1. Overview
ラショーン・メリット(LaShawn Merritt英語)は、アメリカ合衆国の元陸上競技選手であり、主に400メートル競走を専門とする短距離走者として活躍しました。彼はこの種目における元オリンピックチャンピオンであり、身長は0.2 m (6 in)、体重は84 kg (185 lb)でした。自己ベストの43秒65は史上11番目に速い記録です。メリットはジュニア時代から傑出した才能を発揮し、2004年の世界ジュニア選手権で3つの金メダルを獲得しました。シニアキャリアでは、長年のライバルであるジェレミー・ウォリナーとの激しい競争を繰り広げ、2008年の北京オリンピックでは400mで金メダルを獲得し、さらに4x400mリレーでも金メダルに輝きました。2009年の世界選手権でも400mと4x400mリレーで2冠を達成し、その地位を確固たるものにしました。キャリアの途中でドーピング違反による出場停止処分を受けましたが、復帰後も2013年の世界選手権で再び金メダルを獲得するなど、トップレベルでの活躍を続けました。
2. 生涯と幼少期
ラショーン・メリットは、その競技キャリアを形成する上で、家族の影響と教育が重要な役割を果たしました。
2.1. 幼少期と家族
メリットは1986年6月27日にアメリカ合衆国バージニア州ポーツマスで生まれました。幼い頃から兄の影響を受けて育ち、5歳からは野球を始め、アメリカンフットボールでもその俊足を生かしていました。また、トランペットが非常に上手だった兄の影響で、中学時代には吹奏楽部に所属し、トランペットやフレンチホルンを演奏しました。彼は自身で作曲した曲を吹奏楽部に提供するほどの才能を持っていました。
しかし、メリットが13歳だった1999年11月、兄が19歳で事故に巻き込まれ死去するという悲劇に見舞われました。この出来事はメリットに大きな衝撃を与え、兄の影響で始めたスポーツをやめてしまいます。その後、陸上競技をしていた妹の勧めで陸上を始めることとなりました。
2.2. 教育とプロ転向
メリットはポーツマスのウッドロウ・ウィルソン高校を卒業しました。高校卒業後、イーストカロライナ大学で1年間大学アスリートとして過ごしました。しかし、最初の室内トラックシーズン中にナイキ社とエンドースメント契約を結んだため、NCAAの競技に出場する資格を失いました。その後、彼はバージニア州ノーフォークにあるオールド・ドミニオン大学に転校し、さらにノーフォークにあるノーフォーク州立大学で経営管理を学びました。
2005年2月、イーストカロライナ大学在学中にプロに転向しました。当初は契約先のナイキから指定されたプロコーチの下でトレーニングを行いましたが、コーチがまだ体ができていないメリットに他のプロ選手と同じトレーニングを強制したため、うまくいきませんでした。この経験から、2005年のオフシーズンに故郷に戻ったメリットは、高校時代にウッドロウ・ウィルソン高校陸上部のアシスタントコーチを務めていたドゥエイン・ミラーにコーチを依頼しました。
2.3. 初期キャリアの開発
メリットが陸上競技を本格的に始めたのは15歳の時でした。その翌年には州大会の400mで優勝し、100mと200mで2位という成績を残しました。同年、彼はドゥエイン・ミラーと出会い、本格的な練習を開始しました。ミラーは初めて会った際に「一緒にオリンピックに行こう!」とメリットに語りかけ、当時10代だったメリットはそれを聞いて大笑いしたといいます。
彼は2004年の世界ジュニア陸上競技選手権大会でジュニア選手として頭角を現しました。この大会で400mの金メダルを獲得し、さらにアメリカの4x100mリレーチームと4x400mリレーチームの一員として2つの世界ジュニア記録を樹立しました。この年の400mではジュニア世界ランク1位となり、リレーもジュニア世界新記録を樹立しました。本来はロングスプリンターである彼ですが、この年は200mでも20秒72の記録(当時の全米ジュニアランク4位)を出し、4x100mリレーのアンカーも務めるなど、その多才さを示しました。
3. 陸上競技キャリア
ラショーン・メリットの陸上競技キャリアは、ジュニア時代からの輝かしい成績と、シニアでの数々の世界的な成功、そしてドーピング問題という試練を乗り越えた復帰劇によって特徴づけられます。
3.1. ジュニア時代の業績
メリットは2004年の世界ジュニア陸上競技選手権大会で、400m、4x100mリレー、4x400mリレーの3種目で金メダルを獲得し、3冠を達成しました。特に4x100mリレーでは38秒66、4x400mリレーでは3分01秒09という当時のジュニア世界記録を樹立し、その名を世界に知らしめました。
3.2. 初期シニアキャリアとライバル関係
2005年、メリットは初の主要シニア選手権である2005年世界選手権に出場し、男子4x400mリレーの補欠として予選で走行し、チームの決勝進出に貢献しました。決勝ではジェレミー・ウォリナーに交代しましたが、アメリカチームは金メダルを獲得しました。
2006年にはシニア選手として台頭し、2006年世界室内選手権の4x400mリレーチームに選出され、タイリー・ワシントン、ミルトン・キャンベル、ウォーレス・スピアモンと共に世界室内タイトルを獲得しました。屋外では、自己ベストを44秒14に更新し、2006年IAAFワールドアスレチックファイナルで銅メダルを獲得しました。また、2006年IAAF陸上ワールドカップではアメリカ代表として400mで優勝しました。
2007年の2007年世界選手権(大阪)の400m決勝に先立ち、メリットは全ての選手に勝つという意気込みを語りました。彼は初の44秒切りとなる43秒96を記録し、2000年オリンピックチャンピオンのアンジェロ・テイラーを破りました。しかし、当時の世界およびオリンピックチャンピオンであったジェレミー・ウォリナーには0.5秒及ばず、銀メダルに終わりました。それでも、この銀メダルはメリットにとって400mでの初のグローバル選手権メダルとなりました。彼は再びアメリカの4x400mリレーチームの一員となり、ウォリナーやテイラーといったメダリストと共に、バハマに3.5秒差をつけて楽々と勝利しました。ウォリナーが不在だった2007年IAAFワールドアスレチックファイナルでは、メリットが400mで金メダルを獲得しました。当時、ジェレミー・ウォリナーが無敵を誇っていたため、メリットは常に2番手を追う形でした。
3.3. ピークパフォーマンス:オリンピックおよび世界チャンピオン
メリットの2008年シーズンは、2004年以降全ての主要グローバル選手権で400mを制していたジェレミー・ウォリナーとの激しいライバル関係によって特徴づけられました。2008年IAAFゴールデンリーグは彼らの多くの対決の場となりました。彼はベルリンの国際スタジアムフェストでウォリナーに僅差で初勝利を収めました。その1ヶ月後、2008年全米オリンピック選考会で再びウォリナーを破り、オリンピック出場権を確定させました。7月のゴールデンガラではウォリナーが0.01秒差で勝利し、パリのミーティング・ガズ・ド・フランスではウォリナーが43秒86で勝利し、オリンピック前の勢いはウォリナーにあるように見えました。

しかし、2008年北京オリンピックの400m決勝では、メリットがウォリナーを圧倒し、金メダルを獲得しました。両者の接戦が予想されていましたが、結果はメリットの圧勝でした。メリットの1位とウォリナーの2位との差は0.99秒で、これはオリンピック400m決勝における史上最大の差となりました。彼の記録43秒75は自己ベストを更新し、当時の400m歴代5位の記録となりました。彼はさらにウォリナー、アンジェロ・テイラー、そして400m銅メダリストのデビッド・ネビルと共に男子4x400mリレーチームを組みました。このチームは2分55秒39を記録し、1992年バルセロナオリンピック以来のオリンピック記録を更新、この種目史上2番目に速いタイムで金メダルを獲得しました。
オリンピックの数週間後、彼はヴェルトクラッセチューリッヒでウォリナーに大差で敗れましたが、ウォリナーの優勝タイム43秒82はメリットのオリンピック優勝タイムより遅いものでした。メリットは2008年IAAFワールドアスレチックファイナルでウォリナーに対するシーズン4勝目を挙げました。このシーズン、両者は互いに勝利を収めましたが、メリットは最も重要なレースを全て制し、オリンピックと全米の400mチャンピオンとしてシーズンを終えました。彼は2009年の室内シーズンを欠場し、自身のランニングと技術の向上に集中しました。
ウォリナーがディフェンディングチャンピオンとして既に世界選手権出場権を獲得していたため、メリットは2009年全米選手権の400mで、自身の世界最高記録44秒50に並ぶタイムで比較的容易に優勝しました。2009年世界選手権(ベルリン)では、400mで世界最高記録となる44秒06を記録し、再びウォリナーを破って金メダルを獲得しました。さらに、4x400mリレーでも金メダルを獲得し、2冠を達成しました。
3.4. ドーピング禁止と競技復帰
2010年10月、メリットはDHEAとプレグネノロンの3回のドーピング検査で陽性反応を示したため、2009年10月まで遡って21ヶ月間の出場停止処分を受けました。アメリカ仲裁協会は、メリットが男性機能向上製品「ExtenZe英語」に含まれていた禁止物質を意図せず摂取したという主張を受け入れました。
出場停止期間を終えたメリットは、2011年7月29日のダイヤモンドリーグストックホルム大会で復帰し、44秒74で2位に入りました。彼は2009年の400m世界チャンピオンであったため、2011年世界選手権(大邱)への出場権を得ました。この大会で彼は44秒35の世界最高記録を樹立し、レースの大部分をリードしましたが、最終的にグレナダの若手選手キラニ・ジェームスに次いで銀メダルを獲得しました。しかし、4x400mリレーでは最終走者を務め、最終カーブを3位で通過した後、アメリカチームに金メダルをもたらしました。

3.5. 後期キャリアと最後のオリンピック
メリットは2012年全米オリンピック選考会で400mのトップ通過者となりました。しかし、2012年ロンドンオリンピックの陸上競技イベントの2週間前、モナコのヘルクレス大会でハムストリングを痛めてしまいました。この怪我の結果、ロンドンオリンピックの400m予選で途中で棄権し、レースを完走できませんでした。
2013年、メリットは2013年世界選手権(モスクワ)で復帰し、400mで43秒74の自己ベストを記録して金メダルを獲得しました。さらに、4x400mリレーでも金メダルを獲得し、2冠を達成しました。
2014年にはIAAF世界リレー(バハマ、ナッソー)の4x400mリレーで金メダルを獲得しました。また、IAAFコンチネンタルカップ(モロッコ、マラケシュ)では400mで金メダル、4x400mリレーで銅メダルを獲得しました。
2015年、彼は再びIAAF世界リレー(ナッソー)の4x400mリレーで金メダルを獲得しました。2015年世界選手権(北京)では、400mで自己ベストとなる43秒65を記録しましたが、銀メダルに終わりました。しかし、4x400mリレーでは金メダルを獲得しました。
2016年、メリットは2016年リオデジャネイロオリンピックの400mで再びアメリカ代表チームに選出されました。彼は43秒85という非常に速いタイムを記録しましたが、世界新記録となる43秒03で金メダルを獲得した南アフリカ共和国のウェイド・バン・ニーケルクと、43秒76で銀メダルを獲得したディフェンディングチャンピオンのキラニ・ジェームスに次いで、銅メダルを獲得しました。さらに、4x400mリレーでは最終走者として金メダルを獲得しました。この大会では200mにも出場し、20秒19で6位に入りました。
3.6. 引退
メリットは2017年IAAF世界リレー(ナッソー)で4x400mリレーの金メダルを獲得しました。しかし、2017年世界選手権(ロンドン)では400mの準決勝で20位(45秒52)に終わり、決勝に進出できませんでした。この大会後、彼は現役引退を発表しました。
4. 個人最高記録と特筆すべき記録
ラショーン・メリットは、そのキャリアを通じて数々の優れた記録を樹立しました。特に、200mと400mの両方で高いレベルのパフォーマンスを発揮したことで知られています。
4.1. 屋外個人最高記録
4.2. 室内個人最高記録
| 種目 | 記録 (秒) | 場所 | 日付 |
|---|---|---|---|
| 60m | 6.68 | バージニア州リンチバーグ、アメリカ合衆国 | 2006年2月18日 |
| 200m | 20.40 | アーカンソー州フェイエットビル、アメリカ合衆国 | 2005年2月12日 |
| 300m | 31.94 | アーカンソー州フェイエットビル、アメリカ合衆国 | 2006年2月10日 |
| 400m | 44.93 | アーカンソー州フェイエットビル、アメリカ合衆国 | 2005年2月11日 |
| 500m | 1:01.39 | ニューヨーク州ニューヨーク市、アメリカ合衆国 | 2012年2月10日 |
4.3. 特筆すべき業績と記録
メリットは、200mで20秒未満、400mで44秒未満という記録を両方達成した史上6人のうちの1人という稀有なアスリートです。この偉業を達成した他の選手には、マイケル・ジョンソン、アイザック・マクワラ、ウェイド・バン・ニーケルク、マイケル・ノーマン、フレッド・カーリーがいます。
彼の400mの自己ベストである43秒65は、2015年8月26日に北京で樹立されたもので、2024年のオリンピック決勝でマシュー・ハドソン=スミスが43秒44を記録するまで、優勝ではないタイムとしては史上最速でした。
また、メリットは以下のトラック記録を保持していました(2024年9月時点)。
4.3.1. 200メートル
| 場所 | 記録 | 風速 (m/s) | 日付 |
|---|---|---|---|
| ノースカロライナ州グリーンズボロ | 19.80 | 2008年4月19日 | |
| バハマナッソー | 19.78 | 2016年4月16日 |
4.3.2. 400メートル
5. 主要大会結果
ラショーン・メリットの主要な国際大会における成績は以下の通りです。
| 年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004 | 世界ジュニア選手権 | イタリアグロッセート | 400m | 1位 | 45.25 | |
| 4×100mリレー | 1位 | 38.66 | ジュニア世界記録 | |||
| 4×400mリレー | 1位 | 3:01.09 | ジュニア世界記録 | |||
| 2005 | 世界選手権 | フィンランドヘルシンキ | 4×400mリレー | 予選1位 | 3:00.48 | 予選のみ出場 |
| 2006 | 世界室内選手権 | ロシアモスクワ | 4×400mリレー | 1位 | 3:03.24 | |
| ワールドアスレチックファイナル | ドイツシュトゥットガルト | 400m | 3位 | 44.14 | 自己記録 | |
| ワールドカップ | ギリシャアテネ | 400m | 1位 | 44.54 | ||
| 4×400mリレー | 1位 | 3:00.11 | ||||
| 2007 | 世界選手権 | 日本大阪 | 400m | 2位 | 43.96 | 自己記録 |
| 4×400mリレー | 1位 | 2:55.56 | ||||
| ワールドアスレチックファイナル | ドイツシュトゥットガルト | 400m | 1位 | 44.58 | ||
| 2008 | オリンピック | 中国北京 | 400m | 1位 | 43.75 | 自己記録 |
| 4×400mリレー | 1位 | 2:55.39 | オリンピック記録 | |||
| ワールドアスレチックファイナル | ドイツシュトゥットガルト | 400m | 1位 | 44.50 | ||
| 2009 | 世界選手権 | ドイツベルリン | 400m | 1位 | 44.06 | |
| 4×400mリレー | 1位 | 2:57.86 | ||||
| ワールドアスレチックファイナル | ギリシャテッサロニキ | 400m | 1位 | 44.93 | ||
| 2011 | 世界選手権 | 韓国大邱 | 400m | 2位 | 44.63 | |
| 4×400mリレー | 1位 | 2:59.31 | ||||
| 2012 | オリンピック | イギリスロンドン | 400m | DNF | 記録なし | 予選途中棄権 |
| 2013 | 世界選手権 | ロシアモスクワ | 400m | 1位 | 43.74 | |
| 4×400mリレー | 1位 | 2:58.71 | ||||
| 2014 | 世界リレー | バハマナッソー | 4×400mリレー | 1位 | 2:57.25 | 大会記録 |
| コンチネンタルカップ | モロッコマラケシュ | 400m | 1位 | 44.60 | ||
| 4×400mリレー | 3位 | 3:02.78 | アメリカ大陸代表 | |||
| 2015 | 世界リレー | バハマナッソー | 4×400mリレー | 1位 | 2:58.43 | |
| 世界選手権 | 中国北京 | 400m | 2位 | 43.65 | 自己記録 | |
| 4×400mリレー | 1位 | 2:57.82 | ||||
| 2016 | オリンピック | ブラジルリオデジャネイロ | 200m | 6位 | 20.19 | |
| 400m | 3位 | 43.85 | ||||
| 4×400mリレー | 1位 | 2:57.30 | ||||
| 2017 | 世界リレー | バハマナッソー | 4×400mリレー | 1位 | 3:02.13 | |
| 世界選手権 | イギリスロンドン | 400m | 準決勝20位 | 45.52 |