1. 生涯と教育
キム・コリンズは1976年4月5日にセントクリストファー・ネイビスに生まれた。
1.1. 大学でのキャリア
コリンズはアメリカのテキサスクリスチャン大学で大学競技に出場した。大学では学業と並行して陸上競技に打ち込み、その才能を開花させた。
2. 陸上競技キャリア
キム・コリンズの陸上競技選手としてのキャリアは17年以上にわたり、数々の国際大会で顕著な成績を収めた。
2.1. デビューと初期キャリア
コリンズは1996年アトランタオリンピックの100mで主要国際大会にデビューし、2次予選まで進出した。この大会で、彼はその後の目覚ましい成長の礎を築いた。
その後、急速に実力を向上させ、2000年シドニーオリンピックでは、100mで7位に入賞し、セントクリストファー・ネイビスの選手として史上初めてオリンピックの決勝に進出した。翌2001年の世界選手権では、200mで20秒20を記録し、セントクリストファー・ネイビスに初の世界選手権メダルである銅メダルをもたらした。
2.2. 主要国際大会での活躍
2002年のコモンウェルスゲームズでは、100mで9秒98を記録し、自身初の主要大会での金メダルを獲得した。
2003年の世界室内選手権の60mでは銀メダルを獲得。同年、世界選手権100mでは、準決勝で優勝候補であったモーリス・グリーンが敗退する波乱の展開の中、決勝では上位4人がわずか0秒02差でゴールする大接戦を制し、10秒07で金メダルを獲得した。これはセントクリストファー・ネイビスに初の世界選手権金メダルをもたらす歴史的快挙となった。
2005年の世界選手権100mでは、ジャスティン・ガトリン、マイケル・フレイターに次ぐ3位に入り、銅メダルを獲得した。これは3大会連続での表彰台の栄誉であった。
また、2008年の世界室内選手権60mでも銀メダルを獲得している。
2011年の世界選手権では、男子100m決勝でウサイン・ボルトがフライングにより失格となる波乱の中、10秒09で3位に入り銅メダルを獲得した。さらに、男子4x100mリレーでは、ジェイソン・ロジャース、アントワーヌ・アダムス、ブリジェシュ・ローレンスと共に2走を務め、予選で38秒47の国内記録を樹立し、セントクリストファー・ネイビス史上初の決勝進出を果たした。決勝でも38秒49を記録し、銅メダルを獲得し、この大会で合計2つのメダルを手にした。
同年、メキシコのグアダラハラで開催された第16回パンアメリカンゲームズでは、予選で10秒00を記録し、28年間破られなかった大会記録を更新した。決勝ではジャマイカのレローン・クラークに次ぐ2位となり、セントクリストファー・ネイビスにとってパンアメリカンゲームズ史上初のメダルとなる銀メダルを獲得した。
2014年のIAAFコンチネンタルカップでは、4x100mリレーで金メダル、4x400mリレーで銅メダルを獲得した。
2.3. オリンピック出場歴
コリンズは、1996年から2016年まで計5回の夏季オリンピックに出場した。
- 1996年アトランタオリンピック: 100mで2次予選進出。
- 2000年シドニーオリンピック: 100mで決勝進出(7位)、200mで準決勝進出。自国初のオリンピック決勝進出者となった。
- 2004年アテネオリンピック: セントクリストファー・ネイビス選手団の旗手を務めた。100mで6位入賞。
- 2008年北京オリンピック: 200mで決勝進出(6位)、100mで準決勝進出。
- 2012年ロンドンオリンピック: 開会式で再び旗手を務めた。しかし、大会期間中に後述のチーム関係者との対立により出場資格を剥奪され、100m、200m、4x100mリレーに出場できなかった。
- 2016年リオデジャネイロオリンピック: 40歳での出場は、同大会の短距離選手の中で最年長であった。100mと4x100mリレーに出場。100mでは予選を10秒18で突破し、唯一の2次予選進出者となったが、準決勝では10秒12で6位となり、決勝進出はならなかった。
2.4. 長期的な活躍と年齢別記録
コリンズは、30代後半から40代になっても現役のトップアスリートとして活躍し、数々の「最年長記録」や「年齢別世界記録」を樹立したことで知られる。
2009年に一度引退を発表した後、2011年に現役復帰。34歳での復帰後もそのスピードは衰えることなく、むしろ記録を更新し続けた。
2013年7月4日に行われたダイヤモンドリーグのアスレティッシマ100mでは9秒97(風速+2.0m/s)を記録し、11年ぶりに自身の持つセントクリストファー・ネイビス記録を0秒01更新した。この時のコリンズは37歳90日で、これは当時「最年長9秒台記録」であり、リンフォード・クリスティと並ぶ35歳以上(M35)の100m世界最高記録でもあった。さらにその6日後、ハンガリー国際グランプリ100mで9秒99(風速+0.2m/s)をマークし、35歳以上で2度9秒台を記録した史上初の選手となった。
2014年2月25日にプラハで行われた室内60mでは、6秒49のセントクリストファー・ネイビス記録を樹立。同年7月20日にはロンドンの100mで9秒96(風速+1.0m/s)を記録し、自身の持つ最年長9秒台記録を38歳106日に更新した。これは当時の35歳以上(M35)の100m世界最高記録でもあった。
2015年2月17日にポーランドのウッチで行われた室内60mでは、6秒47を記録し、セントクリストファー・ネイビス記録と35歳以上(M35)世界最高記録を更新すると同時に、中央アメリカ・カリブ海タイ記録も樹立した。同年5月30日にはプレフォンテインクラシック100mで9秒99(風速+1.5m/s)を記録し、最年長9秒台記録を39歳55日に更新。6月13日のセントクリストファー・ネイビス選手権100mでは、39歳69日で9秒98(風速+1.8m/s)をマークし、これをさらに更新した。また、8月22日の世界選手権100mに出場し、39歳139日で男子100mの最年長出場記録を塗り替えた。
2016年3月18日にポートランドで開催された世界室内選手権の60mでは、39歳348日で男子60mの最年長出場記録と最年長ファイナリスト記録を更新し、決勝で8位に入った。40歳の誕生日から約1ヶ月後の5月7日には、100mで10秒09(風速+1.0m/s)を記録し、40歳以上(M40)の100m世界最高記録を塗り替えた。さらに5月29日には、自身のセントクリストファー・ネイビス記録を0秒03更新する9秒93(風速+1.9m/s)をマーク。最年長9秒台記録も40歳54日に更新し、40歳以上で9秒台を記録した史上初の選手となった。
彼は2018年の世界室内選手権60mにも出場しており、これが彼にとって最後の世界選手権出場となった。
2.5. 引退と復帰
コリンズは2009年9月に国際陸上競技からの引退を発表し、約17年間の競技キャリアに一度幕を下ろした。しかし、体調が良いことを理由に2011年1月29日のグラスゴーでのアビバ国際マッチで現役復帰を果たした。復帰後はモスクワで開催されたロシア冬季ミーティングで優勝するなど、再びトップレベルで活躍を続けた。
3. 記録と自己ベスト
3.1. 個人最高記録
コリンズが樹立した主な個人最高記録は以下の通りである。
種目 | 環境 | 記録(秒) | 記録種別 | 風速(m/s) | 達成日 | 大会 | 会場 | 都市 | 国 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
50m | 室内 | 5.75 | - | 2009年2月10日 | Meeting Pas de Calais | アリーナ・スタッド・クヴェール・ド・リエヴァン | リエヴァン | フランス | |
55m | 室内 | 6.24 | - | 2001年2月24日 | Western Athletic Conference室内選手権 | Reno Livestock Events Center | リノ | アメリカ合衆国 | |
60m | 室内 | 6.47 | 国内記録 | - | 2015年2月17日 | Pedro's Cup | アトラス・アリーナ | ウッチ | ポーランド |
60m | 屋外 | 6.48 | 国内記録 | +0.3 | 2014年7月29日 | Grand Prix of Cheb | Atletický Stadion Cheb | ヘプ | チェコ |
100m | 屋外 | 9.93 | 国内記録 | +1.9 | 2016年5月29日 | NRW-Gala Bottrop | ヤーンシュタディオン | ボトロップ | ドイツ |
200m | 屋外 | 20.20 | +0.1 | 2001年8月9日 | 世界選手権 | コモンウェルス・スタジアム | エドモントン | カナダ | |
400m | 屋外 | 46.93 | - | 2000年4月22日 | TCU招待 | Lowdon Track and Field Complex | フォートワース | アメリカ合衆国 | |
4x100mリレー | 屋外 | 37.97 | - | 2014年9月13日 | コンチネンタルカップ | スタッド・ド・マラケシュ | マラケシュ | モロッコ |
3.2. 国内記録と年齢別世界記録
キム・コリンズはセントクリストファー・ネイビスの国内記録保持者であると同時に、マスターズ陸上における数々の世界最高記録を樹立している。
- 100m:** 9秒93(屋外、2016年5月29日)
- セントクリストファー・ネイビス国内記録
- 40歳以上(M40)世界最高記録(40歳54日)
- これにより、40歳を超えて10秒の壁を破った史上初の選手となった。
- 60m:** 6秒47(室内、2015年2月17日)
- セントクリストファー・ネイビス国内記録
- 35歳以上(M35)世界最高記録
- 60m:** 6秒52(室内、2016-2017年シーズン)
- 40歳以上(M40)世界最高記録
主な最年長記録としては以下のものがある。
- 男子100m最年長9秒台記録: 40歳と54日
- オリンピック男子100m最年長出場記録: 40歳と131日(2016年リオデジャネイロオリンピック)
- 世界選手権男子100m最年長出場記録: 39歳と139日(2015年世界選手権)
- 世界室内選手権男子60m最年長ファイナリスト記録: 39歳と348日(2016年世界室内選手権)
- 世界室内選手権男子60m最年長出場記録: 41歳と332日(2018年世界室内選手権)
3.3. 年間ベスト記録
コリンズの年間ベスト記録(100m)は以下の通りである。
年 | 年齢(歳) | 100m記録(秒) | 風速(m/s) |
---|---|---|---|
1995年 | 19 | 10.63 | |
1996年 | 20 | 10.27 | +0.1 |
1997年 | 21 | 21.73 (200m) | -0.6 |
1998年 | 22 | 10.18 | +0.5 |
1999年 | 23 | 10.21 | -0.1 |
2000年 | 24 | 10.13 | +0.6 |
2001年 | 25 | 10.04 | -0.2 |
2002年 | 26 | 9.98 | +0.2 / +1.6 / +2.0 |
2003年 | 27 | 9.99 | +1.3 |
2004年 | 28 | 10.00 | +0.6 |
2005年 | 29 | 10.00 | +1.0 |
2006年 | 30 | 10.33 | +0.1 |
2007年 | 31 | 10.14 | +1.7 |
2008年 | 32 | 10.05 | -0.1 |
2009年 | 33 | 10.15 | +0.6 |
2010年 | 34 | 10.20 | +0.4 |
2011年 | 35 | 10.00 | +0.4 |
2012年 | 36 | 10.01 | +1.4 |
2013年 | 37 | 9.97 | +2.0 |
2014年 | 38 | 9.96 | +1.0 |
2015年 | 39 | 9.98 | +1.8 |
2016年 | 40 | 9.93 | +1.9 |
2017年 | 41 | 10.20 | +0.3 |
2018年 | 42 | 10.37 | +2.0 |
コリンズの年間ベスト記録(60m、室内)は以下の通りである。
シーズン | 記録(秒) |
---|---|
1999-2000 | 6.53 |
2000-2001 | 6.58 |
2002-2003 | 6.58 |
2004-2005 | 6.54 |
2007-2008 | 6.54 |
2008-2009 | 6.58 |
2010-2011 | 6.50 |
2011-2012 | 6.56 |
2012-2013 | 6.53 |
2013-2014 | 6.49 |
2014-2015 | 6.47 |
2015-2016 | 6.49 |
2016-2017 | 6.52 |
2017-2018 | 6.60 |
3.4. 主要国際大会成績
キム・コリンズの主要国際大会での成績は以下の通りである。
年度 | 大会 | 場所 | 結果 | 種目 | 記録(秒) | |
---|---|---|---|---|---|---|
1995 | CARIFTAゲームズ (U20) | ジョージタウン、ケイマン諸島 | 3位 | 100m | 10.75 | |
パンアメリカンジュニア選手権 | サンティアゴ、チリ | 2位 | 100m | 10.4 | ||
DNS (f) | 200m | - | ||||
世界選手権 | イェーテボリ、スウェーデン | 6位 (h) | 4x100mリレー | 40.12 | ||
1996 | オリンピック | アトランタ、アメリカ合衆国 | 5位 (qf) | 100m | 10.34 | |
4位 (h) | 4x100mリレー | 40.12 | ||||
1997 | 世界選手権 | アテネ、ギリシャ | 8位 (h) | 200m | 21.73 | |
1998 | 中央アメリカ・カリブ海競技大会 | マラカイボ、ベネズエラ | 23位 (sf) | 100m | 10.77 | |
18位 (h) | 200m | 22.37 | ||||
1999 | 中央アメリカ・カリブ海選手権 | ブリッジタウン、バルバドス | 2位 | 100m | 10.31 | |
2位 | 4x100mリレー | 40.83 | ||||
rowspan=2 | 世界選手権 | rowspan=2 | セビリア、スペイン | 4位 (h) | 100m | 10.50 |
6位 (h) | 200m | 20.95 | ||||
2000 | NACAC U-25選手権 | モンテレイ、メキシコ | 1位 | 100m | 10.46 | |
1位 | 200m | 20.53 | ||||
オリンピック | シドニー、オーストラリア | 7位 | 100m | 10.17 | ||
5位 (semis) | 200m | 20.57 | ||||
2001 | 中央アメリカ・カリブ海選手権 | グアテマラシティ、グアテマラ | 1位 | 100m | 10.04 | |
1位 | 200m | 20.55 | ||||
世界選手権 | エドモントン、カナダ | 5位 | 100m | 10.07 | ||
3位 | 200m | 20.20 | ||||
2002 | コモンウェルスゲームズ | マンチェスター、イギリス | 1位 | 100m | 9.98 | |
ワールドカップ | マドリード、スペイン | 2位 | 100m | 10.06 | ||
2位 | 4x100mリレー | 38.32 | ||||
2003 | 世界室内選手権 | バーミンガム、イギリス | 2位 | 60m | 6.53 | |
中央アメリカ・カリブ海選手権 | セントジョージズ、グレナダ | 1位 | 100m | 10.13 | ||
DNS (f) | 200m | - | ||||
5位 | 4x100mリレー | 39.88 | ||||
世界選手権 | サン=ドニ、フランス | 1位 | 100m | 10.07 | ||
2004 | オリンピック | アテネ、ギリシャ | 6位 | 100m | 10.00 | |
2005 | 世界選手権 | ヘルシンキ、フィンランド | 3位 | 100m | 10.05 | |
2007 | パンアメリカンゲームズ | リオデジャネイロ、ブラジル | 5位 | 100m | 10.31 | |
8位 | 4x100mリレー | 40.20 | ||||
世界選手権 | 大阪、日本 | 5位 (sf) | 100m | 10.21 | ||
2008 | 世界室内選手権 | バレンシア、スペイン | 2位 | 60m | 6.54 | |
2008 | オリンピック | 北京、中国 | 5位 (sf) | 100m | 10.05 | |
6位 | 200m | 20.59 | ||||
2009 | 世界選手権 | ベルリン、ドイツ | 4位 (qf) | 100m | 10.20 | |
6位 (qf) | 200m | 20.84 | ||||
2011 | 中央アメリカ・カリブ海競技大会 | マヤグエス、プエルトリコ | 3位 | 4x100mリレー | 39.07 | |
世界選手権 | 大邱、韓国 | 3位 | 100m | 10.09 | ||
4位 (semis) | 200m | 20.64 | ||||
3位 | 4x100mリレー | 38.49 | ||||
パンアメリカンゲームズ | グアダラハラ、メキシコ | 2位 | 100m | 10.04 | ||
2012 | オリンピック | ロンドン、イギリス | DNS | 100m | - | |
2014 | コンチネンタルカップ | マラケシュ、モロッコ | 1位 | 4x100mリレー | 37.97 | |
3位 | 4x400mリレー | 3:02.78 | ||||
2015 | 世界選手権 | 北京、中国 | 26位 (h) | 100m | 10.16 | |
2016 | 世界室内選手権 | ポートランド、アメリカ合衆国 | 8位 | 60m | 6.56 | |
オリンピック | リオデジャネイロ、ブラジル | 17位 (sf) | 100m | 10.12 | ||
15位 (h) | 4x100mリレー | 39.81 | ||||
2018 | 世界室内選手権 | バーミンガム、イギリス | 24位 (h) | 60m | 6.77 |
彼の活躍は、2002年のIAAFグランプリファイナルでの準優勝、2003年と2004年のIAAFワールドアスレチックファイナルでの5位、2008年での4位といった成績にも表れている。
3.5. トラックレコード
2024年9月現在、コリンズは以下の会場で100mおよび200mのトラックレコードを保持している。
場所 | 記録(秒) | 風速(m/s) | 達成日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
バセテール | 9.94 | +3.4 | 2015年6月13日 | |
ヴァッテンシャイト | 10.08 | +2.3 | 2009年8月2日 | |
ボトロップ | 9.93 国内記録 | +1.9 | 2016年5月29日 | |
グアテマラシティ | 10.04 | -0.2 | 2001年7月20日 | |
熊谷 | 10.01 | +2.3 | 2016年9月6日 | |
トンブレーヌ | 9.96 | +2.4 | 2012年7月8日 | 同じレースでマイク・ロジャース(アメリカ)とタイ記録。 |
場所 | 記録(秒) | 風速(m/s) | 達成日 |
---|---|---|---|
ゴールドコースト | 20.37 | +2.1 | 2000年9月10日 |
3.6. 国内タイトル
コリンズは大学時代に以下の全米大学体育協会(NCAA)選手権で国内タイトルを獲得している。
- NCAAディビジョンI室内陸上競技選手権大会**
- 60m: 2001年
- 200m: 2001年
- NCAAディビジョンI屋外陸上競技選手権大会**
- 4x100mリレー: 2001年
3.7. サーキット戦での優勝歴
コリンズは国際的なサーキット大会で数多くの優勝を飾っている。
- 60m**
- ロシア冬季ミーティング: 2011年、2013年、2015年
- PSDバンクミーティング: 2011年、2015年、2016年
- ISTAF室内: 2014年、2015年、2016年
- コペルニクスカップ: 2015年
- ペドロス・カップ: 2015年
- バーミンガム室内グランプリ: 2015年
- マルメゲームズ: 2015年
- 100m**
- バルディノヤンネア: 2001年
- アスレティッシマ: 2001年
- ベレン・グランプレミオ・ブラジル・デ・アトレティスモ: 2002年
- ジヴィエツカップ: 2002年、2003年
- プレフォンテインクラシック: 2002年、2003年
- DNガラン: 2002年
- アディダス・トラッククラシック: 2003年
- ロンドン・グランプリ: 2003年
- ブリティッシュ・グランプリ: 2004年、2005年、2016年
- ズナメンスキー兄弟メモリアル: 2008年
- リール・メトロポール・ミーティング: 2008年
- 川崎スーパーミート: 2011年
- FBKゲームズ: 2011年
- ヤヌシュ・クソチンスキメモリアル: 2011年
- ソットヴィル=レ=ルーアン国際ミーティング: 2012年
- グレーター・シティゲームズ・マンチェスター: 2013年、2016年
- ダカールIAAFグランプリミーティング: 2013年
- オストラヴァ・ゴールデンスパイク: 2013年
- ジュライ・イシュトヴァーン記念: 2013年、2014年
- モハメッド6世国際陸上競技ミーティング: 2014年
- ベルリンISTAF: 2015年、2016年
- 200m**
- バルディノヤンネア: 2001年
- 4x100mリレー**
- DNガラン: 2007年
4. 特筆すべき出来事・論争
キム・コリンズのキャリア中には、ドーピング問題やオリンピックでの出場資格剥奪など、いくつかの特筆すべき出来事や論争があった。
4.1. 2002年コモンウェルスゲームズでのドーピング事件
2002年のコモンウェルスゲームズで100mを制し金メダルを獲得した後、コリンズはドーピング検査で陽性反応を示した。検出された禁止薬物は、サルブタモールというベータアゴニストであった。しかし、この物質は彼が数年前から服用していた喘息治療薬の一部であり、医療委員会への報告を怠っていたことが判明した。その結果、コリンズはタイトルを維持することが許され、警告処分のみで済まされた。
4.2. 2012年ロンドンオリンピックでの出来事
2012年ロンドンオリンピックの開会式ではセントクリストファー・ネイビス選手団の旗手を務めたコリンズであったが、大会期間中にチーム関係者との対立が発生した。彼は自身の妻との面会を代表団指導部から拒否されたことを不服とし、トレーニングセッションを欠席した。この行動により、彼はチームから追放され、予定されていた100m、200m、4x100mリレーの全ての出場資格を剥奪された。コリンズは数日間行方不明になったと報じられ、この事件は大きな話題となった。
5. 影響力と功績
キム・コリンズは、セントクリストファー・ネイビスにおけるスポーツ界の象徴であり、国際的にもその存在感を示している。
5.1. 国民的英雄とインスピレーション
コリンズはセントクリストファー・ネイビスの国民的英雄として広く認識されている。彼の2003年の世界選手権100mでの金メダル獲得は、同国にとって初の快挙であり、国民に大きな誇りをもたらした。
また、彼が35歳、そして40歳を超えてもなお、世界トップレベルで活躍し、数々の年齢別世界記録を樹立し続けたことは、世界中のアスリート、特に年長のアスリートたちに大きなインスピレーションを与えている。多くの短距離走選手が20代でピークを迎える中、コリンズは自身のキャリアの後半に自己ベストを更新し、40歳を超えて10秒の壁を破るという前人未踏の偉業を達成した。彼のこの驚異的な持続力は、年齢が競技人生の限界ではないことを示す模範となっている。
5.2. 受賞・表彰
コリンズの功績を称え、セントクリストファー・ネイビス政府は2003年のパリ世界選手権での金メダル獲得を記念し、彼の誕生日である8月25日を「キム・コリンズ・デー」と制定した。
また、2002年にはセントクリストファー・ネイビスで彼の肖像が描かれた2種類の記念切手が発行されている。
6. 私生活
2012年のロンドンオリンピックでの騒動は、彼の競技キャリアと私生活との間の緊張を示している。彼はチーム関係者から妻との面会を拒否されたことを理由にトレーニングを欠席し、結果として出場資格を剥奪された。これは、彼の家族への強い思いを示す出来事であった。