1. 概要
アレクサンドル・タンメルト(Aleksander Tammertアレクサンドル・タンメルトエストニア語、1973年2月2日 - )は、エストニアの陸上競技選手である。専門は円盤投。身長は1.96 m、体重は124 kg。長年にわたり国際大会で活躍し、特に2004年アテネオリンピックでの銅メダル獲得は彼のキャリアのハイライトであり、エストニア陸上競技界における重要な功績の一つである。また、世界陸上競技選手権大会やヨーロッパ陸上競技選手権大会でも上位入賞を重ね、ユニバーシアードでは金メダルを獲得するなど、国際舞台で安定した成績を残した。
2. 生い立ちと背景
アレクサンドル・タンメルトは、エストニアのタルトゥで生まれ、陸上競技一家の環境で育った。
2.1. 出生と家族
アレクサンドル・タンメルトは1973年2月2日にエストニアのタルトゥで生まれた。彼の父親であるアレクサンドル・タンメルト・シニア(Aleksander Tammert Sr.アレクサンドル・タンメルト・シニア英語、1947年4月28日 - 2006年10月27日)もまた砲丸投の選手であり、陸上競技指導者でもあった。タンメルト・シニアは、1966年のヨーロッパジュニア選手権で優勝している。
2.2. 教育
タンメルトは、アメリカ合衆国のサザンメソジスト大学で学び、1996年に卒業した。
3. 陸上競技キャリア
アレクサンドル・タンメルトは、その長いキャリアにおいて、数々の国際大会で実績を積み重ねた。
3.1. 主要大会とハイライト
タンメルトは、1995年に日本の福岡市で開催されたユニバーシアードで8位に入賞したのを皮切りに、1997年のシチリア大会で5位、1999年のパルマ・デ・マヨルカ大会で4位と、着実に成績を上げた。そして、2001年に中国の北京で開催されたユニバーシアードでは、65.19 mを記録して金メダルを獲得した。
オリンピックにはエストニア代表として4度出場している。1996年アトランタオリンピックでは25位、2000年シドニーオリンピックでは9位に入賞した。
キャリア最大のハイライトは、2004年アテネオリンピックであった。この大会の円盤投競技で、タンメルトは当初4位であったが、優勝したロバート・ファゼカシュ選手がドーピング検査で失格となったため、3位に繰り上がり銅メダルを獲得した。これは、クリーンな競技環境の維持と公平性の重要性を示す結果となった。アテネオリンピックの1ヶ月後には、IAAFワールドアスレチックファイナルでも3位に入賞した。
2005年は、世界陸上競技選手権大会(ヘルシンキ)とIAAFワールドアスレチックファイナルでともに4位となった。これらの大会では、同じエストニアの選手であるゲルド・カンテルが両方で銀メダルを獲得している。2006年には、ヨーロッパ陸上競技選手権大会(イェーテボリ)とIAAFワールドアスレチックファイナル(シュトゥットガルト)で再び3位に入賞し、ここでもカンテルが両方で銀メダルを獲得した。
その後もタンメルトは、2007年世界陸上競技選手権大会(大阪)で8位、2008年北京オリンピックで12位、2009年世界陸上競技選手権大会(ベルリン)で13位、2010年ヨーロッパ陸上競技選手権大会(バルセロナ)で18位、そして引退前の最後のオリンピック出場となった2012年ロンドンオリンピックでは27位という成績を残した。
3.2. 自己最高記録
アレクサンドル・タンメルトの円盤投における自己最高記録(パーソナルベスト)は、70.82 mである。この記録は2006年4月15日にアメリカ合衆国テキサス州デントンで樹立された。
4. 主な戦績
アレクサンドル・タンメルトが参加した主要な国際大会での戦績は以下の通りである。
年度 | 大会名 | 開催地 | 順位 | 記録 |
---|---|---|---|---|
1995年 | 世界陸上競技選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 23位 | 58.64 m |
1995年 | ユニバーシアード | 福岡(日本) | 8位 | 58.14 m |
1996年 | アトランタオリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 25位 | 59.04 m |
1997年 | 世界陸上競技選手権 | アテネ(ギリシャ) | 12位 | 59.44 m |
1997年 | ユニバーシアード | シチリア(イタリア) | 5位 | 61.84 m |
1998年 | ヨーロッパ陸上競技選手権 | ブダペスト(ハンガリー) | 20位 | 57.62 m |
1999年 | 世界陸上競技選手権 | セビリア(スペイン) | 10位 | 62.29 m |
1999年 | ユニバーシアード | パルマ・デ・マヨルカ(スペイン) | 4位 | 61.95 m |
2000年 | シドニーオリンピック | シドニー(オーストラリア) | 9位 | 63.25 m |
2001年 | 世界陸上競技選手権 | エドモントン(カナダ) | 16位 | 61.04 m |
2001年 | ユニバーシアード | 北京(中華人民共和国) | 優勝 | 65.19 m |
2002年 | ヨーロッパ陸上競技選手権 | ミュンヘン(ドイツ) | 5位 | 64.55 m |
2003年 | 世界陸上競技選手権 | パリ(フランス) | 7位 | 64.5 m |
2003年 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 6位 | 64.02 m |
2004年 | アテネオリンピック | アテネ(ギリシャ) | 3位 | 66.66 m |
2004年 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 3位 | 63.69 m |
2005年 | 世界陸上競技選手権 | ヘルシンキ(フィンランド) | 4位 | 64.84 m |
2005年 | IAAFワールドアスレチックファイナル | モンテカルロ(モナコ) | 4位 | 65.22 m |
2006年 | ヨーロッパ陸上競技選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 3位 | 66.14 m |
2006年 | IAAFワールドアスレチックファイナル | シュトゥットガルト(ドイツ) | 3位 | 64.94 m |
2007年 | 世界陸上競技選手権 | 大阪(日本) | 8位 | 64.33 m |
2008年 | 北京オリンピック | 北京(中華人民共和国) | 12位 | 61.32 m |
2009年 | 世界陸上競技選手権 | ベルリン(ドイツ) | 13位 | 62.24 m |
2010年 | ヨーロッパ陸上競技選手権 | バルセロナ(スペイン) | 18位 | 60.07 m |
2012年 | ロンドンオリンピック | ロンドン(イギリス) | 27位 | 60.2 m |
5. 私生活
アレクサンドル・タンメルトは、競技生活の傍ら、家庭を持ち、公的な役割も果たした。
5.1. 家族と結婚
タンメルトは、スロベニアのやり投選手であるエリザベタ・ランジェロヴィッチ・タンメルト(Elizabeta Randjelovič Tammertエリザベタ・ランジェロヴィッチ・タンメルトスロベニア語)と結婚しており、2人の娘をもうけている。
5.2. その他の活動
彼は、2012年ロンドンオリンピックの開会式において、エストニア選手団の旗手を務めた。これは、彼の母国におけるスポーツ界での貢献とリーダーシップを象徴するものであった。
6. 評価と影響
アレクサンドル・タンメルトは、長年にわたる国際舞台での活躍を通じて、エストニアの陸上競技、特に円盤投において重要な足跡を残した選手である。彼の安定したパフォーマンスと、2004年アテネオリンピックで獲得した銅メダルは、国内の若いアスリートたちに大きな影響を与え、陸上競技の発展に貢献した。特に、ドーピング問題による繰り上げとはいえオリンピックメダルを獲得したことは、スポーツにおける公正な競争の価値を強調する出来事として記憶されている。彼は、国際的なスポーツマンシップとプロフェッショナリズムを体現する存在として評価されている。