1. 概要
新井千鶴(新井 千鶴あらい ちづる日本語、1993年11月1日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の日本の女子柔道家である。身長172 cm、血液型はO型、握力は左右ともに40 kg。柔道の階級は70kg級。段位は五段で、組み手は左組みを得意とする。
2020年東京オリンピック女子70kg級の金メダリストであり、混合団体戦では銀メダルを獲得した。また、世界柔道選手権大会では2017年と2018年に2年連続で金メダルを獲得し、柔道界における日本の第一人者としての地位を確立した。その卓越した技術と精神力で国内外の数々の大会を制し、柔道界に多大な功績を残した。引退後は指導者の道に進み、次世代の育成にも貢献している。
2. 幼少期と柔道との出会い
新井千鶴は1993年11月1日、埼玉県大里郡寄居町に生まれた。両親ともに長身であり、3歳年上の兄も100kg超級の柔道選手であった。幼稚園時代はサッカーに取り組んでいたが、兄が柔道を勧められたことをきっかけに、自身も柔道に興味を持ち、近所の男衾柔道クラブに入門した。しかし、年上の女子部員に囲まれて怖がり、わずか一日で辞めてしまった。
それでもクラブの指導者に再考を促され、小学校1年生の時に勇気を出して再入門し、柔道に本格的に取り組むようになった。男衾中学校3年生の時には関東大会で3位に入賞したものの、全国中学校柔道大会には県予選で敗れ出場できなかった。中学時代は女子部員が他におらず、大人との稽古や高校への出稽古を通して、一人で柔道について考え、取り組む習慣が身に付いたという。
中学校2年生から指導を受けていた柏又洋邦が柔道部監督を務める児玉高校に進学。高校1年生の時には57kg級、2年生では63kg級、3年生で70kg級と、中学1年生時の44kg級から5階級も体重を増やし、体が大きく成長した。柏又は新井がさらに大きくなると見込み、型にはめずに伸び伸びと指導した。高校2年生の秋には70kg級への階級変更を勧められたが、苦手なライバルから逃げたと思われるのを嫌い躊躇したものの、最終的に受け入れ、これまで以上に厳しいトレーニングを積んだ。高校3年生の時、関東高校柔道大会70kg級でオール一本勝ちの優勝を達成し、この際に三井住友海上の監督である柳沢久とコーチの上野雅恵からスカウトされた。続くインターハイでは、決勝で大成高校3年の古屋梓を判定で破り優勝を飾った。高校時代は学業でも優秀で、3年間オール5の成績を収めていた。
3. 選手としてのキャリア
新井千鶴は、その競技人生において数々の顕著な功績を収め、日本の柔道界を代表する選手として国際舞台で活躍した。幼少期からの柔道への情熱と弛まぬ努力により、国内外の主要大会で金メダルを多数獲得し、世界選手権連覇やオリンピックでの栄光を掴んだ。
3.1. プロ初期の活動 (2012年-2014年)
2012年、新井は三井住友海上に所属し、プロ柔道家としてのキャリアをスタートさせた。高校時代とは段違いの練習強度に当初はなかなか馴染めなかったものの、徐々に頭角を現した。同年9月の全日本ジュニアでは決勝で高岡龍谷高校3年の長内香月(おさない かつき)に有効で敗れ、2位に終わった。しかし、続くアジアジュニアでは優勝を飾った。11月の講道館杯で3位に入賞し、ワールドカップ・チェジュでは決勝で地元韓国の金省然を指導2で破り、シニアの国際大会で初優勝を飾るなど、着実に調子を取り戻していった。
2013年6月には実業団体で優勝を果たした。同年7月のグランドスラム・モスクワでは決勝でオーストリアのベルナデッテ・グラフに有効で敗れるも、9月の全日本ジュニアでは決勝で筑波大学2年の古屋を技ありで破り優勝を飾った。10月の世界ジュニアでは、準決勝でフランスのマルゴー・ピノを指導1で破ったが、決勝でクロアチアのバルバラ・マティッチに大内刈で敗れて2位に終わった。団体戦では決勝のフランス戦でピノに指導2で敗れたものの、大将戦で稲森奈見が一本勝ちしたことでチームは優勝した。しかし、同期の吉村静織と稲森奈見が個人戦で優勝する中で自身だけが優勝できなかったため、試合後に号泣し、しばらく落ち込んだという。11月の講道館杯では決勝で環太平洋大学4年のヌンイラ華蓮に小内刈で敗れ、2位となった。しかし、11月末から12月初めに開催されたグランドスラム・東京では、準決勝で世界チャンピオンであるコロンビアのジュリ・アルベアルを肩固で破り、決勝では世界ランキング1位であるオランダのキム・ポリングを内股の有効で破って優勝を飾った。この際、「強い相手と試合をやるのは楽しいので」「目標の五輪出場に向けて、今は結果を残していきたい」とコメントした。
2014年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは3回戦でオランダのリンダ・ボルダーに技ありで敗れたが、敗者復活戦を勝ち上がり3位になった。4月の選抜体重別では初戦で和歌山県庁の高橋ルイに袈裟固で逆転負けを喫し、世界選手権代表の座を逃した。全日本選手権では準々決勝で綜合警備保障の田知本愛に指導3で敗れて5位に終わった。7月のグランドスラム・チュメニでは準決勝でカナダのケリタ・ズパンシックに技ありで敗れるも、3位決定戦で中国の陳飛を内股で破り3位になった。9月のアジア大会では、個人戦の決勝で地元の金省然に技ありで敗れて2位に終わった。しかし、団体戦の決勝では個人戦に続いて金省然と対戦し、今度は指導1で勝利してチームの優勝に貢献した。11月の講道館杯では決勝で綜合警備保障の田知本遥にGSに入ってから指導2で敗れ2位となった。12月のグランドスラム・東京では初戦でロシアのアレーナ・プロコペンコに裏投げで敗れた。
3.2. 世界の舞台での台頭 (2015年-2017年)
2015年2月のヨーロッパオープン・ソフィアでは決勝でピノを横四方固で破るなど、全試合一本勝ちで優勝を飾った。続くグランプリ・デュッセルドルフでも準決勝まですべて一本勝ちで勝ち上がり、決勝でも地元ドイツのサンドラ・ディートリヒを有効で破り優勝した。4月の選抜体重別では決勝で田知本に指導2で敗れ2位にとどまったものの、国際大会での成績が評価され世界選手権代表に選出された。5月のワールドマスターズでは3回戦でフランスのファニー=エステル・ポスビトに指導2で敗れたが、敗者復活戦を勝ち上がり3位になった。8月の世界選手権では、準決勝でフランスのジブリズ・エマヌと対戦し、指導2を先取されるも終盤に大内刈で一旦は有効を取り逆転したかに思えたが、そのポイントをジュリーに取り消されて敗れた。3位決定戦でもフランスのポスビトに谷落で敗れ5位に終わり、今大会の女子代表9名のうち、唯一メダルを逃す結果となった。試合後のインタビューでは、「力不足で負けたというしかない。やってきたことは出せたが、結果が出なかった。最低でも銅メダルは欲しかった。リオ五輪の代表に必ずなるという思いでやる」と語った。その後の世界団体では決勝のポーランド戦でキャサリン・クライスに指導1で勝利するなど3戦全勝し、チームの優勝に貢献した。10月のグランドスラム・アブダビでは準決勝でポリングに有効で敗れるも、3位決定戦でマティッチを有効で破り3位になった。12月のグランドスラム・東京では準決勝で国士舘大学1年の池絵梨菜に横四方固で一本勝ちし、決勝ではコマツの大野陽子との対戦となった。最初の1分半で指導3まで取られたが「負けている感じはしなかった」と反撃に出て、終了直前に追いつくと、GSに入ってから3分29秒を経過したところで相手のかけ逃げで反則勝ちを収めて熱戦に終止符を打ち、今大会2年ぶり2度目の優勝を飾った。
2016年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは準決勝で地元ドイツのラウラ・ヴァルガス=コッホを縦四方固で破ったが、決勝ではオーストリアのグラフに強引な大内刈を裏投げで切り返され、今大会2連覇はならなかった。試合後には、「課題として取り組んできたこと(不十分でも積極的に仕掛ける)を出せたところもある。最後は甘かった」と語った。4月の選抜体重別では決勝でオリンピックの代表争いを繰り広げていた田知本に内股返の有効で敗れて2位に終わり、リオデジャネイロオリンピック代表には選出されなかった。6月の実業団体では優勝した。7月のグランドスラム・チュメニでは決勝で地元ロシアのバレンティーナ・マルツェワを横四方固で破り優勝を飾った。11月の講道館杯では初戦でJR東日本の前田奈恵子と対戦し、GSに入ってから5分ほど経過したところで指導1を取られて敗れた。12月のグランドスラム・東京では決勝で山梨学院大学2年の新添左季に指導2で敗れて2位にとどまった。
2017年2月のグランドスラム・パリでは決勝でズパンシックを縦四方固で破り優勝した。この優勝により、日本の女子選手としては2013年3月に52kg級で1位だった橋本優貴以来、約4年ぶりに世界ランキングで1位となった。続くグランプリ・デュッセルドルフでは決勝でフランスのマリー=エヴ・ガイエから技あり2つを取った後に横四方固で破り、今大会2年ぶり2度目の優勝を飾った。この際に、「全体的に落ち着いて試合ができた。勝ち上がるという気持ちが前面に出た。今年の目標は世界選手権で金メダルを取ること。また一つ一つ成長して、東京五輪に近づいていきたい」と語った。4月の選抜体重別では決勝で新添を終了間際の横四方固で破り、今大会初優勝を飾り、世界選手権代表に選出された。6月の実業団体では3戦して2勝1分けだった。
8月の世界選手権では、準々決勝でブラジルのマリア・ポルテラとGSを含めて9分近い激闘の末に指導2で破った。準決勝ではリオデジャネイロオリンピック銀メダリストであるコロンビアのアルベアルを技ありで破った。決勝ではプエルトリコのマリア・ペレスに送襟絞で一本勝ちし、この階級の日本選手としては、2003年の世界選手権で優勝した所属先のコーチである上野雅恵以来となる世界チャンピオンとなった。世界団体では決勝のブラジル戦でポルテラを指導2で破り、チームの金メダル獲得に貢献した。リオデジャネイロオリンピックに出場できなかった悔しさをバネに、本来の組み手とは逆の右組みの技に取り組んだり、本格的な筋力トレーニングを積んで体幹を鍛えた成果が今大会で現れた。試合後のインタビューでは、「世界チャンピオンは夢だった。優勝できて良かった」と語った。今大会優勝したことで半年ぶりに世界ランキング1位に返り咲いた。世界選手権での優勝が評価され、新井の地元である寄居町より町民栄誉賞が授与されることになった。12月のグランドスラム・東京では準決勝でペレスを横四方固で破るも、決勝では大野と対戦して反則負けを喫し、2位にとどまった。今大会で優勝すれば2018年の世界選手権代表が内定していただけに、「いつも以上に指導が出るのが早かった。何とも言えない」と不満の意を表した。なお、日本の女子選手としては2012年に52kg級の西田優香、57kg級の松本薫、63kg級の上野順恵が1位になって以来5年ぶりに世界ランキングの年間1位となり、5.00 万 USDのボーナスを獲得した。
3.3. 世界選手権連覇とオリンピック出場権獲得 (2018年-2020年)
2018年2月のグランドスラム・パリでは準決勝でポリングを技ありで破るも、決勝ではイギリスのサリー・コンウェイを内股で投げた際にひっくり返され、横四方固で敗れた。4月の選抜体重別では決勝で大野に一本背負投で敗れて2位だった。この際に、「負けちゃいました。言葉がない」「日本で断トツの強さで勝ってこその代表だと思う」とコメントした。しかしながら、世界選手権代表には大野に続いて選出された。5月のグランプリ・フフホトでは準々決勝でイギリスのジェマ・ハウエルに反則負けを喫するが、その後の3位決定戦でポルテラを内股で破り3位になった。6月の実業団体ではコマツ戦で1階級下の田代未来に支釣込足で逆転勝ちするなど全試合一本勝ちし、チームの2年ぶり8度目の優勝に貢献した。
2018年9月の世界選手権では、準々決勝でアルベアルを技ありで破り、準決勝ではコンタクトレンズが外れながらもペレスを大内刈で破った。決勝ではガイエに技ありを先取されるも、内股と横四方固の合技で逆転勝ちし、2連覇を達成した。試合後には、「一番欲しいものを手に入れるまで頑張り続けたい」とコメントした。11月のグランドスラム・大阪では決勝でスウェーデンのアンナ・ベルンホルムを技ありで破り3度目の優勝を飾った。世界選手権と今大会に勝ったことで、規定により2019年の世界選手権代表に内定した。なお、2年連続で世界ランキングの年間1位となり、IJFから1.00 万 USDが授与された。
2019年4月の選抜体重別はすでに世界選手権代表が内定していたため出場しなかった。大会後、正式に代表が決まった。5月のグランドスラム・バクーは決勝でベルンホルムを合技で破るなど、すべて一本勝ちして優勝した。6月の実業団体ではコマツ戦で大野と引き分けるも、63kg級の鍋倉那美が一本負けしたためチームは2位にとどまった。8月に東京で開催された世界選手権では、3回戦でポルトガルのバルバラ・ティモに払巻込の技ありで敗れ、今大会3連覇はならなかった。この際に、「やってきたことを出し切れなかった自分に『何やってんだろう』という気持ち。日々もがき苦しんで、自分と向き合って戦っていた日々というのが勝ちにつながらなくて、『自分でも何やってんだろう』という気持ち」とコメントした。しかし、続く世界団体では決勝のフランス戦でガイエに一本勝ちし、チームの優勝に貢献した。11月のグランドスラム・大阪では準々決勝でポリングに裏投げで敗れるも、その後の3位決定戦でベネズエラのエルビスマル・ロドリゲスを10分39秒の戦いの末に技ありで破り3位になった。12月のワールドマスターズでは初戦で世界選手権で敗れたティモを大内刈、準々決勝で世界チャンピオンとなったガイエを内股の技ありでそれぞれ破るも、準決勝でオランダのサンネ・ファンデイケに技ありで敗れるが、3位決定戦でオーストリアのミヒャエラ・ポレレスを縦四方固で破り3位になった。
2020年2月のグランドスラム・デュッセルドルフでは準々決勝で地元ドイツのジョヴァンナ・スコッチマッロに技ありを取られるも合技で破り、準決勝でピノを内股、決勝ではベルギーのガブリエラ・ウィレムスをGSに入ってから隅落の技ありで破って優勝した。その後に開かれた強化委員会で、強化委員全員の満場一致により、東京オリンピック代表が内定した。2番手選手とのこれまでの成績差が歴然だと強化委員の3分の2以上によって判断された場合は東京オリンピック代表が内定することになっていた。代表内定となった新井は、「素直にうれしい。思い切り自分の柔道を出し切れるように準備していく。まだまだ完璧な状態ではないけど、成長できるとプラスに捉えて強くなりたい」と決意を語った。同年5月に全柔連は常務理事会と強化委員会を開いて、新型コロナウイルスの影響で1年延期になった東京オリンピックでは、2月に決まっていた代表内定選手の権利を維持する方針を確認した。内定選手は激しい代表選考をすでに経ているとしたうえで、国際大会の再開がいまだ不透明で再選考が容易でないことを最大の理由に挙げている。一方で強化委員長の金野潤は、「現場の監督、コーチが現内定選手で闘う自信をしっかり持っていることが一番の決め手」だと説明した。その後、全柔連の全理事と監事の承認を得て、代表内定選手の維持が正式に決まった。同年9月には1年延期された東京オリンピックについて、「(1年延期は)試練だけど、こういう過程があるからこそ心技体で成長できると思う」「最高の結果を出すために1日1日を過ごす。そこが揺らぐことはない」とコメントした。
3.4. 東京オリンピックと現役引退 (2021年)
1年ぶりの試合となった2021年3月のグランドスラム・タシケントでは決勝でマティッチを技ありで破って優勝した。5月のグランドスラム・カザンでは準決勝で地元ロシアのマディナ・タイマゾワに技ありで敗れるが、3位決定戦ではオランダのヒルデ・ヤーヘルに技ありを先取されるも内股で逆転勝ちして3位となった。この際、「内面的にちゅうちょしている部分があった」と反省を述べた。
2021年7月に日本武道館で開催された東京オリンピックでは、準々決勝でドイツのジョヴァンナ・スコッチマッロを合技で破り、準決勝ではタイマゾワと16分41秒に及ぶ激闘の末に送り襟絞で破った。決勝ではポレレスを技ありで破り、オリンピック初優勝を飾った。試合後には次のように語った。「うれしいです。その一言。何度もくじけそうになったが、信念をぶらさずにここまでやってきて、結果が付いてきて良かった」。新井は埼玉県出身者として、オリンピックの個人競技で初めての金メダリストとなった。
東京オリンピック混合団体では、初戦のドイツ戦でスコッチマッロを、準決勝のロシアオリンピック委員会戦ではタイマゾワをそれぞれ合技で破った。しかし、決勝のフランス戦では63kg級で優勝したクラリス・アグベニューに合技で敗れ、その後チームも敗れて2位にとどまった。
同年9月には全柔連に強化指定選手の辞退届を提出し、現役引退を表明した。今後は指導者の道を歩むという。9月10日のオンライン記者会見では次のように語った。「何1つ楽なことはなく、本当に険しい道のりが多かったですが、その分達成感を味わえました。自分を成長させてくれたのが柔道です。どんなことにも諦めず、信念をぶらさずに歩んでいく大切さを学び、無駄な経験は1つもありませんでした。誰もができる経験ではないですし、得たものを次の人生で生かしていきたいです」。10月には全日本ジュニア代表チームのコーチに就任した。
4. 柔道スタイルと得意技
新井千鶴は、その長い手足と強靭な体幹を活かした独自の柔道スタイルで知られている。左組み手から繰り出される内股や大外刈、出足払などの足技を得意としている。特に、小学生時代に出足払、送足払、燕返といった足技を徹底的に鍛えたことが、後に彼女の得意技として大いに活きることとなった。
2016年のリオデジャネイロオリンピックに出場できなかった経験は、彼女の柔道スタイルに大きな転換点をもたらした。この経験から、「何かを変えなければならない」という強い思いを抱き、どんな状況であっても、どこを持っても技を掛け切ることができるよう、本来の組み手とは逆の右組みの技や担ぎ技にも取り組み始めた。2017年に世界チャンピオンになって以降は、相手の研究に対処するため、不十分な組み手や不利な体勢からも変則技を仕掛けられるように、払腰や一本背負投などの反復練習にも取り組み、技の幅を広げていった。また、稽古で追い込み過ぎないようにオンとオフの切り替えにも注意を払うよう心がけた。
さらに、70kg級はパワー柔道の選手が多い階級であることから、その対策のために本格的な筋力トレーニングを積んで体幹を鍛え上げた。これにより、相手と密着した際に潰れずに体を合わせられるようになり、より有利な体勢で技をかけることが可能となった。加えて、相手を崩してすかさず抑込技や絞め技へ移行する寝技の技術にも長けている。東京オリンピックに向けては、組み手を強化するという弱点と判断した部分の克服にも取り組んだ。
5. 大会成績と記録
新井千鶴のプロ柔道家としてのキャリアは、数多くの国内外の主要大会での輝かしい成績によって彩られている。以下にその詳細な記録をまとめる。
5.1. 主要大会戦績
- 2011年 - インターハイ 優勝
- 2011年 - 全日本ジュニア 3位
- 2011年 - エクサンプロヴァンスジュニア国際 優勝
- 2012年 - ベルギージュニア国際 優勝
- 2012年 - 全日本ジュニア 2位
- 2012年 - アジアジュニア 優勝
- 2012年 - 講道館杯 3位
- 2012年 - ワールドカップ・チェジュ 優勝
- 2013年 - ヨーロッパオープン・ソフィア 3位
- 2013年 - 実業団体 優勝
- 2013年 - グランドスラム・モスクワ 2位
- 2013年 - 全日本ジュニア 優勝
- 2013年 - 世界ジュニア 個人戦 2位 団体戦 優勝
- 2013年 - 講道館杯 2位
- 2013年 - グランドスラム・東京 優勝
- 2014年 - グランプリ・デュッセルドルフ 3位
- 2014年 - 全日本選手権 5位
- 2014年 - グランドスラム・チュメニ 3位
- 2014年 - アジア大会 個人戦 2位 団体戦 優勝
- 2014年 - 講道館杯 2位
- 2015年 - ヨーロッパオープン・ソフィア 優勝
- 2015年 - グランプリ・デュッセルドルフ 優勝
- 2015年 - 選抜体重別 2位
- 2015年 - ワールドマスターズ 3位
- 2015年 - 実業団体 優勝
- 2015年 - 世界選手権 5位
- 2015年 - 世界団体 優勝
- 2015年 - グランドスラム・アブダビ 3位
- 2015年 - グランドスラム・東京 優勝
- 2016年 - グランプリ・デュッセルドルフ 2位
- 2016年 - 選抜体重別 2位
- 2016年 - 実業団体 優勝
- 2016年 - グランドスラム・チュメニ 優勝
- 2016年 - グランドスラム・東京 2位
- 2017年 - グランドスラム・パリ 優勝
- 2017年 - グランプリ・デュッセルドルフ 優勝
- 2017年 - 選抜体重別 優勝
- 2017年 - 世界選手権 優勝
- 2017年 - 世界団体 優勝
- 2017年 - グランドスラム・東京 2位
- 2018年 - グランドスラム・パリ 2位
- 2018年 - 体重別 2位
- 2018年 - グランプリ・フフホト 3位
- 2018年 - 実業団体 優勝
- 2018年 - 世界選手権 優勝
- 2018年 - グランドスラム・大阪 優勝
- 2019年 - グランドスラム・バクー 優勝
- 2019年 - 実業団体 2位
- 2019年 - 世界団体 優勝
- 2019年 - グランドスラム・大阪 3位
- 2019年 - ワールドマスターズ 3位
- 2020年 - グランドスラム・デュッセルドルフ 優勝
- 2021年 - グランドスラム・タシケント 優勝
- 2021年 - グランドスラム・カザン 3位
- 2021年 - 東京オリンピック 優勝
- 2021年 - 東京オリンピック混合団体 2位
5.2. 世界ランキングの推移
2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | 2018年 | 2019年 | 2020年 | 2021年 | 2022年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 50 | 11 | 13 | 4 | 4 | 1 | 1 | 5 | 4 | 2 | 24 |
5.3. 主要選手との対戦成績
国籍 | 選手名 | 内容 |
---|---|---|
日本 | 田知本遥 | 3敗 |
コロンビア | ジュリ・アルベアル | 3勝 |
ブラジル | マリア・ポルテラ | 4勝 |
ドイツ | ラウラ・ヴァルガス=コッホ | 2勝 |
イギリス | サリー・コンウェイ | 2勝1敗 |
プエルトリコ | マリア・ペレス | 5勝 |
オランダ | キム・ポリング | 2勝2敗 |
フランス | マリー=エヴ・ガイエ | 4勝 |
フランス | ジブリズ・エマヌ | 1勝1敗 |
フランス | ファニー=エステル・ポスビト | 2勝1敗 |
5.4. IJFワールド柔道ツアー獲得賞金
IJFワールド柔道ツアーにおける獲得賞金は、選手にとって重要な収入源の一つである。かつて日本選手の場合、獲得賞金の半分は全柔連の取り分となっていたが、2013年3月からは競技者規定が改訂され、賞金は全額選手が受け取れるようになった。しかし、2014年7月からはIJF主催の各大会でコーチにも賞金が支給されるようになったため、選手の賞金が従来の2割減となった。
大会 | 開催日 | 順位 | 獲得賞金 |
---|---|---|---|
グランドスラム・モスクワ2013 | 2013年6月21日 | 2位 | 3000 USD |
世界ジュニア | 2013年10月25日 | 2位 | 1400 USD |
グランドスラム・東京2013 | 2013年11月30日 | 優勝 | 5000 USD |
グランプリ・デュッセルドルフ | 2014年2月22日 | 3位 | 1000 USD |
グランドスラム・チュメニ | 2014年7月13日 | 3位 | 1200 USD |
グランプリ・デュッセルドルフ | 2015年2月21日 | 優勝 | 2400 USD |
ワールドマスターズ2015 | 2015年5月24日 | 3位 | 1600 USD |
グランドスラム・アブダビ | 2015年10月31日 | 3位 | 1500 USD |
グランドスラム・東京2015 | 2015年12月5日 | 優勝 | 4000 USD |
グランプリ・デュッセルドルフ | 2016年2月20日 | 2位 | 1200 USD |
グランドスラム・チュメニ | 2016年7月17日 | 優勝 | 4000 USD |
グランドスラム・東京2016 | 2016年12月3日 | 2位 | 2400 USD |
グランドスラム・パリ2017 | 2017年2月12日 | 2位 | 2400 USD |
グランプリ・デュッセルドルフ | 2017年2月25日 | 優勝 | 2400 USD |
世界選手権 | 2017年8月25日 | 優勝 | 2.08 万 USD |
グランドスラム・東京2017 | 2017年12月3日 | 2位 | 2400 USD |
2017年世界ランキング | 2017年12月18日 | 1位 | 5.00 万 USD |
グランドスラム・パリ | 2018年2月11日 | 2位 | 2400 USD |
グランプリ・フフホト | 2018年5月26日 | 3位 | 800 USD |
世界選手権 | 2018年9月24日 | 優勝 | 約2.36 万 USD |
グランドスラム・大阪 | 2018年11月24日 | 優勝 | 4000 USD |
2018年世界ランキング | 2018年12月17日 | 1位 | 1.00 万 USD |
グランドスラム・バクー | 2019年5月11日 | 優勝 | 4000 USD |
グランドスラム・大阪 | 2019年11月23日 | 3位 | 1200 USD |
ワールドマスターズ2019 | 2019年12月13日 | 3位 | 2400 USD |
グランドスラム・デュッセルドルフ | 2020年2月22日 | 優勝 | 4000 USD |
グランドスラム・タシケント2021 | 2021年3月6日 | 優勝 | 4000 USD |
グランドスラム・カザン | 2021年5月6日 | 3位 | 1200 USD |
27大会 | - | - | 合計16.43 万 USD |
6. 受賞歴と栄誉
新井千鶴は柔道およびスポーツへの顕著な貢献に対し、以下の公式な表彰を受けている。
- 2017年 - 寄居町民栄誉賞:2017年世界柔道選手権大会での優勝が評価され、地元である埼玉県寄居町より授与された。
- 2021年 - 紫綬褒章:2020年東京オリンピックでの金メダル獲得をはじめとする功績が称えられ、日本国政府より授与された。
7. 引退後の活動
新井千鶴は、2021年9月にプロ柔道選手としての現役を引退した後も、柔道界への貢献を続けている。引退会見では、指導者の道を歩む意向を表明しており、その言葉通り、柔道界の次世代育成に尽力している。
2021年10月には、全柔連の全日本ジュニア代表チームのコーチに就任した。これにより、自身の豊富な競技経験と培った技術・精神力を、若手選手の指導に活かし、日本の柔道の発展に貢献している。
8. 功績と顕彰
新井千鶴の選手キャリアは、柔道スポーツ、特に女子柔道に多大な影響を与えた。彼女の二度の世界柔道選手権大会優勝と、2020年東京オリンピックでの金メダル獲得は、後進の柔道家たちにとって大きな目標となり、多くの若者に柔道への夢と挑戦の意欲を与えた。彼女の粘り強く、常に自身の柔道スタイルを向上させようとする姿勢は、スポーツ選手のあるべき姿を示した。
彼女の偉大な功績を称えるため、具体的な顕彰も行われている。
2021年10月28日には、東京オリンピック柔道女子70kg級において金メダルを獲得した功績をたたえ、新井の出身地である埼玉県寄居町の寄居町役場北口前に記念のゴールドポスト(第4号)が設置された。これは、ゴールドポストプロジェクトの一環として、オリンピック・パラリンピックの金メダリストの功績を称え、記念する目的で全国各地に設置されているものである。