1. 幼少期と初期のキャリア
アリレザ・ダビールは1977年9月16日にイランのレイで生まれた。彼の初期のキャリアや幼少期に関する詳細は限られているが、後にアラメ・タバタバイ大学を卒業している。彼は若くしてレスリングの才能を開花させ、国際的な舞台で活躍するトップアスリートへと成長した。
2. レスリングキャリア
アリレザ・ダビールは、そのキャリアを通じてイランを代表するフリースタイルレスリング選手として、数々の国際大会で顕著な成績を収めた。
2.1. 主要な国際大会での実績
ダビールは、オリンピック、世界レスリング選手権大会、アジア競技大会といった主要な国際大会で、メダルを多数獲得し、その実力を世界に示した。
2.1.1. オリンピック
ダビールは2度のオリンピックに出場した。
- 2000年シドニーオリンピック

シドニーで開催された2000年シドニーオリンピックのレスリングフリースタイル58kg級で、彼はそのキャリアの頂点とも言える金メダルを獲得した。決勝ではウクライナのエフゲニー・ブスロビッチを3-0で破り、優勝を飾った。この大会では他にアメリカ合衆国のテリー・ブランズ、モンゴルのプレフバートル・オユンブレグ、カナダのギビ・シサウリ、ギニアビサウのタラタ・エンバロといった強敵を退けている。
- 2004年アテネオリンピック
アテネで開催された2004年アテネオリンピックでは、前回のチャンピオンとして出場したが、すべての試合でポイント負けを喫し、メダル獲得には至らなかった。彼はウズベキスタンのアルトゥール・タフカザホフに4-5で、ロシアのマハチ・ムルタザリエフに0-4で敗れている。この大会での敗退は、彼のその後の引退に繋がる要因の一つとなった。
2.1.2. 世界選手権
ダビールは世界レスリング選手権大会でもその実力を証明し、1度の優勝と3度の準優勝を記録した。
- 1998年
イランのテヘランで開催された大会で優勝し、世界チャンピオンの座を獲得した。決勝ではトルコのハルン・ドアンを2-2のスコアで破り金メダルを手にした。
- 1999年
トルコのアンカラで開催された大会では、前年に続いて決勝に進出したが、再びハルン・ドアンと対戦し、1-3で敗れ準優勝となった。
- 2001年
ブルガリアのソフィアで開催された大会では、63kg級に階級を上げて出場し、準優勝を果たした。決勝ではブルガリアのセラフィム・バルザコフに1-3で敗れた。
- 2002年
イランのテヘランで開催された大会では、さらに階級を上げ66kg級で出場し、準優勝を飾った。決勝ではウクライナのエルブルス・テデエフに4-5で惜敗した。
- 2003年
アメリカ合衆国のニューヨーク市で開催された大会では、ブルガリアのセラフィム・バルザコフに2-4で敗れた後、エストニアのアフト・ラスカとの試合を棄権している。
2.1.3. アジア競技大会
- 2002年
韓国の釜山で開催された2002年アジア競技大会では、銀メダルを獲得した。
2.2. 詳細な試合記録
アリレザ・ダビールの主要な国際大会における試合記録は以下の通りである。
結果 | 記録 | 対戦相手 | スコア | 日付 | 大会 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
負け | 24勝7敗 | ウズベキスタン アルトゥール・タフカザホフ | 4-5 | 2004年8月26日 | オリンピック | ギリシャ アテネ | |
負け | 24勝6敗 | ロシア マハチ・ムルタザリエフ | 0-4 | 2004年8月26日 | オリンピック | ギリシャ アテネ | |
負け | 24勝5敗 | エストニア アフト・ラスカ | - | 2003年9月12日 | 世界レスリング選手権大会 | アメリカ合衆国 ニューヨーク市 | 棄権 |
負け | 24勝4敗 | ブルガリア セラフィム・バルザコフ | 2-4 | 2003年9月12日 | 世界レスリング選手権大会 | アメリカ合衆国 ニューヨーク市 | |
負け | 24勝3敗 | ウクライナ エルブルス・テデエフ | 4-5 | 2002年9月5日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 24勝2敗 | ロシア ザウル・ボタエフ | 2-1 | 2002年9月5日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 23勝2敗 | カナダ ニール・ユーワーズ | 4-1 | 2002年9月5日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 22勝2敗 | 日本 池松和彦 | 6-4 | 2002年9月5日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 21勝2敗 | 中国 チュアン・リ | 9-2 | 2002年9月5日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | 66kg級デビュー |
負け | 20勝2敗 | ブルガリア セラフィム・バルザコフ | 1-3 | 2001年11月22日 | 世界レスリング選手権大会 | ブルガリア ソフィア | 金メダルマッチ |
勝ち | 20勝1敗 | トルコ メフメト・ヨズガット | 3-0 | 2001年11月22日 | 世界レスリング選手権大会 | ブルガリア ソフィア | |
勝ち | 19勝1敗 | アメリカ合衆国 ビル・ザディック | 9-2 | 2001年11月22日 | 世界レスリング選手権大会 | ブルガリア ソフィア | |
勝ち | 18勝1敗 | インド ムケシュ・クマール | 10-0 | 2001年11月22日 | 世界レスリング選手権大会 | ブルガリア ソフィア | |
勝ち | 17勝1敗 | モルドバ ルスラン・ボディシュテアヌ | 4-3 | 2001年11月22日 | 世界レスリング選手権大会 | ブルガリア ソフィア | |
勝ち | 16勝1敗 | ペルー ホセ・ルイス・パイコ | 10-0 | 2001年11月22日 | 世界レスリング選手権大会 | ブルガリア ソフィア | 63kg級デビュー |
勝ち | 15勝1敗 | ウクライナ エフゲニー・ブスロビッチ | 3-0 | 2000年9月28日 | オリンピック | オーストラリア シドニー | 金メダル獲得 |
勝ち | 14勝1敗 | アメリカ合衆国 テリー・ブランズ | 6-4 | 2000年9月28日 | オリンピック | オーストラリア シドニー | |
勝ち | 13勝1敗 | モンゴル プレフバートル・オユンブレグ | 5-2 | 2000年9月28日 | オリンピック | オーストラリア シドニー | |
勝ち | 12勝1敗 | カナダ ギビ・シサウリ | 3-0 | 2000年9月28日 | オリンピック | オーストラリア シドニー | |
勝ち | 11勝1敗 | ギニアビサウ タラタ・エンバロ | 10-0 | 2000年9月28日 | オリンピック | オーストラリア シドニー | |
負け | 10勝1敗 | トルコ ハルン・ドアン | 1-3 | 1999年10月7日 | 世界レスリング選手権大会 | トルコ アンカラ | 金メダルマッチ |
勝ち | 10勝0敗 | ウズベキスタン ダミール・ザハルティノフ | 3-0 | 1999年10月7日 | 世界レスリング選手権大会 | トルコ アンカラ | |
勝ち | 9勝0敗 | スロバキア アンドレイ・ファシャーネク | 5-0 | 1999年10月7日 | 世界レスリング選手権大会 | トルコ アンカラ | |
勝ち | 8勝0敗 | モンゴル プレフバートル・オユンブレグ | 4-2 | 1999年10月7日 | 世界レスリング選手権大会 | トルコ アンカラ | |
勝ち | 7勝0敗 | ウクライナ エフゲニー・ブスロビッチ | 2-1 | 1999年10月7日 | 世界レスリング選手権大会 | トルコ アンカラ | |
勝ち | 6勝0敗 | アゼルバイジャン アリフ・アブドゥラエフ | 4-1 | 1999年10月7日 | 世界レスリング選手権大会 | トルコ アンカラ | |
勝ち | 5勝0敗 | トルコ ハルン・ドアン | 2-2 | 1998年9月7日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | 金メダル獲得 |
勝ち | 4勝0敗 | キルギス ルスラン・マディノフ | 8-3 | 1998年9月7日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 3勝0敗 | ポーランド タデウシュ・コワルスキー | 12-0 | 1998年9月7日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 2勝0敗 | 韓国 ジョン・ヒョク・ジン | 3-2 | 1998年9月7日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | |
勝ち | 1勝0敗 | 中国 ファン・チャン | 7-0 | 1998年9月7日 | 世界レスリング選手権大会 | イラン テヘラン | 58kg級デビュー |
2.3. レスリングからの引退
2004年アテネオリンピックで、アリレザ・ダビールは肩の負傷を負った。この負傷が彼の選手生活に大きな影響を与え、同大会を最後に競技からの引退を決意した。輝かしいキャリアに幕を下ろした後、彼は新たな分野での活動へと移行することとなる。
3. 引退後の活動
レスリング選手として引退した後、アリレザ・ダビールは政治とスポーツ行政の分野でそのリーダーシップを発揮した。
3.1. 政治活動
ダビールは2007年4月29日から2017年8月22日まで、テヘラン市議会の議員を務めた。彼はテヘラン市民から400,677票(得票率17.86%)を獲得し、進歩と正義のイスラムイラン人民党に所属して、地方政治における重要な役割を担った。市議会議員として10年以上にわたり活動し、市民生活の向上とインフラ整備に貢献した。
3.2. スポーツ行政
2019年7月以降、アリレザ・ダビールはイランレスリング連盟の会長を務めている。彼はこの役職を通じて、イランのレスリング界の指導者として、選手の育成、国際大会への参加促進、国内のレスリング施設の改善など、イランのレスリングの発展と地位向上に貢献している。彼の指導の下、イランのレスリングは国内外でさらなる成功を目指している。