日放送、1999年4月29日)
- 情熱大陸『七大陸の頂へ~野口健』(毎日放送・TBS系列、1999年6月13日)
- こだわり人物伝『植村直己』(NHK教育、2010年8月4日から)
- 『地球の頂へ!超壮絶エベレスト単独挑戦!栗城史多28歳熱き闘い』(テレビ東京、2010年10月24日) - コメンテーター
ニュース番組
- MBSナウ(毎日放送)
- 『20歳の南極(前・後編)』(1995年1月5日・6日)
- 『遥かなりエベレスト(前・後編)』(1995年4月27日・28日)
- 『エルブルースの絆』(1995年10月21日)
- 『友人ナティーの死(前・後編)』(1995年12月14日・15日)
- 『エルブルースの絆2』(1996年2月10日)
- 『友人ナティーの魂(前・後編)』(1996年5月3日・4日)
- 『チョーユー』(1996年11月30日)
- 『汚された最高峰~チョモランマの知られざる現実』(1996年10月10日)
- 『野口健さん、世界7大陸最高峰制覇!喜びの現地報告』(1999年5月17日)
- 『野口健の新たな挑戦~チョモランマ清掃登山』(2000年6月7日)
- 筑紫哲也ニュース23『ヒマラヤ大雪崩から半年、遺品を回収』(TBS系列・毎日放送制作、1996年5月10日)
- スペースJ『友人ナティーの死』(TBS系列・毎日放送制作、1996年5月22日)
- VOICE(毎日放送)
- 『野口健、最後のチョモランマ清掃登山へ』(2003年4月10日)
- 『野口健、決死の清掃登山~チョモランマ』(2003年7月1日)
- 『野口健、最後のチョモランマ』(2007年6月29日)
バラエティー番組、その他
- 日経スペシャル カンブリア宮殿「地球の"叫び"を聴け!」(2008年7月7日、テレビ東京)
- 世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ) - 準レギュラー
- ぽかぽか(2023年2月13日、フジテレビ) - 娘の野口絵子と共に出演
- おかべろ(2025年1月18日 関西テレビ放送、2025年1月19日 フジテレビ) - 娘の野口絵子と共に出演
その他多数
CM- ネスレ日本 ネスカフェ「ゴールドブレンド」(2000年)
DVD
- 『野口健 ECO×TOUR 西表島の旅』(2005年、ソニー・ミュージック MHBW32)
- 『野口健 ECO×TOUR 屋久島の旅』(2005年、ソニー・ミュージック MHBW33)
- 『野口健 ECO×TOUR 小笠原諸島の旅』(2005年、ソニー・ミュージック MHBW34)
- 『野口健 ECO×TOUR 礼文島・利尻島の旅』(2006年、ソニー・ミュージック MHBW61)
- 『野口健 ECO×TOUR 対馬の旅』(2006年、ソニー・ミュージック MHBW62)
- 『野口健 ECO×TOUR トカラ列島の旅』(2006年、ソニー・ミュージック MHBW63)
6. 主な登山歴
- 1990年8月(16歳) モンブラン(4810 m)登頂(ヨーロッパ大陸)
- 1990年12月(17歳) キリマンジャロ(5895 m)登頂(アフリカ大陸)
- 1992年9月(19歳) コジアスコ(2228 m)登頂(オーストラリア大陸)
- 1992年12月(19歳) アコンカグア(6960 m)登頂(南米大陸)
- 1993年6月(19歳) マッキンリー(6168 m)登頂(北米大陸)
- 1994年12月(21歳) ヴィンソン・マシフ(4892 m)登頂(南極大陸)
- 1996年1月(22歳) エルブルス(4892 m)登頂(ヨーロッパ大陸、ロシア)
- 1996年9月(23歳) チョ・オユー(8201 m)登頂
- 1999年5月(25歳) エベレスト(8844 m)登頂(アジア大陸)ネパール側 - 七大陸最高峰登頂の世界最年少記録樹立(当時)
- 2007年5月(33歳) エベレスト(8844 m)登頂(清掃登山)チベット側 - ネパール、チベットの両方からの登頂成功者は日本人8人目。